てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

事前チェック! 吉原→富士川?

 あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 2017年9月の東海道ウォークとともに始めた当ブログ、2018年は仕事の都合で何かと上手くいかず、ウォークもブログの更新も、後半は虫の息になってしましました。憔悴してしまってこのままではよくないと思い、昨年末に仕事の見直しをしたほどです。そういうわけで、今年は心機一転、元気に、仕事もブログもがんばりたいと思います。

 このブログは、街道ウォークに特化したブログにし、読書や散歩や、その他日常のあれこれを綴るブログを別に立ち上げます。いろいろと面倒なことが多く、まだ準備段階なのですが、いずれこの顛末は報告します。かいつまんで今言えることは、「はてなでプロのブログを2つ持つのは、面倒です!」 もう少しわかりやすい説明が欲しいです!

 

 本題に戻ります。

 次回のウォークについて、事前調べをします。スタートはJR吉原駅ですが、終着地点はどこにしましょう? JR身延線・柚木駅か、JR東海道線・富士川か? 富士川はちょっと遠いけれど、身延線の柚木駅よりも帰りのアクセスはいいから、富士川がいいかな?

 

 チェックポイントは以下の通りです。

*チェックポイントとは、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)で、名所・旧跡として取り上げている所。

 

  1. 馬頭観音
  2. 左富士神社
  3. 名残りの松
  4. 馬頭観世音
  5. 平塚越碑
  6. 東木戸跡
  7. 身代わり地蔵
  8. 明治天皇御小休所跡碑
  9. 唯称寺
  10. 鯛屋旅館
  11. 保泉寺
  12. 本之元神社
  13. 妙祥寺題目搭
  14. 妙祥寺
  15. 立安寺
  16. 大運寺
  17. 西木戸跡
  18. 旧東海道跡碑
  19. 厳島神社
  20. 青嶋八幡宮神社
  21. 道祖神
  22. 三度橋
  23. 題目塔
  24. 祝の賽神
  25. 山神社
  26. 本市場間宿跡碑
  27. 鶴芝の碑
  28. 法源寺
  29. 常諦寺
  30. 旧東海道一里塚
  31. 道祖神
  32. 栄立寺
  33. 金正寺
  34. 旧松永邸跡
  35. 札の辻跡
  36. 小さな社
  37. 秋葉山常夜燈
  38. 天白神社
  39. 道標
  40. 護所神社
  41. 明治天皇小休所跡
  42. 水神社
  43. 光栄寺
  44. 常夜燈
  45. 清源院
  46. 小休本陣常盤家
  47. 八幡神社入り口と常夜燈
  48. 常夜燈
  49. 新豊院
  50. 常夜燈
  51. 岩淵の一里塚
  52. 川坂観世音道標
  53. 常夜燈

 

 うっっ、53個、結構ありますね・・・ 無理かも。

 いつも34個くらいなんですけど、そうすると、34個目の旧松永邸跡は富士駅の近くですね。柚木駅の近くのチェックポイントは、38個目の天白神社。ということは、やっぱり、最終地点はJR身延線の柚木駅が妥当かな?

 とりあえず、富士川駅前の「53常夜燈」まで見ていきましょう。

 

 富士市のHPを見ると、観光案内はやはり富士山関連が多く、これらのチェックポイントについての情報はとても少ないです。少ない中から集めた情報は・・・

 

2.左富士神社

 元吉原から吉原に向かう道中は、富士山が左側に見える珍しい景色「左富士」の名所で、広重さんの東海道五十三次にも描かれています。

 現在の河合橋を渡ってから依田橋辺りまでの道中だそうです。

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 左富士神社の辺りが、広重さんのスポットなのでしょうか? 現在は工場が進出して、風景は様変わりしていますが、松が1本直立したところに説明の看板があるようです。 要チェック!

 なお、広重さんが描く富士山は、雪をかぶらない「赤富士」ですが、このウォークでは、真白な富士山を見ることになるでしょう。お天気に恵まれますように。

 

5.平家越碑

 源平富士川の合戦の際、ここに平家が陣を張りましたが、水鳥の羽音に源氏の襲来と間違え、西へ遁走したのだそうです。現在は沼地もなく、水鳥もいません。

 

10.鯛屋旅館

 鯛屋旅館は、吉原商店街で天和2年(1682年)より創業しています。その歴史ある旅館の一部をかつての宿場風に改装し、平成18年3月、吉原宿の象徴として「吉原本宿」をオープンしました。うどん、そば等を食べることができる「食事処」が整備されています。
また、市民の皆様に吉原地区の歴史・文化に触れ、知っていただくため、吉原本宿を会場とした歴史講座や干支凧作りを実施しています。

www.city.fuji.shizuoka.jp

 

 27.鶴芝の碑

 このあたりにはかつて「鶴の茶屋」があり、多くの旅人が休憩を取りました。間の宿で、鰻の蒲焼、ねぎ雑炊、肥後ずいきが名物でした。ここから眺める冬の富士山は、中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたそうです。ウォーク当日、ここから富士山をパチリしたいです!

 

42.水神社

 東海道随一の急流と言われる富士川の手前に、松岡水神社と渡船場跡があります。

 元来この地は、官道である東海道と信仰の道である身延道との追分でしたが、幕府はこの地に街並みらしいものがないことを案じ、慶長14年(1609)伊奈忠次に宿場風の街並みにするように命じ、追分中心に岩淵村が整備され、間の宿として発展しました。

 東岸には三つの渡船場が置かれ、川瀬の状況で使い分けられていました。西岸の渡船場には交通安全の常夜燈が置かれ、現存しています。高瀬舟をかたどった植樹桝も往時を偲ばせます。現在は渡しはなく、富士川橋を歩いて渡ります。

 

46.小休本陣常盤屋

 渡船名主と岩淵村名主を兼ねた常盤家が大名などの貴人用休憩施設を設け飲食を供しましたが、一般の旅人相手の茶屋とは異なり、立派な門を構える屋敷で、地元では本陣と呼んでいました。東海道57次にわずか2軒しか現存しない小休本陣の一つです。

 

51.岩淵の一里塚

 日本橋から37里目にあたる一里塚で、左右一対が現存する貴重な塚です。

 

