てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

暦と水の街・三島宿

 こんにちは!

 日本橋から品川まで、歩いてみてからちょうど1年経ちました。「とりあえず箱根くらいまでなら行けるんじゃない?」が、「やっぱり京都三条大橋でしょ!」になり、箱根の石畳でへとへとになった現在では、どこまで行くかはペンディング。

 街道ウォークスタート1周年記念日にあたる今日は、前回到着した三島宿について、ざっくり下調べをしますので、お付き合いください。

三島と言えば三嶋大社ですね!

 三島は古くから伊豆の国府であり、伊豆地方の政治・文化の中心でした。宿駅となってからは、箱根峠を控える宿として、また三島明神(現在の三島大社)の門前町として大いににぎわいました。とりわけ街道の難所である箱根峠を無事越えた人々は。「山祝い」として祝杯をあげました。

 こちら前回の三嶋大社の写真です。へろへろに疲れて山祝いの祝杯ではなく「デニーズ」の遅いランチでしたが(笑)、そのあとに参拝しtました。

 

 

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なぜ暦の街か? 

 この三嶋大社の社家(三嶋大社の神職に従事する人々)である河合家は、江戸時代に三嶋暦を発行しました。三嶋暦は、仮名文字の暦は仮名文字の暦としては日本最古の太陰太陽暦で伊豆地区を中心に広く関東方面で使用され、毎年、幕府にも献上されています。平仮名であることから「わかりやすい暦」として足利学校でも使用されました。

 また、木版刷りの品質が良く、細字の文字模様がたいへん美しいことなどから、旅のみやげやお歳暮などとして人気がありました。価格は慶応4年で、綴り暦(16ページ)が150文(今の価格で3,000円くらい)、一枚ものが15文(今の価格で300円くらい)でした。

 河合家の主屋は、安政地震の被災直後に再建され、現在では「三嶋暦師の館」として三島市が資料館として公開しています。人気のあった三嶋暦を、現代風に再現させた「現代版・三嶋暦」の販売もしています。

 チェックポイントには入っていないのですが、三嶋暦師の館、おもしろそうですね。寄ってみようかな?


 ところで三島宿の中心地はJR三島駅の南口を出て、名勝「楽寿園」(明治23年に小松宮影仁の別邸として造営。昭和23年から三島市立公園として一般開放)を右に見て進み、本町交差点を出たあたりでした。
 天保14年(1843)の記録では、家数1205軒、人口4048人となっています。

 三嶋大社や「三嶋暦師の館」は歴史を感じさせますが、宿場後には残念ながら本格的な江戸建築は見当たりません。

なぜ水の街か?

 三島宿の北方の菰池や小浜池から富士山の地下水が湧きだし、小川となって街中を流れています。

 宿場町ならではの古い町並みの名残りはありませんが、湧水の流れに沿って「水辺の文学碑」が並べられ、散策が楽しめるようになっています。

 こちらは前回の写真です。とても暑い一日でしたが、見た目だけは涼やかだった(?)かもしれません。

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 「三島と言えば三嶋大社でしょう「」というのは広重さんも同感だったようで・・・

 久しぶりに広重さんの浮世絵です。

 安藤広重「東海道五十三次」三島 副題《朝霧》

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 早朝の薄明かりの中、朝霧立ち込める宿場を旅立つ人々を描いています。画面中央に描かれた駕籠に乗る人の表情に注目。朝早くて眠そうなのがおもしろいです。馬の背の両端につづらを乗せて、その上に座る乗り方は乗掛といいました。

 この一行以外はすべてシルエットとして描かれている手法にも注目。円山応挙によってはじめられたシルエット描写の影響を受けたものだそうです。広重さん、研究熱心ですね。この手法により、三嶋大社の鳥居もシルエットですが、大きくて立派な鳥居でしたよ。

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 この写真は前回撮影したもの。境内の方から街道を眺めています。広重さんの画と同じ構図の写真、取り忘れてしまいました。いつも忘れないでいたのに、全く頭をよぎらなかったです。本当にへとへとだったもので。失敗失敗・・・

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

*以下を参考にしました。
『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)
『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)

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