弥次さん・喜多さん、前回は二宮の海岸沿いの街道で、暇に任せてなぞなぞをしていましたが・・・
酒匂川の川越
例の「徒歩(かち)渡し」の酒匂川まで来て、詠んだ歌。
われわれは ふたり川越し(かわごし) ふたりにて 酒匂のかはに しめてよふたり
つまり、自分たち二人に川越人足が二人ついていると言っています。エコノミークラスですね。
酒匂川の越し方については、こちらをご覧ください。
ちなみに、「酒匂」の「酒」に「よふ(酔う)」を縁付けています。
旅籠・小清水
今でも、「新宿」の交差点を南下すると、蒲鉾やさんなど古い店構えの商店が並ぶ旧道に入ります。このあたりから宿場町の中心で、往時は旅籠などが軒を連ねていたそうです。弥次さん・喜多さんも、ここで客引きにあうのですが、そこはいつもの二人。まぜっかえし、煙に巻いてしまうのでした。
今夜の宿は決まっているかと客引きに尋ねられた弥次さんは「小清水か白子屋に泊まるつもりだ」と答えていますが、「旅籠・小清水」は「古清水旅館」に名前を変えて現在も営業しています。
ところで、この「小清水旅館」には、ちょっと珍しいエピソードがあります。
1945年8月15日深夜、まさに終戦前夜、小田原はB29により焼夷弾の空襲を受けました。(死者12名、罹災家屋約400戸) そしてここ本町にあった古清水旅館も、建物がほぼ全焼してしまったのですが、当時の主人は、「自分は丸裸になってしまったけれど、2度とない場面だから」と、焼跡の片づけをしているときに写真屋を呼び記念写真を撮影しており、この写真が、小田原の空襲を伝える貴重な資料になっています。
主人の腹の座ったところに、脱帽。今も続く旅館であることに、納得です。
小田原名物 梅干しとういろう
旅籠の客引きにさんざん呼び込みされて、弥次さんは・・・
梅漬の 名物とてや とめをんな くちをすくして 旅人をよぶ
梅干しが酸っぱいことに縁付けて、「くちをすくして」(口を酸っぱくして)と客引きがしつこいことを詠んでいます。
間もなく、屋根が出たり引っ込んだりしている変わった建物が現れますが、これが名物・ういろうのお店でした。ふたりのやり取りをちょっと紹介しましょう。
弥二「これが名物のういろうだ」
北「ひとつ買て見よふ。味(「うめ)へかの」
弥二「うめへだんか。頭がおちらあ」
北「ヲヤ餅かとおもつたら、くすりみせだな」
弥二「ハゝゝゝゝゝ、こうもあろふか」
ういろうを 餅かと うまくだまされて こは薬じゃと 苦いかほする
ういろうは、仁丹みたいな万能薬です。弥次さんは薬だと知っていたのですが、喜多さんはてっきりお餅かと思ってしまったんですね。
名古屋名菓に「ういろう」がありますけどね。好物です。特に「白」がいいな。
あ、話がそれてしまいましたね。
弥二さん・喜多さんは、このあと宿に入って、すったもんだの珍騒動になりますが、それは次回の「弥次さん・喜多さんを追いかけて」のコーナーで紐解きたいと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
また訪ねて来てくださると嬉しいです。