おまけ

 チェックポイントではありませんが・・・

 栗の粉餅

 江戸時代中期以降、岩淵一里塚周辺の茶屋で販売されていた、栗の粉をまぶしたお餅。現在は、岩淵→蒲原の東海道沿いにある「ツル家菓子店」で再現・販売されています。 興味津々&ぜひ食べてみたい。

 

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近いうちに、天気の良い休日にウォークを実施します。また、訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まちなみウォッチ 原→吉原

 11月25日の「原→吉原ウォーク」のまちなみをレポートします。

 本当は年内にもう一つ先に駒を進めておきたかったのですが、予定していた日の天気が雨で、12月はウォークに行けないまま、あっという間に年末になってしました・・・

 そうそう、12月19日は、はてなブログプロ2年目に突入する日で、果たして自動更新するのか、やや不安だったのですが無事でした。よかった! 今年は何かと忙しくしていて、せっかくGoogleさんに認めていただいてアドセンスも始めたのに、ブログは虫の息でした。忙しくしていた原因が解決したので、来年は本腰を入れようと、只今あれこれ画策中です。具体的には、もう一つブログを立ち上げてメインブログに、こちらは街道ウォークに特化したブログにしようかと考えています。今後ともよろしくお願いいたします。

 話がそれました。まちなみウォッチに戻ります。

 

 朝の原駅です。前回のウォーク「沼津→原」では、夕方の原駅のホームから富士山が見えて、感動しました。今回、まずここで富士山の写真を撮ろうと楽しみにしていましたが、快晴でくっきり富士山で、嬉しい限りでした。

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 駅を出て、歩き始めますとまもなく、清酒「白隠」で有名な高嶋酒造が見えてきました。車を停めてポリタンクを手に降りてきた人がいますが・・・? 

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 地元の人が、名水を汲みに来ているようですね。

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 説明板をアップします。江戸時代から親しまれている富士山の霊水だそうです。

 私も一口いただきたかったのですが、水汲みの方がずっと作業されていたので諦めました。

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 歩き始めた東海道は、こんな感じです。たわわに実るみかんが美味しそう。

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 街道より海側に曲がる小道。(要石神社を目指しています)

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踏切を渡ります。東海道線の線路、まっすぐ。だから何ってわけでもないのですが、線路を見ると、ついパチリしたくなる。どこか鉄ちゃんなんです・・・

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 振り返ると富士山が。富士山と愛鷹山が並んでいるということで、広重さんの浮世絵スポットはこのあたりかなーと。もしかしたら、もう少し先の吉原寄りかもと思ってこの後歩いたのですが、電線とか建物とか写り込んでしまって・・・。風景として一番きれいだったのは、この場所でした。

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 こちらが広重さんの浮世絵。いかがでしょう? スポットとして、似ています?

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 要石神社をチェックして再び東海道に戻り歩いて行きますと、こんなお店が。富士宮焼きそばの幟がめだっています。(富士宮はもっと先ですが) 近づいてみると・・・

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 ずいぶん、いろいろなメニューがあるのですね。お店の名前は「ゆきちゃん」です。中でも目を引いたのは

「東海道五十三次 歩くお客様へ この先 数キロお食事処がございません。ゆきちゃんで一休みして行きませんか?」

という忠告。

 確かに、この先、何もなさそう。ロードマップにもファミレスの表示は皆無だし。若干不安ではあったのですが、時刻はまだ11時。大変魅力的なラインナップのメニューで興味はあったのですが、先を急ぎました。後で、激しく後悔することになるとはつゆ知らず・・・。(この先、本当に食事処はなかったです。吉原まで行けば何かあると思ったけれど、何もなくて、見事に裏切られました。)

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 この幟、この付近で、ちょくちょく見かけました。状況がよくわからなかったのですが、気になったのでパチリしてみました。

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 真っ直ぐな、何ということもないのどかな道を、てくてく歩きます。見どころが特にない単調な道も、街道ウォークらしくて好きです。

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 沼津市のマンホールです。一応、マンホールウォッチャーなので。

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 これより富士市に入ります。

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 広重さんの浮世絵スポットは、もしかしたらこの辺りかもしれないです。一応、アップします。さっきより、富士山が近いですね。こっちの方が正解かも。絵的には、さっきの方が好みなんですけど。

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 間宿・柏原の表示です。といっても、とくに宿場らしい雰囲気はありません。

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 くろやぎ(同行人・夫)が、六王子神社をでたところで、パシャパシャ写真を撮っているので、何があるのかと思ったら、東田子の浦の駅でした。とても小さな駅舎で、見落とすところでした。駅舎正面のステンドグラスが、おしゃれでかわいいです。f:id:kaz-mt-wisteria:20181217230112j:plain

 

 駅前の案内板。浮島自然公園が近いのですね。広重さんの浮世絵の湿原は、浮島自然公園の辺りなのではないかなと思っていましたが、その湿原ね。とすると、浮世絵スポットは、この駅舎の向こうだったのかな? 駅舎に半分隠れていますが、富士山も愛鷹山も大きいですね。やっぱり、スポットはこの裏だなと、家に帰って写真を見直してから思いました。すでに遅し。

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 マンホールではなく消火栓ですが、アップします。富士山のかぐや姫伝説が描かれています。

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 「ひのき」の分岐点。これより旧道は左へ。

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 富士市のマンホールです。富士山全面で。そりゃそうだ。富士市と言えば富士山。

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 街道の先に工場の煙突が見えます。そういえば、富士市と言えば製紙工場だと、昔むかし、社会の時間に習ったことを思い出しました。

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 久々にツッコミたくなるものを見つけた。(実は、今回は、あんまり面白いものがないです。) 石材やさんの前のオブジェ。ピーターラビットとピカチュウとドラえもんって、どれもプロダクション(っていうのかな?)違いますけど。カオスだなー

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 天文堀顕彰碑の前の看板。ウォーキングコースになっているようですね。

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 稲荷神社から見える富士山と煙突。シュールだな。広重さんが見たら、絵に描くかしら? 描くような気がする。何となくだけれど。

 富士山のある田園風景もあれば、煙突とともにある富士山の図もある。これも日本の現実で、日本の風景です。工場はこの日も稼働中。

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 毘沙門天のふもとの宿屋、立場旅館。名前の示す通り、江戸時代は立場だったのでしょう。営業しているのかいないのか? 何とも独特な雰囲気を漂わせていました。

