ガイドブックにチェックポイントとして載っているものの、名前だけでそれがどんな由来なのかわからなくて、現地で説明板を探したものの見当たらず。あるいは、簡単な説明は載っていたもののそれを裏付ける説明板がやはり見当たらず・・・。なんとなく引っかかっていたところ、詳しい本を見つけました。
「そうだったのか~!」と今さらながら[ふむふむ」と納得することがいろいろ見つかったので、紹介します。
①子どもの頃、銀座のデパートの屋上に、何かなかったっけ?
名水白木の井戸
白木屋は寛永2年(1665)に開業した小間物屋です。寛永5年に現在地(東急百貨店のあったところ 現コルド日本橋)に移転しました。店内にあった井戸は水質の良い名水で、住民のみならず諸大名の茶の湯にも用いられていました。日本橋東急の頃は1階に遺構があり、屋上に井戸を掘った時に出土したという聖観音像も安置してありました。
②ガイドブックによれば虫歯を治す神さまらしいけど、どうして?
日比谷神社
古くは日比谷大塚山(現在地は特定できない)にあったそうですが、慶長11年(1606)江戸城修築工事に伴い芝口に移転しました。
最初は旅泊稲荷とも呼ばれ、旅人の苦難除けにご利益があるとされていました。芝国に移ってからは鯖稲荷とも呼ばれ、虫歯の人が鯖を断って祈願すれば治癒するとされました。なぜ、虫歯と鯖が結びついたのかはわかりません。現在地(新橋4丁目)には、昭和3年に移転しました。
③「め組」と力士の喧嘩って、どんなの?
芝大神宮
文化2年(1805)2年に出来事です。境内で勧進相撲が行われていて、力士の四つ車第八や水引清五郎らと、この地一帯を縄張りとする町火消し「め組の鳶衆」が起こした大喧嘩で、歌舞伎の題材にもなりました。事件を裁いた町奉行が、「勝手に鳴りだした半鐘が悪い」として境内の半鐘を縄で縛って島流しにし、事件の張本人はお咎めなしとしたという粋な江戸っ子らしいエピソードが有名ですが、実際はめ組の衆が仲間を集めるために非常用の半鐘を打ち鳴らしたらしく、火消のうちの2人は、重い仕打ちを受けたそうです。
また、先日行われていたお祭りは「だらだら祭り」として知られています。翌日がお祭りらしいと書いてしまいましたが、9月11日から21日まで、だらだらと長い期間行われるので、こう呼ばれるようになりました。言われてみれば、台風を控えているのに、慌てることもなく、いい意味でゆるやかに物事が行われているように感じたものでした。
おまけ お江戸日本橋七つ発ち
有名な「お江戸日本橋」の歌は、旅人が日本橋を七つ(午前4時)に出発することを言っています。歩いて旅する昔の人の朝は、早いですね! 4時に出発して高輪大木戸のあたりまで来ると、明るくなったので提灯を消したそうです。むむむ! 結構速い! 木戸から品川宿に入るまでの街道沿いには茶屋や料理屋が軒を連ねていたので「高輪は眩しい飯を食うところ」などと川柳に詠まれました。高輪はモーニングを食べる街だったのか~!
- 『江戸・東京文庫①江戸の名残と情緒の探訪 江戸・東京 歴史の散歩道1 中央区・台東区・墨田区・江東区』(街と暮らし社 2010年刊)
- 『江戸・東京文庫③江戸の名残と情緒の探訪 江戸・東京 歴史の散歩道3 港区・品川区・大田区・目黒区』(街と暮らし社 2001年刊)
- 『江戸・東京文庫⑦江戸の名残と情緒の探訪 江戸四宿を歩く 品川宿・千住宿・板橋宿・内藤新宿』 いずれも 街と暮らし社(街と暮らし社 2001年刊)
本はすべて図書館で見つけました。街の本屋さんでは、こういうコアな本はほとんど置いていないです。出版年はやや古めだけど、史実を知る分には問題ないと思います。むしろ、ここまで詳しい本は、なかなか見つからないから貴重。図書館、どんどん利用すべし!