てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

浮世絵ウォーク 保土ケ谷

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 題名が「新町橋」となっていますが、「帷子橋(かたびらばし)」のことです。慶応元年(1648)に東海道のルート変更が行われたことに伴い、この橋の先の宿場町が保土ケ谷宿の東に移転したことから、このあたりは「新町」と呼ばれていました。

 絵を見てみましょう。橋の中央でこちらを振り返っている深編笠を被った男の人は、尺八を袋に入れて腰にさした虚無僧(こむそう 一般のお坊さんのように髪を剃らないで、放浪をしながら修行をしている出家僧、ですかね)です。その後ろには、駕籠(かご)に乗った武士が付き添いの家来と両掛(りょうがけ つづらなどの箱状のものを、天秤棒の両脇にかけて運びます)を担ぐ用人を伴って続きます。橋の反対側・右手からは、男の人の一団が、今まさに橋を渡るために曲がってこようとしており、その橋の袂には「二八そば」の看板を出した茶屋も見えます。神奈川「台の景」の茶屋同様、広重の丁寧な作品世界づくりには、つくづく感心してしまいます。1枚の絵の中に、実にいろいろな人がいて、それぞれの人の物語がその奥にしまわれているように感じるのです。

 また、橋や橋脚、橋桁などは、光と影を色分けして表現しており、屋根や笠に使われている黄色は、空と同様の明るい日差しを感じさせ、人々の営みを、明るい日差しに包まれたのどかな情景に調和させています。そうした明るい色調とは異なり、不思議と切り離されて感じるのが、画面左端には田んぼが広がっているエリアです。よくよく目を凝らすと、田んぼ道を、農具を担いでとぼとぼ歩く農夫と息子の姿が見えます。当時、旅に出るのは、庶民にとってめったにない贅沢だったことでしょう。なにやらにぎやかな人々の往来の傍らで、いつも通り、もくもくと労働にはげむ人がいることも、広重は忘れずに伝えています。大変、示唆のある絵だと思います。

 帷子橋は、昭和40年頃、川があふれることが多かったため、天王町駅の南側から天王寺駅の北へ進路を変更する河川改修が行われ、橋も移転しました。現在の帷子橋は、この絵の中にある橋ではありません。元々の橋のあった場所は天王町駅前公園となり、跡地として橋のモニュメントが設置されています。

 先ほど、橋の反対側右手から人々の一団が曲がって渡ろうとしていると書きましたが、橋を川に対して直角に架けたため、橋の両側で道路が屈曲していることを示しています。おそらく、橋のこちら側・前方は、絵には描かれていませんが、道が左手から回り込むようになっていると思われます。風景をうまくトリミングすることで、構図に面白みが増していますね。

 実際に歩いてみると、旧東海道が、帷子橋跡の公園の辺りで曲がっていることに気付くのだそうです。次回ウォークでは、私も、広重さんの浮世絵を思い出しながら、「ふむふむ」と歩いてみたいものです。

 

【参考文献】

『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 岩崎均史 小学館

横浜市保土ケ谷区ホームページ

横浜市 保土ケ谷区 旧東海道保土ケ谷宿 旧東海道と浮世絵

横浜市文化観光局ホームページ

横浜市:文化観光局 横浜旧東海道の魅力に触れてみませんか

 

ここにアップした画像は、残念ながら黄色を中心とする発色が、うまく出ていません。画集等で、本物に近い色調をご確認ください。