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 立場旅館は「まちの駅」とやらで、観光案内所的な役割を担っているようではありましたが、人家は全くなく、中に入るのはためらわれました。

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 立場旅館近くの小道

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 間もなく、吉原です。時刻は正午をとうにまわり、空腹状態。食事処はさっぱり見つからず、普通の商店すらなく。そんな中で目についた時計屋さん。古い店構が目を引きました。営業しているのかどうかは、ちょっとわからなかったです。f:id:kaz-mt-wisteria:20181217231636j:plain

 

 吉原の駅です。このようにがらーんとしていて何もなし。

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 食事処を探して駅周辺をうろうろ。これは駐車場。ちょっとこわい。

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 食事処を探すのは断念して、沼津に向かうことにしました。駅の跨線橋から見た富士市の工場群です。

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 吉原駅の印象はイマイチ。次回はここからスタートして、宿場の中心へ向かいます。吉原宿の印象がアップすることを期待しています。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 年内は、これを最後の記事といたします。どうもありがとうございました。最初に書きましたように、来年はもっと本腰を入れて頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
                                                                                                                                             


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第19回 原→吉原②

 間もなくやってくる12月17日で、はてなブログプロを始めて1年になります。更新を忘れるとただのはてなになっちゃうの? にわかに心配になって、諸先輩方のブログをググってみたら、クレジットカード情報を登録しておけば、自動更新&自動引き落としになるようですね。

 1年前もクレジットカード払いにしたような気がするけど。念のため、カード情報を登録しておきましたよ。でも、何のカードを登録したとか、アカウント情報に反映されないんですね。確かめようがなくて不安なんですけど。大丈夫か?

 諸先輩方も、同様の指摘をされていました。はてなさん、改善してください。

 

 さてさて、いきなり街道ウォークとは関係ない話題で失礼しました。前回のアップより1週間も開けてしまいましたが、「東海道ウォーク 原→吉原」の後半です。

 

 東田子の浦駅前の六王子神社を後に、再び東海道をただひたすら、てくてく歩きます。今回の道は、まっすぐで本当に楽ですね。わかりやすいです。迷いようがない・・・

 

間宿柏原本陣跡

 茶屋本陣があった場所ですが、今では街道脇にポツンとさりげないモニュメントがあるのみ。

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 モニュメント表面の説明。往時のお店の賑わいが、伝わってきそう。今は、ごく普通の住宅が並んでいます。

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立圓寺

 尾張藩侍医柴田景浩が、このお寺から見える富士山が絶景であると、記念碑を建てました。記念碑の名前は、「望嶽の碑」といいます。

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 立派な本殿です。この向こうに大きな富士山が見えます。(この写真には写っていませんが)

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 こちらが例の望嶽の碑です。

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 碑に刻まれた文章の現代語訳。柴田景浩先生、本当に富士山が好きだったんですね。熱く深い思いがジンジン伝わってきます。

 願わくばこの地で死にたいが、そうもいかないからせめて髪の毛を埋めることで気持ちを表した。100年後に訪れた人に、この気持ちを伝えたい・・・

 みたいなことが書いてあります。あなたの思いはしっかと受け止めましたよ。柴田先生!

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 同じ境内にあるこちらは慰霊碑です。台風に遭遇し難破した貨物船に乗っていたインドネシア人の船員たち。1979年ですって。結構最近ですね。

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 赤いのは難破船の碇です。

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 傍らに詳しい説明の碑がありました。これを読むと、いきさつがよくわかります。

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 道路の向かいからパチリした山門です。立派ですね。富士山は、ちょうど本堂の裏です。

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男女双体道祖神

 道祖神があるとバイブル(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社)に書いてありますが、ないですねえ・・・

 位置的には、たぶんほぼ間違いなくここ。移転したかな?

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秋葉常夜燈

 常夜灯は、バイブルでは京都に向かう左側にあるはずなのですが、これは右側にあったもの。左側には、それらしきものは見つかりませんでした。

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増田平四郎碑

 増田平四郎さん。原宿の住人で浮島沼干拓の排水路建設に尽力した人。慶応元年(1867)に完成しましたが、高波で崩壊。1969年に再建しました。

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 像の横を流れる「昭和放水路」です。

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 増田平四郎についての説明板です。27年間にも及んで何度も陳情していたのですね。最初の排水路は崩壊してしまったけれども、後の人が受け継ぎ、現在に至ります。私たちの生活は、先人の労苦の上に成り立っているわけです。感謝。

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沼田新田の一里塚

 ところで一里塚は? 増田平四郎の像にこんな説明が。

 

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 これが説明の載っている案内なのですが、塚らしきものはありませんね・・・

 ほら、こんもりしている土の上に木が1本みたいな、あれね。

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  どこがどこだと探していたら、このような石碑が。

 まあ、これでよしとしますか。

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手指し道標

 バイブルのチェックポイントになっていた「手差し道標」。

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 わりと最近の建立かな? 手の絵がイマドキっぽい。でも「村役場」とあるから、明治時代かしらん。建立年月日を確かめたかったけれど、見つからず。(読み取れず?)

 

淡島神社

 小さな赤い鳥居に、小さな赤い社殿。かわいいです。

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 鳥居の手前に道祖神があります。右隣奥は、米之宮神社です。

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 隣の米之宮神社の鳥居は大きいです。さらに、鳥居の隣には大きな建物があります。「田中町公会堂」です。

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 この建物は、津南避難ビルに指定されています。

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 建物裏の階段から上れます。「あ、でも、階段上のカギがかかっていたらどうするの?」と思ったら・・・

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 大丈夫。建物脇にちゃんとこのようなものが。さすが。すっかり感心してしまいました。

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 おおきな「津波ひなん施設マップ」掲示板もありました。人が集まるこの場所は、防災拠点になっているのですね。

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愛鷹神社

 なぜここがバイブルのチェックポイントなのか、よくわからないのですが・・・

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 バイブルによれば、常夜燈の奥に社殿があり(確かに)

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 境内の木々は、保存樹木だそうです。

 

 そして、道祖神があるそうです。(確かに)

