てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

先取りチェック! 箱根湯本→関所跡

 次回は、箱根湯本の石畳入口から関所跡まで歩きます。なかなかの勾配の道であるうえに見どころも多く、距離も長い。迷っている余裕はありません。しっかり押さえておかねば・・・

 

 街道ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)でチェックポイントとなっているのは以下の通りです。

 

  1. 福寿院・箱根観音
  2. 初花の滝碑
  3. 駒形神社
  4. 鎖雲寺
  5. 弘法のいぼ取り水
  6. 女転ばし坂
  7. 割石坂
  8. 大沢坂
  9. 道祖神
  10. 茗荷屋
  11. 駒形神社
  12. 守源寺
  13. 一里塚跡
  14. 檀木坂
  15. 見晴らし茶屋
  16. 猿滑坂
  17. 追込坂
  18. 笈の平親鸞上人石碑
  19. 甘酒茶屋
  20. 於玉坂
  21. 史跡旧街道碑
  22. 白水坂
  23. 天ヶ石坂
  24. 箱根馬子唄の碑
  25. お玉観音堂
  26. 権現坂
  27. 史跡旧街道碑
  28. ケンペル・バーニー碑
  29. 興福寺
  30. 賽の河原
  31. 身代わり地蔵
  32. 一里塚跡
  33. 旧東海道箱根杉並木碑
  34. 関所跡

 

 34箇所かぁ・・ やや多めだけど、そのくらいの数のこともあったよね? 戸塚→藤沢とか・・・ ただ、今回は山道の34箇所だから、覚悟しておこう。「○○坂」というチェックポイントが多い。坂ばっかりなんですね。

 

 今回、特に注目していることは・・・

 

石畳

 箱根旧街道は慶長9年(1604)に松や杉を植林し、坂道には竹を敷きましたが、補修費がかさむため、幕府は延宝8年(1680)以降、石畳に改修しました。坂道だけに敷き、集落内や平坦部には設けていません。

 

甘酒茶屋

 江戸時代には4軒の茶屋がありましたが、現存するのは1軒だけです。米麹から作った甘酒や力餅、味噌おでんなどの名物が味わえます。

 茶屋の隣に「箱根旧街道資料館」があるので、できれば立ち寄りたいです。

 

杉並木

 元箱根付近には江戸時代の杉並木がそのまま残されています。松並木が一般的な東海道にあって、杉並木は大変珍しいです。

箱根関所・箱根関所資料館

 元和5年(1619)1680に設置されました。幕府が設置した53の関所の中でも重要視された関所で、主に「出女」を厳しく取り締まりました。箱根関所では「入鉄砲」も取り締まりは行われていません。

 現在の御番所の建物は、昭和40年(1965)に大番所を模して建てられたもの。当時の位置とは道を挟んで反対側に建てられています。関所は平成19年(2007)の建造で、資料館になっています。

 

ケンペル・バーニー碑

 突然のカタカナ(外国人名)に気になって、調べてみました・・・

 エンゲルベルト・ケンペルは元禄年間オランダ通信使の医師として来日したドイツ人で、彼の死後、弟子たちによってまとめられた『日本誌』は、全世界に日本の文化や諸相を広く紹介したものです。

 シリルモンタギュー・バーニーは、大正年間に芦ノ湖畔に別荘を構えたイギリス人貿易商で、彼は『日本誌』の序文を引用し、石碑に刻むことにより、「箱根の美しさを子孫の代まで守り伝えなければならない」という“自然保護の精神”を訴えかけました。
この2人の意思を継いでいくことを目的に、昭和61年(1986)から箱根町の住民が中心となり、この場所で毎年11月23日に「ケンペル・バーニー祭」が開催されています。

 

寄木細工の里・畑宿

 これに関しては個人的に思い入れが・・・。子どもの頃(小学校2年生のとき)両親と箱根に来た時、畑宿の寄木細工を見学して、20回で開くという箱を買ってもらいました。今でも宝物です。30回だか40回で開くのも考案中とかで、必ず作るから、今度買いに来た時には見せてあげると言われ・・・。母がそれを覚えていて、随分たってから(私が大人になってから)訪れて、30回の箱を買って私にプレゼントしてくれました。でも、難しくて開けることが未だにできません(汗)。

 畑宿寄木会館、訪ねてみたいです。母にお土産を買おうかな。

 

最後に箱根宿について

  家康は宿駅伝馬制を開始した慶長6年(1601)には、小田原から三嶋までの8里(約31.4キロ)を一挙に旅させましたが、秀忠は元和4年(1618)に箱根宿の設置を決断し、小田原・三嶋両宿から50戸ずつ箱根に移住させ、関所も開設しました。

 箱根峠は標高845m、勾配は平均20%・最大40%の急坂で、ローム層の滑りやすい過酷な道でした。

 箱根地区には平坦地はなく農業には不向きで居住不可能な場所でしたが、幕府は宿駅として優遇策を講じ、江戸後期には本陣6、脇本陣1、旅籠72の規模となりました。天保14年(1843)の調査では、宿内総戸数197戸、人口わずか844人であるのに対し、旅籠率は4割と東海道で最多、旅人に依存する宿駅でした。ちなみに本陣6も東海道で最多です。 

 明治五年(1872)に伝馬制度が廃止されると、箱根宿も宿場としての機能を失うこととなり、同時に明治初期の箱根は温泉場を中心とした国際観光地としてスタートを切りました。

 開発は、箱根七湯および七湯道方面に集中し、東海道箱根八里や箱根宿は時代の波から取り残されてしまいました。

 この地域が再び脚光を浴びるきっかけとなったのが明治十九年(1886)の箱根離宮の竣工です。離宮の出現は、この地域が避暑・保養にふさわしい場所であるということを広く宣伝することとなり、旧箱根宿は風光明媚な避暑・保養地として新たなスタイルを確立し、現在に至っています。

 

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 安藤広重の東海道五十三次・箱根湖水図(保栄堂版)です。実際よりも勾配などかなり誇張されて描かれていますが、険しいという実感を伝えたかったんだと思います。山道を上る大名行列が、難儀しているのがよくわかります。芦ノ湖湖畔に箱根神社の社殿がさりげなく描かれています。無事に山を越せますように。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねて来てくださると嬉しいです。