昔の人に思いを馳せながらてくてく歩いていると、現代の町並みに紛れ込んだかつての東海道の気配や、かつての宿場町としての歴史を活かした現代の町づくりの工夫の数々が、あちらこちらに見られ、嬉しくなります。
町並みは、日々変わるもの。記憶を記録にとどめておきたいという思いも込めて、2回にわたって紹介します。
神奈川地区センター
地区センター前の敷石が青海波の模様になっていました。神奈川宿内では、神奈川小学校正門前のほか、お寺の門前など、青海波のデザインの敷石があちらこちらに見られますが、ここはかなり面積が広いですね。海原がイメージできます!
車止めは亀のデザインになっています。浦島太郎伝説の町だからですね。なかなかおしゃれです。この車止めも、あちらこちらで見られました。
滝の橋と本陣跡
滝の橋です。横浜は河川工事で川筋や橋の場所が変更されているケースが多い中、この橋の場所は、今も昔も変わりません。
橋を渡った先の茶色い建物ののさらに2・3軒先が、神奈川本陣のあった場所です。
橋の上の高架は第一京浜です。第一京浜の下の大きな道路を渡って右側(神奈川本陣跡の対角)に、青木本陣跡があります。「ランドシティ横浜ポートサイド」というマンションの場所なのですが、この個性的な配色のビルのすぐ先の角になります。
横浜市立幸ケ谷小学校
宗興寺に向かう途中、幸ケ谷小学校の横の坂道です。やっぱり青海波の模様になっていますね! 結構な急坂です。
幸ケ谷小学校は、擁壁の上にあります。壁面に、かわいらしい絵が描かれていました。なごみます。これがあるだけで、壁の威圧感が軽減されますね。
宮前商店街~青木橋
第一京浜をはずれ、宮前商店街という静かな通りに入りました。商店街といっているわりに、お店らしきものが見当たらず、人通りもありません。ちょっと不思議。車の往来が少ないのはありがたいのですが。
普門院の山門に続くゆるやかな坂道にいた猫さんです。普門院は、敷地に入った瞬間♪ピロピロピロピロ♪と鳴って、焦って退散したのですが、この猫さんに一部始終見られてしまいました。番猫だったりして(笑) お寺のある一角って、猫が多いと思いません? 気のせいかな?
青木橋
青木橋の淵にある、京急神奈川駅は、宿場をイメージして、平成4年の改築の際に和風の駅舎になりました。明治5年の鉄道開通のときに設けられた「神奈川停車場」は駅舎のすぐ南側にありました。そのような背景から、この駅の名前も「神奈川」になっているということです。「京急、なかなかやるじゃん!」というのが、感想です。
本覚寺の丘から、青木橋の交差点を見ています。アメリカ領事館、いいとこを取りましたね。眼下に人々の往来が一望できたことでしょう。
青木橋~上台橋
三宝寺、丘の上沿った道に(この写真でいうと向かって右手)門があるのですが、こうしてみると、丘から張り出すように建っていたんですね。ビックリ。
よく見ると本堂裏側と左側の建物の屋上が、空中廊下でつながっていますが・・・
建物の1階は、こちら。反対側の道路からも入れます。ずいぶん込み入った構造ですが、いつからこうなったのでしょうね? 鉄道開通で、切通をつくったときでしょうか?
みなとみらい線の開通に伴い、それまでここを走っていた東急東横線が地下に潜ったので、緑道になりました。トンネルの遺構が、鉄道があったことを十分イメージさせてくれます。
台町にある料亭「滝川」の脇の坂道です。
こちらは「滝川」の少し先にある「田中家」の脇の坂道。かなりの急坂です。昔はこの先は海で、崖に張り出すように茶屋や料亭が軒を連ねていました。広重さんの浮世絵を思い出して、納得。
上台橋
橋の下は道路で、そのまた下は、地下鉄ブルーラインが通っています。
上台橋の上から、第一京浜を見ています。
このあたりが西の宿出入り口だったそうです。ブログもいったん閉じます。後半は、また明日。