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庚申堂

 この中にも、庚申塔が集められているのでしょうか。

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 ひとつひとつ飾ってあるお花がかわいいです。大事にされていることがよくわかって、いいですね。

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天文堀顕彰碑

 大野新田の高橋勇吉は、天保7年(1836)から14年間かけて、私財を投じて排水路を完成させました。勇吉さんは天文学に長けていたので、天文堀と呼ばれました。

 さっきのは増田平四郎さん、今度は高橋勇吉さんです。この辺りを歩いていると、こういう、個人の尽力による開墾とか排水路建設とかの話が多いですね。

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稲荷神社

 あやうく見落としそうになった稲荷神社。街道からちょっと中に入った小高い丘の上です。くろやぎ(同行人・夫)が気が付きました。くろやぎ、今回は終盤まで冴えているかも。

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 稲荷神社鳥居です。鳥居の奥におきつねさまが見えます。

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 こちらが本殿。

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 稲荷神社の丘の上から見た富士山。きれいな富士山に並んで、製紙工場の煙突。本日も工場操業中です。

 これも、日本の景色なのでありましょう・・・

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毘沙門天妙法寺

 ここのだるま市は、高崎、深大寺に並んで日本三大だるま市のひとつだそうです。この日は普通の日でしたので、境内は閑散としていました。

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 本殿は、なかなかゴージャスです。(彫り物が)

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 清水エスパルスを応援しているんだそうです! 御祈祷料を受け付けていました。へー

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 超特大絵馬に下がるたくさんの絵馬。

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愛鷹神社

 本日最後の目的地です。

 

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 神社がある丘の上から。

 富士山と、製紙工場の煙突と、さまざまな工業施設と・・・

 うーん・・・

 なんか複雑。これが日本の現実か。

 私たち、ティッシュはバンバン使うし、A4の紙に印刷するし。紙を使わない生活はあり得ない。それを作っているのはこういう工場。そしてこういう景色。

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 14時37分、JR吉原駅に着きました。実は、昼食がまだだったので、食事処を探したのですが全くありません。探しつつ一つ先のチェックポイントまで歩いてみました。

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馬頭観音

  ここまで来ましたが、食事処は皆無だったので引き返します。そもそも、街が街らしくない。お店も少なく、人もあまり歩いていません。がらんとした駅前。自転車置き場に、やけにたくさんの自転車。なじめない風景でした。

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 吉原駅に戻り、今回のウォークは終了としました。25972歩、5時間45分でした。

 大変遅い昼食は、沼津まで戻って済ませました。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 なるべく近日中に、今回のまちなみの様子をアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 


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第19回 原→吉原①

 11月25日(日)、街道ウォークを実施しました。前回の沼津→原では、たくさんの親切で優しい方々との出会いがあり、その好印象を胸に、西に向かいました。

 

 前回の終着点、原駅です。前回同様、プラットホームから富士山の姿をパチリしました。雲はなく快晴。くっきりきれいな富士山を見ることができ、ラッキーです。

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 時刻は8時53分、今日も歩くぞー

 

西木戸(見附)跡

 

 原宿は小さな宿場町で、当時の面影もほとんど残っていません。でも、こうしてきちんとモニュメントがあちらこちらにあるので、助かります。

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 旧街道と、西木戸(見附)跡のモニュメント。この静かな住宅街が、宿場町だったころの賑わいを想像するのも楽しいです。


原一本松の一里塚

 一里塚跡のモニュメントも、さりげなく。一般のお宅の前にありました。

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 塚らしきものはありませんが、こんなふうに詳しい説明があるのが、嬉しかったです。説明をよく読むと、近くに「現存一里塚」というのがあるようで、この一里塚跡と何が違うのだろうととても気になったのですが、少し離れたところにあるようですので、残念でしたが先を急ぎました。くろやぎ(同行人&夫)も、「ここは先に行きたい」というオーラを出していましたし・・・ (これでも、結構、顔色を窺ってしまう私です。)

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 一里塚跡のある旧街道の風景。

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要石神社・要石

 要石神社は、旧街道からいったん離れ、東海道本線の踏切を渡って少し歩いたところにあります。松林の手前に入口があって、林の向こうは海です。

 右側にあるのが、要石神社を示す石柱と、石碑です。

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 これですね。石柱と石碑。因みに、この石碑を建てるのに出資したのは、道路を挟んで向かい側の石材やさんです。

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 碑に近づいてパチリします。

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 どんな高波が来ても、そこで止まったという石。ここにはなくて、神社の氏子さんに守られているようでウね。(?)

 

松林の中に入っていきます。

馬頭観世音があるとバイブル(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社)に書いてありますが、これかな?

 

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 海側に向かって立つ鳥居。もともとはここが入口で、参道だったのでは?

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 現在、社殿は残っていなくて土台が残るのみですが、なんとなく、風格のようなものを感じます。

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来た道を戻り、再び踏切を渡って、旧街道へ。


浅間神社

 浅間神社は、とても小さな神社です。

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 三社宮とも呼ばれています。石柱も「三社」。立て札には「浅間神社」と書いてあるのですが、見落としそうになるので要注意です。

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 説明板に近づいてパチリしました。アップします。この地の鎮守だったのですね。左側(西側)の社殿は末社・・・らしいです。

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大通寺

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 立派な門構え・・・

 

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 本殿も大きくてシブイです。

 バイブルには、五百羅漢像や百度石があると書いてありましたが、よくわからなかったです。このあたりですかね? 六地蔵の後方?

