てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

須賀しのぶ『また、桜の国で』

 「てくてくわくわく」を謳いつつ、ウォークから遠ざかっていますが(汗)。

 今週も読書ブログを。

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 『また、桜の国で』 須賀しのぶ 祥伝社

 時節柄、タイトルに引き込まれて読みました。2016年下半期の直木賞候補作でもあったようです。この時の受賞作は恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』でしたね。私は、『また、桜の国で』の方が好みです。『蜜蜂』は、少女マンガみたいな描写が、しっくりこなかったんです。好みの問題ですけど。すみません。

 

 さて、こちらは、『蜜蜂』とは一転、堅いテーマの重たい話です。第二次世界大戦の口火が切られたポーランドが舞台です。ポーランドに侵攻したのは、ヒトラーが率いるナチス。ナチスと言えばユダヤ人の迫害。その惨状は、戦後、世界中に知られるところとなりましたが、ポーランド人への差別はあまり知られていません。そして、戦前、日本とポーランドが大変な友好関係を結んでおり、ポーランド人が親日的であったことに関しては、意外に思う人も多いのではないでしょうか。私もよくわかっていなかったのですが。

 この本を紹介するうえで、ポーランドの歴史については触れなければなりませんので、ごくざっくり説明させていただきますと、ポーランドは、分割と侵攻を繰り返された挙句の果てに、国家機能まで失ってしまったという、悲しい境遇の国でしたが、当時の支配だったロシアの弱体化により、悲願の独立を果たします。1918年のことでした。では、なぜポーランドが親日的だったかというと、ロシア革命の後、シベリアに抑留されていたポーランド人の孤児を、日本が保護して祖国に帰したのだそうで、以来ポーランド人の孤児は日本への恩を忘れず、日本でも一時期、ポーランドブームが起きたのだとか。

 

 『また、桜の国で』は、まだ日本とポーランドがそうした信頼関係を保っていた1938年から始まります。主人公の棚倉慎はロシア人を父に持つ日本人。母が日本人なので、いわゆるハーフ。外務書記生として、ワルシャワの在ポーランド日本大使館の着任しました。ドイツによるポーランド侵攻は1939年。まさに第二次世界大戦勃発前夜でした。

 日本大使館としては、友好関係にあるポーランドの信頼に応えるため、奔走・交渉を繰り返すのですが、遠い本国に思いは届かず、また世界情勢の波に逆らえず、ポーランドからの出国を決断します。

 一方、棚倉慎は、日本を経由してポーランドに帰った孤児たちが作った「極東青年会」に出会います。大使館の書記生として親交を結んでいたのですが、ポーランド情勢が厳しくなるにつれ、彼の入れ込みようも深まり、職業としての介入を越えているかのような危険な交流も。というのも、彼には、子どもの頃にポーランド孤児との忘れられない思い出があったからです。そして何より、彼自身が、自分は何者なのか、日本人なのかどうかというアイデンティティの悩みを抱えていたことが、そうさせていたのでした。

 はたして、彼のとった行動は・・・。そして結末は?

 

 正直に言いますと、各書評で絶賛されているほど、私は感銘を受けませんでした。彼の取った行動は、私にとっては不可解な部分もあったからです。何を不可解に感じたかはネタバレになるから控えます。

 加えて、設定に無理があるようにも思えました。もし、これが実話なら、感動したと思います。たとえば杉原千畝さん。ユダヤ人のビザを発行したリトアニア大使館の大使の話はとても有名ですが、自分の地位を利用して、できることをぎりぎりまで敢行した勇気は本当に素晴らしいです。実話だということが、感慨ひとしおです。

 しかし、実話でないならば、主人公はどのようにも行動できる。むしろ、フィクションで通常では説明できないような行動をさせるならば、そこに至るまでの説明が本当に納得できるものでなければなりません。物語を作りこんで作り込んで、もっと作り込まないと、感動できないと思います。フィクションって、難しいですね。

 もちろん、作者の須賀しのぶさん、たくさんたくさん説明されているのですけれど、やっぱりまだ足りない。申し訳ないけれど、まだ足りないです。私の感動ポイントが鈍いのかなあ・・・

 

 史実にのっとったフィクションの難しさを感じた1冊でした。

 

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。週1~2の更新ですが、また、訪ねて来てくださると嬉しいです。