あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2017年9月の東海道ウォークとともに始めた当ブログ、2018年は仕事の都合で何かと上手くいかず、ウォークもブログの更新も、後半は虫の息になってしましました。憔悴してしまってこのままではよくないと思い、昨年末に仕事の見直しをしたほどです。そういうわけで、今年は心機一転、元気に、仕事もブログもがんばりたいと思います。
このブログは、街道ウォークに特化したブログにし、読書や散歩や、その他日常のあれこれを綴るブログを別に立ち上げます。いろいろと面倒なことが多く、まだ準備段階なのですが、いずれこの顛末は報告します。かいつまんで今言えることは、「はてなでプロのブログを2つ持つのは、面倒です!」 もう少しわかりやすい説明が欲しいです!
本題に戻ります。
次回のウォークについて、事前調べをします。スタートはJR吉原駅ですが、終着地点はどこにしましょう? JR身延線・柚木駅か、JR東海道線・富士川か? 富士川はちょっと遠いけれど、身延線の柚木駅よりも帰りのアクセスはいいから、富士川がいいかな?
チェックポイントは以下の通りです。
*チェックポイントとは、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)で、名所・旧跡として取り上げている所。
- 馬頭観音
- 左富士神社
- 名残りの松
- 馬頭観世音
- 平塚越碑
- 東木戸跡
- 身代わり地蔵
- 明治天皇御小休所跡碑
- 唯称寺
- 鯛屋旅館
- 保泉寺
- 本之元神社
- 妙祥寺題目搭
- 妙祥寺
- 立安寺
- 大運寺
- 西木戸跡
- 旧東海道跡碑
- 厳島神社
- 青嶋八幡宮神社
- 道祖神
- 三度橋
- 題目塔
- 祝の賽神
- 山神社
- 本市場間宿跡碑
- 鶴芝の碑
- 法源寺
- 常諦寺
- 旧東海道一里塚
- 道祖神
- 栄立寺
- 金正寺
- 旧松永邸跡
- 札の辻跡
- 小さな社
- 秋葉山常夜燈
- 天白神社
- 道標
- 護所神社
- 明治天皇小休所跡
- 水神社
- 光栄寺
- 常夜燈
- 清源院
- 小休本陣常盤家
- 八幡神社入り口と常夜燈
- 常夜燈
- 新豊院
- 常夜燈
- 岩淵の一里塚
- 川坂観世音道標
- 常夜燈
うっっ、53個、結構ありますね・・・ 無理かも。
いつも34個くらいなんですけど、そうすると、34個目の旧松永邸跡は富士駅の近くですね。柚木駅の近くのチェックポイントは、38個目の天白神社。ということは、やっぱり、最終地点はJR身延線の柚木駅が妥当かな?
とりあえず、富士川駅前の「53常夜燈」まで見ていきましょう。
富士市のHPを見ると、観光案内はやはり富士山関連が多く、これらのチェックポイントについての情報はとても少ないです。少ない中から集めた情報は・・・
2.左富士神社
元吉原から吉原に向かう道中は、富士山が左側に見える珍しい景色「左富士」の名所で、広重さんの東海道五十三次にも描かれています。
現在の河合橋を渡ってから依田橋辺りまでの道中だそうです。
左富士神社の辺りが、広重さんのスポットなのでしょうか? 現在は工場が進出して、風景は様変わりしていますが、松が1本直立したところに説明の看板があるようです。 要チェック!
なお、広重さんが描く富士山は、雪をかぶらない「赤富士」ですが、このウォークでは、真白な富士山を見ることになるでしょう。お天気に恵まれますように。
5.平家越碑
源平富士川の合戦の際、ここに平家が陣を張りましたが、水鳥の羽音に源氏の襲来と間違え、西へ遁走したのだそうです。現在は沼地もなく、水鳥もいません。
10.鯛屋旅館
鯛屋旅館は、吉原商店街で天和2年(1682年)より創業しています。その歴史ある旅館の一部をかつての宿場風に改装し、平成18年3月、吉原宿の象徴として「吉原本宿」をオープンしました。うどん、そば等を食べることができる「食事処」が整備されています。
また、市民の皆様に吉原地区の歴史・文化に触れ、知っていただくため、吉原本宿を会場とした歴史講座や干支凧作りを実施しています。
27.鶴芝の碑
このあたりにはかつて「鶴の茶屋」があり、多くの旅人が休憩を取りました。間の宿で、鰻の蒲焼、ねぎ雑炊、肥後ずいきが名物でした。ここから眺める冬の富士山は、中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたそうです。ウォーク当日、ここから富士山をパチリしたいです!
42.水神社
東海道随一の急流と言われる富士川の手前に、松岡水神社と渡船場跡があります。
元来この地は、官道である東海道と信仰の道である身延道との追分でしたが、幕府はこの地に街並みらしいものがないことを案じ、慶長14年(1609)伊奈忠次に宿場風の街並みにするように命じ、追分中心に岩淵村が整備され、間の宿として発展しました。
東岸には三つの渡船場が置かれ、川瀬の状況で使い分けられていました。西岸の渡船場には交通安全の常夜燈が置かれ、現存しています。高瀬舟をかたどった植樹桝も往時を偲ばせます。現在は渡しはなく、富士川橋を歩いて渡ります。
46.小休本陣常盤屋
渡船名主と岩淵村名主を兼ねた常盤家が大名などの貴人用休憩施設を設け飲食を供しましたが、一般の旅人相手の茶屋とは異なり、立派な門を構える屋敷で、地元では本陣と呼んでいました。東海道57次にわずか2軒しか現存しない小休本陣の一つです。
51.岩淵の一里塚
日本橋から37里目にあたる一里塚で、左右一対が現存する貴重な塚です。
おまけ
チェックポイントではありませんが・・・
栗の粉餅
江戸時代中期以降、岩淵一里塚周辺の茶屋で販売されていた、栗の粉をまぶしたお餅。現在は、岩淵→蒲原の東海道沿いにある「ツル家菓子店」で再現・販売されています。 興味津々&ぜひ食べてみたい。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近いうちに、天気の良い休日にウォークを実施します。また、訪ねてくださると嬉しいです。