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モチの木

 バイブルには、チェックポイントとして、大通寺と道路を挟んで向かいに「モチの木」があるのですが、立て札などもないので特定できません。これかな? モチノキの葉っぱをくろやぎがスマホでググって、同じだと言っていました。

 感覚派のくろやぎ、珍しく論理的。

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浅間安鷹神社

 

 浅間愛鷹神社鳥居です。

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 入り口に桃里改称の記念碑があります。桃里改称については前々回のブログでも紹介しましたが、こちらをどうぞ。

www.city.numazu.shizuoka.jp


 

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 奥に見える赤い屋根の建物が、社殿です。

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 赤い屋根に白い壁。かわいいかも。

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桜地蔵尊

 桜地蔵尊への案内表示、助かりました。ここを曲がって、また線路を超します。

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 こちらが桜地蔵尊。線路わきの小さな敷地です。

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 道祖神(?)がたくさん。

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 敷地内の休憩スペース。ちょっと疲れて来ていたので、座って、チョコを食べました。手作りテーブル&長椅子、ありがとうございました。

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植田三十郎墓

 

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 街道沿いに人里がないからと、徳川家康が奨励した開墾。この辺りは、新田がたくさんありますが、ここもその一つ。沼地だったので、困難を極め失敗に終わったとのこと。それでも功績をたたえ、こうしてお墓を建てたという説明になっていますね。

 「それにしても家康、無理難題をふっかけたな。 ひどいもんだな。」と思ってしまった。権力者って、いつの時代も・・・



八幡宮

 

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 バイブルには、「参道横は児童公園になっている」と書いてありますが、ただの広場でした。何年か前は遊具があったのかもしれませんね。

 

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 今度は真白な社殿。さっきの浅間愛鷹神社はかわいかったけど、これはおしゃれ。雰囲気は似ている。



六王子神社

 三股伝説の六王子神社です。

 生贄になった巫女「おあじ」のことを嘆いて、浮島沼に身を投げた6人の巫女たちを祀っているという、かわいそうなような、こわいような言い伝えのある神社です。

 気のせいか、参道も、ものものしい。尋常とは違う感じ? 

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 かわそうなおあじさん、と思って歩いていたけれど、おあじさんは、ここではなくて鈴川の阿字神社に祀られているんだっけと、途中から気づきました。

 

 六王子神社の三俣伝説については、前々回のブログで説明しているので、よかったらご参照ください。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

 参道横は、遊具が置いてあって、児童公園になっていました。バイブルには、触れられていなかったけれども。

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 六王子神社は、東田子の浦駅の本当に目の前にあります。今回、原→吉原と歩いたわけですが、その中間の駅です。なので、ブログもここで一息入れます。近日中に続きをアップしますので、また訪ねてくださると嬉しいです。
 ここまでおつきあいくださり、ありがとうございました。

 


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吉原宿ってどんなとこ?

 11月になりました。「走れメロス」の季節です。(夕暮れが早くて、街道ウォークの最後はダッシュになる。)

 先日の日曜日、原から吉原まで歩く予定だったのですが、静岡県の降水確率50%ということで、断念しました。せめてブログ上は、歩みを進めておきましょう。今回は、吉原宿について。

 

 吉原宿は慶長6年(1601)に、現在は元吉原と呼ばれる海岸地区に置かれましたが、高波や漂砂の被害に遭い、寛永16年(1639)に東海道を海岸から遠ざけ、宿駅も現在の八代町辺りに移しました。中吉原と呼ばれましたが、ここも延宝8年(1680)の台風による高潮で再び、移転しました。

 江戸時代に津波などで街道付替えや宿駅の所替えをした例は多数ありますが、東海道において吉原宿のように大幅に離れた3つの宿駅地が記録された例は、ありません。

 3度目の宿駅は新吉原とも呼ばれ、以後順調に発展しました。天保14年(1843)の調査に基づき、道中奉行所が作成した「宿村大概帳」によれば、吉原宿は、635戸、2832人、本陣2・脇本陣3・旅籠60でした。

 

 この最後の新吉原の宿駅が、現在の吉原商店街です。

 吉原商店街に、かつての宿場の面影は見られませんが、宿場を活かした街づくりが活発です。

 

yoshiwara-shoutengai.com

 こちら、吉原商店街のHPです。毎月一日には「吉原一の市」が開かれています。6月には「吉原祇園祭」、つい先日、10月7日には「吉原宿・宿場まつり」がありました。なかなか盛大な、商店街のお祭りのようです。また、B級グルメ「つけナポリタン」(つけ麺のナポリタン版らしい・・・)というのもあり、ちょっと興味があります。「ナポリン」という、ゆるキャラもいます。

 

 こうした活動は、旅籠であった「鯛屋旅館」を拠点に行われています。富士市のホームページでも、以下のように紹介されています。

鯛屋旅館は、吉原商店街で天和2年(1682年)より創業しています。その歴史ある旅館の一部をかつての宿場風に改装し、平成18年3月、吉原宿の象徴として「吉原本宿」をオープンしました。うどん、そば等を食べることができる「食事処」が整備されています。
また、市民の皆様に吉原地区の歴史・文化に触れ、知っていただくため、吉原本宿を会場とした歴史講座や干支凧作りを実施しています。

 

 鯛屋は、山岡鉄舟や清水次郎長の常宿として知られる、300年以上の歴史のある旅館です。現在も、旅館として営業しています。食事のみや、日帰り入浴の利用もできるようです。

鯛屋旅館|静岡県富士市吉原本町通りのビジネス旅館

 

 

 先ほどから、ずっと「吉原」と言い続けてきましたが、「吉原」は富士市の中の一地域です。では、富士市とはどのような町かと言いますと・・・

 

 富士市は、人口26万人、北に日本一の山『富士山』、南に山部赤人の和歌で知られる『田子の浦』、西には日本三大急流の一つ『富士川』など、豊かな自然を有する町です。

 これにより富士市は良質な水資源に恵まれ、製紙業をはじめ、輸送機械・化学工業等の幅広い産業が集まる『工業都市』でもあります。
 特に製紙業は、江戸時代に『駿河半紙』で名を馳せ、現代においても日本有数の紙の生産地として、富士市産業の中核を担っています。

 日本最古の富士山への登山道が富士市にはあり、また月ではなく富士山へとかぐや姫が帰る竹取物語が存在するなど、富士山信仰との歴史的繋がりも深いことが近年の研究により明らかになりつつあります。

 

 富士市は、「吉原宿」以外にも、様々な顔を持った町なのです。市のHPを見ても、吉原宿のことはあまり説明がなくて、どちらかと言うと、富士山の見える風景や自然に言及した解説が多いように感じました。

 広重さんの「東海道五十三次」でも、吉原と言えば「左富士」の画。今昔も、とにかく富士山とともにある町なのですね。

 

 参考『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)

事前チェック! 原→吉原

 秋が深まり、気持ちのいい季節になりましたね。うかうかしていると晩秋です。日暮れがどんどん早くなって、街道ウォークも「走れメロス」状態に。そんな季節に、なりましたねー。

