てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

弥次さん・喜多さんを追いかけて 藤沢宿

 てくてくわくわく街道歩き、次回は戸塚駅前から藤沢宿をめざします。弥次さん・喜多さんを追いかける旅も、進めておきましょう。弥次さん・喜多さん、藤沢宿ではいかに?

 

 

物乞い

 親子のふりをしたばっかりに面白くもなく、酔いがさめて外の物音に眠れぬ夜を明かした弥次さん・喜多さん、気を取り直して出発です。ちなみに、宿は戸塚宿のはずれということでしたから、鉄砲宿のあたりかなと思われます。

 宿を出ていくらも歩かないうちに寄ってきたちょんがれ坊主(ちょんがれ節を唄う物乞い)、いくら追い払ってもしつこいこと。その言い草がおかしいので、ちょっと紹介します。

北「銭はねへㇵ」

坊「ナニないことがござりやしよ。道中なさるおかたには、なくて叶はぬぜにと金、まだも杖笠蓑桐油(杖、笠、蓑、雨合羽の旅支度です)、なんぼしまつな旦那でも、杖一本では歩かれぬ。その上田町の反ごん丹(薬の名前です)、コリヤさつてやのしらみ紐、ゑちうふどし(越中褌)のかけがへも、なくてはならぬそのかはり、古いやつはてぬぐひに、おつかひなさるが御徳用」

  まぁつまり、「いくらお金がないと言ったところで、旅をなさる旦那さんはそれなりの旅支度をしているのだから、お金がないわけないでしょー」と食い下がったわけですね。面倒になってついうっかり四文銭を投げてしまい、「こら待て、三文の釣りをよこせ」と言ったものの後の祭りの弥次さんでした・・・

 

インチキな団子屋

 乞食坊主にお金をとられ、「えい、いまいましい」と入った茶屋がまたインチキで。喜多さんが「ばあさん、団子はつめてへか。チトあつためてくんな」と普通に声をかけるのだから、いったいどうなっているんでしょうね? おばあさんが「ドレ、やきなをしてしんぜますべい」バタバタと灰をかきたててあおぎたてると、もうもうとホコリが立つのだから、ひどいもんです。そこへふらりと入ってきた60歳くらいの親父さんが、江ノ島への道を尋ねます。この親父さんはまともそう。弥次さんも最初はまともに答えるのですが・・・ そうそう、その弥次さんの説明が本当に広重の東海道五十三次の画のとおり正確なので、画を思い出して嬉しくなってしまいました。江戸時代の読者も、「あ、広重先生の画と同じだ!」「知ってる知ってる、画で見たことあるぞ。」と思ったんでしょうね。十返舎一九さん、もちろんそこを意識して書いていますね。遊行寺前の橋の景色は、浮世絵や旅案内で紹介されていて、多くの人に「それなら知ってる!」と言われるような名所だったのでしょう。

弥「こりよヲまつすぐにいつての、遊行さまのお寺のまへに橋があるから(中略 ここは喜多さんが茶々をいれてまぜっかえしています。)そのはしの向ふに鳥居があるから、そこをまつすぐに」

北「まがると田圃へおつこちやすよ」

弥「エゝ手めへだまつていろへ。ソノみちをずつと行と、村はづれに、茶やが弐軒あるところがある」

  最初は真面目に説明していた弥次さんですが、喜多さんが茶々ばかり入れるものですから(「曲がるとたんぼへ落っこちやす」みたいな)、つられて架空の町名を挙げたりして、話はあらぬ方へ。親父さんはあきれ果てて、「ここの人たちはらちが明かない。他へ行って聞きますよ。」と行ってしまいました。ホント、そうした方がいいですネ。

 

駕籠に乗る

 茶屋を出て藤沢宿に入ると、駕籠かきに、戻り駕籠なので安くするから乗らないかと声をかけられます。値段を聞いて、自分が半分担ぐからもっと安くしてくれとか、冗談を混ぜながらなんとかまけさせて、駕籠に乗った弥次さん、こういうものには乗り慣れていないようです。「中に人間が固くなっているから担ぎにくい」と駕籠かきたちが前と後ろで噂していると、中から弥次さんが、藤沢宿の「あそこの旦那は元気か」とか「だれそれはまだ勤めているか」など、あれやこれやと話しかけてきます。前の駕籠かきは、「いやはや、旦那は藤沢宿に詳しいな」と感心するのですが、後ろの駕籠かきは「べらぼうめ。知っていて当たり前だ」と。弥次さんは、籠の中で道中記(旅行案内 ガイドブックですね)を読んでいるのを、ちゃーんと見破られていたのです!

 やがて、駕籠は馬入川の渡しに到着します。喜多さんがここはなんという川かと人に尋ねると、肝心の川の名前を言わずに「渡しだ」としか答えないの見て、面白がった弥次さんが歌を詠みました。

川の名を問へばわたしとばかりにて入が馬入の人のあいさつ

 「渡し」に「私」(我)をかけ、「入が馬入」を「入我我入」(密教仏教の用語。如来が自己に入り、自己が如来に入り、両者が一体になること)にかけています。「お前が我か、我がお前か」が転じて、要領を得なくて無茶苦茶なこと。

 

白幡神社

 このあと白幡神社にやってきたことになっていますが、実際には白幡神社は馬入の渡より手前です。十返舎一九さんの間違いですが、ここはお愛嬌ということで。

 白幡神社義経の首を納め祀った神社です。そこで弥次さんの歌は・・・

首ばかりとんだはなしの残りけりほんのことかはしらはたの宮

 「首ばかりとんだ」(首を切られた)に「とんだ話」(意外な話)をかけ、「本当のことかは知らない」と「白幡の宮」をかけています。義経伝説を駄洒落のオンパレードにして「ホントかどうだか・・・」と言っている弥次さん、怖がりなのかな? 

 

使用テキスト

東海道中膝栗毛(上)』(十返舎一九作 麻生磯次校注 岩波文庫

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