てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

吉原宿ってどんなとこ?

 11月になりました。「走れメロス」の季節です。(夕暮れが早くて、街道ウォークの最後はダッシュになる。)

 先日の日曜日、原から吉原まで歩く予定だったのですが、静岡県の降水確率50%ということで、断念しました。せめてブログ上は、歩みを進めておきましょう。今回は、吉原宿について。

 

 吉原宿は慶長6年(1601)に、現在は元吉原と呼ばれる海岸地区に置かれましたが、高波や漂砂の被害に遭い、寛永16年(1639)に東海道を海岸から遠ざけ、宿駅も現在の八代町辺りに移しました。中吉原と呼ばれましたが、ここも延宝8年(1680)の台風による高潮で再び、移転しました。

 江戸時代に津波などで街道付替えや宿駅の所替えをした例は多数ありますが、東海道において吉原宿のように大幅に離れた3つの宿駅地が記録された例は、ありません。

 3度目の宿駅は新吉原とも呼ばれ、以後順調に発展しました。天保14年(1843)の調査に基づき、道中奉行所が作成した「宿村大概帳」によれば、吉原宿は、635戸、2832人、本陣2・脇本陣3・旅籠60でした。

 

 この最後の新吉原の宿駅が、現在の吉原商店街です。

 吉原商店街に、かつての宿場の面影は見られませんが、宿場を活かした街づくりが活発です。

 

yoshiwara-shoutengai.com

 こちら、吉原商店街のHPです。毎月一日には「吉原一の市」が開かれています。6月には「吉原祇園祭」、つい先日、10月7日には「吉原宿・宿場まつり」がありました。なかなか盛大な、商店街のお祭りのようです。また、B級グルメ「つけナポリタン」(つけ麺のナポリタン版らしい・・・)というのもあり、ちょっと興味があります。「ナポリン」という、ゆるキャラもいます。

 

 こうした活動は、旅籠であった「鯛屋旅館」を拠点に行われています。富士市のホームページでも、以下のように紹介されています。

鯛屋旅館は、吉原商店街で天和2年(1682年)より創業しています。その歴史ある旅館の一部をかつての宿場風に改装し、平成18年3月、吉原宿の象徴として「吉原本宿」をオープンしました。うどん、そば等を食べることができる「食事処」が整備されています。
また、市民の皆様に吉原地区の歴史・文化に触れ、知っていただくため、吉原本宿を会場とした歴史講座や干支凧作りを実施しています。

 

 鯛屋は、山岡鉄舟や清水次郎長の常宿として知られる、300年以上の歴史のある旅館です。現在も、旅館として営業しています。食事のみや、日帰り入浴の利用もできるようです。

鯛屋旅館|静岡県富士市吉原本町通りのビジネス旅館

 

 

 先ほどから、ずっと「吉原」と言い続けてきましたが、「吉原」は富士市の中の一地域です。では、富士市とはどのような町かと言いますと・・・

 

 富士市は、人口26万人、北に日本一の山『富士山』、南に山部赤人の和歌で知られる『田子の浦』、西には日本三大急流の一つ『富士川』など、豊かな自然を有する町です。

 これにより富士市は良質な水資源に恵まれ、製紙業をはじめ、輸送機械・化学工業等の幅広い産業が集まる『工業都市』でもあります。
 特に製紙業は、江戸時代に『駿河半紙』で名を馳せ、現代においても日本有数の紙の生産地として、富士市産業の中核を担っています。

 日本最古の富士山への登山道が富士市にはあり、また月ではなく富士山へとかぐや姫が帰る竹取物語が存在するなど、富士山信仰との歴史的繋がりも深いことが近年の研究により明らかになりつつあります。

 

 富士市は、「吉原宿」以外にも、様々な顔を持った町なのです。市のHPを見ても、吉原宿のことはあまり説明がなくて、どちらかと言うと、富士山の見える風景や自然に言及した解説が多いように感じました。

 広重さんの「東海道五十三次」でも、吉原と言えば「左富士」の画。今昔も、とにかく富士山とともにある町なのですね。

 

 参考『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)