 メロスにならないように、事前チェックはぬかりなく。ということで、次回は、原→吉原です。

 

 まず、チェックポイント(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 /山と渓谷社 で名所・旧跡としているところ)は以下の通りです。

 

  1. 西木戸(見附)跡
  2. 原一本松の一里塚
  3. 要石神社・要石
  4. 浅間神社
  5. 大通寺
  6. モチの木
  7. 浅間安鷹神社
  8. 桜地蔵尊
  9. 植田三十郎墓
  10. 八幡宮
  11. 六王子神社
  12. 間宿柏原本陣跡
  13. 立圓寺
  14. 男女双体道祖神
  15. 秋葉常夜燈
  16. 増田平四郎碑
  17. 沼田新田の一里塚
  18. 手指し道標
  19. 淡島神社
  20. 愛鷹神社
  21. 庚申堂
  22. 天文堀顕彰碑
  23. 稲荷神社
  24. 毘沙門天妙法寺
  25. 安鷹神社

 25個。まあまあですね。頑張りましょう。

 

今回の見どころと思われるところをピックアップしてみます。

 

高嶋酒造

文化元年(1804)の創業です。勅使として松蔭寺を訪れた山岡鉄舟が命名した「白隠正宗」の蔵元です。現在、酒蔵の見学や店頭販売はしていないようですが、外観だけでもチェックしたいです。原駅前です。

浮島ヶ原

 見どころというか、ぜひチェックしたいことと言うべきか。

広重さんのスポットをパチリしたいです。

で、それ、どこなんでしょう?

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浮島沼は現在では排水路によって灌漑され、当時の面影はありません。

原一本松の一里塚の北に「浮島」という地名が残り、浮島ヶ原自然公園という湿地があります。

 

浮島ヶ原の湿原には、環境省レッドデータリストや静岡県版レッドデータブックに記載されている貴重な動植物が生息しています。  そこで、この湿原の貴重な植物群落と自然風景を保全し、身近な自然を観察できる自然公園として浮島ヶ原自然公園が整備されました。 サワトラノオやヒキノカサ、ノウルシなどの貴重な植物、カワセミやアオサギなどの野鳥たち、 ハラビロトンボやアオモンイトトンボなどの昆虫など、様々な動植物との出会いを楽しめる自然公園です。(浮島ヶ原自然公園のHPより)

浮島ヶ原自然公園 -富士自然観察の会

 それより西へ進んだところにある「浅間愛鷹神社」を過ぎると松林の先に東田子の浦が見えてきて、ここから北へ見上げる富士山は、四季を通じて美しいそうです。
東田子の浦には、かつて「柏原の立場」があり、浮島で獲れる「浮島鰻」が名物だったとか。
いろいろ考え合わせると、原一本松の一里塚から東田子の浦に至る道の北側がかつて浮島ヶ原といわれた場所で、この広い範囲のどこかということかなあ・・・・

「ここかな? いやいや、こっちかな?」と探しながら歩いて、もしも、「ここが広重さんのスポットですよ~」という説明板でも見つかったらいいなあ。

当日は晴れて、富士山と愛鷹山が並ぶ景色、見ることができますように。

 

要石神社

 

なんと建物はなく、鳥居と敷石を残すのみです。境内敷地内に露出している大きな石が「要石」。

 

大きな安山岩が露出していて、この石よりは高潮が来ないとか、安政の大地震の時は被害が少なかったといわれている。寛永の初め頃(江戸時代17世紀)一本松新田の開拓者大橋五郎左衛門が祀った。

言い伝えによると「要石は地上に顕れたる部分はわずかであるが、地中に隠れたる部分は実に大である。祠より北三町をへだてる、大橋源太郎氏宅地井戸端辺の間に広がった一面の巌石で、太古地中に大鯰が居て数々動きて地震を起こし人畜を害した、依って此の大岩石を彼の鯰の頭上に載せ以て自由に動くことが出来ないようにした。因ってこれを要石という」そうである。要とはもともと扇子の骨をまとめるための金具で、転じて、鯰の動きを押さえるのもまた要であるという意味からこの名がついた。

また、要石神社は、耳の悪い者はここに祈願して穴あきの石をあげると必ず治るともいわれている。(沼津市HPより)

 

www.city.numazu.shizuoka.jp

 

 

浅間愛鷹神社


「せんげんあしたかじんじゃ」と読みます。結構大きい神社みたいです!
神社の前に改称記念碑があります。

 

浮島ヶ原を最も早く開墾したのは、遠州の浪人だった鈴木助兵衛である。同名の父、鈴木助兵衛良正が小笠郡堀田城にいた武士で、安倍郡の下足洗新田を開発した後、2代目助兵衛が天正2年(1574)頃浮島ヶ原へ来てこの地を開き、助兵衛新田と称したという。
明治41年(1908)に県知事に改称を申し出、当時この辺りでは桃をよく作っていたので桃里と改めた。この碑は、桃里改名の経緯を記し、助兵衛の功績をたたえている。愛鷹浅間神社の前に建てられている。(沼津市HPより)

せっかく開墾した助兵衛さんに、ちょっと申し訳ない気もしますが・・・

www.city.numazu.shizuoka.jp

 

六王子神社

 

私は、怖い話は、すごくすごくすごーく苦手なのですが・・・

怖い話の神社として、まず上がってくるのがここ。

三股伝説の神社です。

 

昔、沼川・和田川・潤井川が合流し、深い淵になっているところを三股といい、龍が棲んでいて、毎年、少女がいけにえとして捧げられていました。ある年、京に向かう七人の巫女がクジを引き一番若い「おあじ」が犠牲となってしまいました。残された六人は京から戻ると悲しみのあまり浮島沼に身を投げてしまいました。この六人を祀ったのが六王子神社で、おあじは鈴川(吉原)の阿字神社に祀られています。

 

 

立圓寺

 

JR東田子の浦駅を出て東海道を少し西へ進むと、「正法山立圓寺」というお寺があります。
この一帯は東海道の宿場である原宿と吉原宿の中間に位置しており、間宿柏原が設置されていたと考えられる場所です。
とりわけこの場所は眺めがよく、参勤交代の行列が、休憩がてら富士山の眺望を楽しんでいたと伝えられています。

境内には一基、美しく、そして険しい富士の姿をかたどるかのような、自然石の碑が建立されています。

「望嶽碑」と刻まれたこの碑は、文化5年(1808)5月、尾張藩の典医であった柴田景浩(1745~1812)という人物が建立したものです。
医学のみならず、墨竹画にも優れていた景浩は、この地から望む富士山の美しさに感銘を受け、この碑を建立しました。

(以上、下記のサイトより引用しました。)

www.city.fuji.shizuoka.jp

 

毘沙門天妙法寺

 

 今を去る千年余、山伏たちが寺裏の田子の浦海岸で水ごりを取り、海抜ゼロメートルから富士山に登った禊ぎの道場でした。
 三万八千坪の寺領は戦国時代に武田氏の東海道進出の砦となり、これを受けて徳川頼宣公(徳川家康側室お万様の長子・徳川御三家紀州公)が長く駐留したこともあいまって 「出世本懐の地」と呼ばれています。
 主神毘沙門天像は聖徳太子の作と伝わり「太子両肩上湧現の尊像」と言って聖徳太子の肩の上に立った珍しい様式の像です。
 正月のだるま市は高崎、深大寺と並んで、日本三大だるま市の一つです。境内の洞窟には、七福神が祀られています。

 

次回の終着地点、吉原としていますが、正確には「元吉原」で、本陣のある場所までは行きません。

吉原宿は津波被害などで、二度移転しています。最初にあったのが「元吉原」です。

元吉原はJR吉原駅周辺で、駅の南は山部赤人の歌で有名な田子の浦港となっています。

吉原宿の本陣があるのは岳南鉄道の吉原本町駅です。

街道ウォークをしていると、最後は時間が迫り、くろやぎ(同行人&夫)のスタミナも切れます。ここは無理せず、元吉原を最終地点にするのが賢明かと思います。

また、せっかく吉原宿まで歩いたとしても、吉原本町から吉原駅に出るための岳南鉄道は、本数が少ないかもしれず、帰りが遅くなってしまいます。先を急がず、JR吉原駅から、スパッと電車に乗って帰る方がいいかなと思いました。

次の次の回に、朝から爽やかに(!)、吉原駅を降りて吉原宿までの道を堪能したいと思います。

 

ここまで、お付き合いくださりありがとうございました。

また、訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

まちなみウォッチ! 沼津→原

 今回は、町並みに焦点を当てて、沼津→原の東海道ウォークをレポートします。

 心に残った風景、思わずツッコミを入れたくなったショットなど、気ままにアップします。

 

 まず、出発地点、沼津駅前ロータリーです。この日は朝から快晴。青空に、駅前ビル・ラクーンがくっきり映えています。

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 ロータリーの中にあった、沼津ゆかりの人・井上靖の碑。

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 「もし原子力より大きい力を持つものがあるとすれば、それは愛だ。愛の力以外にはない。」

 

 いつ建てられたものなのか確認しなかったのですが、「原子力」と「愛」を同じカテゴリーで比べているところが、今となっては、すごい違和感。

 

 隣にはこんな碑も。

 

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JR東海一周年記念(昭和63年4月)に建てられた、「沼津機関区略史」を記した碑。

 

 隣にもう一つ。こちらは沼津市民憲章

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1.緑と水と空、このかけがえのない自然を守りそだて、清潔な環境をつくります。

1.すすんで心身をきたえ、健康と文化の向上につとめます。

1.仕事に生きがいを見いだし、意欲をもって働きます。

1.人権を尊重し、時間と規則を守ります。

1.善意と思いやりをもって、暖かい家庭と社会を育てます。

  ほう・・・ なんか、昭和の香りがする。あえて、ツッコミはしません。

 

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 ラクーンビル壁面に、「ラクーンよしもと劇場」の看板。新宿アルタみたい。ラクーンでは毎日、よしもとのライブをやっているようですよ。

 

 川廓通りです。前回のウォークでも写真を載せましたが、朝はやっぱり光線が十分でいいですね。左手の土手に上がると狩野川です。

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 土手の上から。なかなか良い眺めです。ここは、広重さんの「東海道五十三次」のスポットです。前回、パチリしそびれたので、立ち寄りました。よい写真が撮れて満足です。広重さんの画と、比べてご覧ください。

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 御成橋付近の交差点にて。沼津宿についてモニュメントがありましたので、説明部分をアップします。

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 このあたり、船着き場があって、とてもにぎわっていたことが、書かれています。

 

 本陣が並ぶ通り。前回は浅間神社のおまつりで大そうにぎわっていましたが、今日はこんな感じです。

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 静岡銀行を右に折れて少しの所に、こんな和菓子屋さんが。いかにも老舗っぽい古い構え。心惹かれますが、先を急ぎます。

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 浅間神社鳥居前です。鳥居が三つもあって、その向こうに本殿。前回はお祭りでよくわからなかったけれど、大きな境内だったのですね。

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 鳥居横のお茶屋さん。「するが茶どころ」という文字に心惹かれました。

 ちなみに、私の育ったところは、♪狭山茶どころ♪と歌われている(○○○音頭 ドリフターズがアレンジしてブレイクしました)あの町です。

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 浅間神社近くの街道沿いにある果物屋さん。果物だけ売っている個人商店、最近では珍しくなりましたね。結構広い店内にフルーツがいっぱい。店主の男性が、お店の中を点検されていました。商売繁盛しますように。 

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 びっくり。そびえ立つゴジラ。保育園の園庭です。ゴジラがお迎え。うちの末っ子(今はクールな18歳男子)だったら、泣いたかも。

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 チェックポイントでなかったので、前々回のレポートには載せませんでしたが、「出口見附」のモニュメントを見つけたのでアップします。

 てか、「見附跡」なら、チェックポイントにした方がいいんじゃないかな? どうした、マッキー?(バイブル『ちゃんと歩く東海道五十三次』の著者・八木牧夫さん)

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 西高入口交差点の風景です。 足元のマンホールをパチリします。

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千本松原手前の看板。「ゴミをすてちゃイヤ!」

わかったから、そんなに泣かないでね。

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  こちらが千本松原。

 当初あった松原は戦国時代、三枚城をめぐる合戦のときに伐採され、住民は塩害に苦しめられ続けました。これを見かねた浄運寺の開祖・増誉上人が松の苗を手植えしたのだそうです。大正期に伐採の計画が浮上した時には、この地をこよなく愛した若山牧水が、先頭に立って反対したということです。

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 千本松原から、西の方向を望みます。海から遠い場所に住んでいる私は、海を見ると、いちいちパチリしたくなります。(富士山もいちいちパチリしたくなりますが・・・)

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 西間門の交差点の手前に、「間門」の地名の由来を説明するモニュメント。バイブルのチェックポイントではありませんが、興味深いのでアップします。

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 昔、この地南の浜で閻魔大王の首が網にかかりました。首の後ろには「天竺魔訶陀(まかだ)国)と彫られていました。村人はお堂を建て、胴体手足を作って像にしてお祀りしたという言い伝えから」「間門(まかど)」という地名がつけられたという説があります。

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 西間門の交差点。分かれ道になっていて、右が旧東海道、左が千本街道。「白隠正宗」の看板が、目が引かれます。

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西間門の八幡神社鳥居脇にあった横断旗。

私が小学生だったころ、普通にあった黄色い横断旗(ハイ、使わせていただきました)、このごろはさっぱり置いてあるところを見なくなりましたが、沼津市では、あちらこちらにありました。持って行かれたりしないし、乱雑にもされず、きちんと入れ物にさしてあって、感心してしまいました。そんな、よくあった光景の一つです。

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 えーと、「ハイム ア×××ス」??? 君の名は? 先日の台風で落ちたのかな。

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 しばらく、こんな真っ直ぐな道が続きます。何か、面白いもの、ないかなーと歩いていると・・・

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 ん? 信楽焼の狸さん。玄関の前に全員集合。これだけあると、インパクト大ですよ。

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 片浜小学校です。なぜこれをアップしたかといいますと・・・

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 門の壁にあった、この地図がなかなか良かったからです。

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 平成26年度の卒業生が作った災害マップです。危険個所と、自治会選定津波避難ビルが書き込まれています。こういうのって、配られて家に持って帰って冷蔵庫に貼ったりするけど、それだけじゃダメ。こうして人目に付くところにあるのって、とても意味があると思います。

 

 富士急バスのバス停。これもたくさん見てきました。写真ではわかりにくいですが、小さめ(背が低い)でかわいいです。歩いていて邪魔にならないし、安定感があって強風にも強いのではないかしら。なかなかいいと思います!

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 こちらも、たびたび見かけました。「こどもかけこみ110番のいえ」を示す看板。かわいいイラストになごみます。

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 もうひとつ、たびたび見かけて、いいなと思った表示。「通学路 スピードはひかえめに」 かめさんの絵がかわいいです。

 沼津を歩いていて、実は何度も、車の方に、道を譲っていただきました。東京なんか、めったに止まってもらえないのに。心が広い、ゆったりした地域性なのかなと思いました。前回のブログでも書きましたが、このウォークで、沼津のファンになりました。

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 この看板も、目立っていたのでパチリ。かわいさでは「かけこみハウス」や「通学路」に負けるけど、頑張った感があるので。

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 久々にツッコミしてしまいます。遊園地。

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 神社境内の中の「遊園地」です。

 私の育ったところも、神社があって遊具があって、そこで学校帰りにたくさん遊びました。

 左のぐるぐる回る遊具、回転搭というらしいですが、今では危険遊具とかで、さっぱり見かけなくなりました。

 かくいう私も、校庭の回転搭で遊んでいて顔から落ちて、顔面が大変なことになったことがありました。思い出すだけで、痛い。

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 沼津には、昭和の風景が、あちらこちらに残っていあるように感じます。

 

 片浜駅です。遠くから写真だけ撮って通過。

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 お茶屋さんの看板に、心ひかれました。(私、「狭山茶どころ」出身なので)

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 幟がはためいているのもいいです。

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 お茶屋さんの土蔵です。奥行きがすごいです。ここで、製茶をしているのですね。本場&本格的。

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  古い民家を一部改装した古本屋さんがありました。

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 大きな立派な門構えの昔ながらのお屋敷。お医者さんです。

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 東海道線の踏切を渡ります。(原踏切)

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 清梵寺前のお食事処です。風にはためいて、うまく撮れなかったのですが、ラーメンあり、かき氷あり、メニューが豊富ですね。

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 清梵寺から西念寺までは、旧東海道より一本南に並行している小道を歩いてみました。「白隠道」といいます。 道沿いに清梵寺、長興寺、松蔭寺、西念寺があります。

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 途中に、こんなおしゃれな看板がありました。

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 こちらが、看板のケーキ屋さん。

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 帯笑園。沼津の名所のひとつらしいですが、ひっそりとしていました。公開している様子はなさそう。

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 説明板をアップします。

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 原宿の有力な家、植松家のに庭園で、珍しい植物や盆栽が集められていることで有名だったようですね。管理とか一般公開とかは、まだまだ試行錯誤中のようです。詳しくは、説明をご覧ください。

 

 明徳稲荷手前の「カタバ公園」。小さな緑地ですが、右奥に見える青い井戸に、注目です。

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 注意書きも、いいですね。ふりがなも、きちんと振ってあります。

「この手押しポンプは、災害の時に使用するものです。普段は花壇の水等に使ってください。子供達は一人ぅつで遊び、手押し棒以外の所には触らないこと。」

 

 明徳稲荷の宮司さんが、「昔この辺りは、小学校の敷地だった」とおっしゃっていましたが、明徳稲荷から原駅に向かう途中に、こんな広場がありました。

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 高等尋常小学校跡です。説明板によれば、明治20年7月7日、原尋常小学校として開校されたそうです。昭和7年11月に暴風雨で校舎が倒壊。昭和9年に別の土地に校舎が移転するまでの47年間、原地区の教育の場でした。

 ちなみにここの名前、「原駅前公園」だそうです。

 

 路面にこんな表示を発見したので、パチリしました。 

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 原駅の駅舎です。古い建物ですね。シンプルで味がある。

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 駅舎に建って町の方向を見ると、富士山が。

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 原駅、プラットホームです。

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 駅のホームからも、富士山が見えました。よい旅でした。

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 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 ついついさぼりがちでしたが、また頑張って更新します。 東海道を歩く旅、次回は、原→吉原です。

 また、訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


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