てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

先取りふむふむ 大磯→国府津

 次回のウォークは国府津までです! 次の宿場は小田原ですが、17.0㌔もありますからねえ・・・ 国府津でいったん区切ります。 それにしてもチェックポイント、たくさんあるなぁ。

ここでいうチェックポイントとは・・・

 初回から街道ウォークのバイブルにしています『ちゃんと歩ける東海道五十三次」(八木牧夫 山と渓谷社)で著者の八木牧夫さんが見どころとして挙げている箇所をいいます。

 正直言って、「なんでこれが見どころなの~?」と思ってしまった場所もありましたが、大体においてはずれはないし、スタンプラリーみたいな感覚でチェックポイントを探すのも楽しい。なので、当分、このやり方で行こうと思います!

 

さて、次回のチェックポイントは・・・

 

  1. 島崎藤村旧宅
  2. 妙昌寺
  3. 上方見付跡
  4. 滄浪閣
  5. 宇賀神社
  6. 八坂神社
  7. 道祖神(小磯幼稚園入口)
  8. 道祖神(切通橋)
  9. 旧吉田茂邸
  10. 西長院
  11. 宝前院
  12. 国府本郷の一里塚跡
  13. 道祖神(大磯警察署)
  14. 男女双体道祖神
  15. 国府祭座間問答石
  16. 宝積院
  17. 六所神社鳥居
  18. 道祖神(六所神社そば) ここまで大磯町
  19. 名残り松 これより二宮町
  20. 塩海の名残り
  21. 我妻神社鳥居
  22. 小沢寺
  23. 藤巻寺
  24. 道祖神(山西)
  25. 一里塚跡
  26. 密厳院薬師堂
  27. 茶屋本陣跡
  28. 稲荷神社
  29. 男女双体道祖神(押切坂)ここまで二宮町
  30. 浅間神社 ここより小田原市
  31. 車坂碑
  32. 大山道道標
  33. 道祖神(前川村)
  34. 男女双体道祖神(中宿公民館そば)
  35. 長泉寺
  36. 男女双体道祖神(前西川)

 

 おぉ! 36個もある!

 ちなみに、「20.塩海の名残り」と「21.我妻神社鳥居」の間にJR二宮駅があります。ここでタイムアウトになったりして・・・ いやいや頑張ろう。目指せ国府津。

 「29.男女双体道祖神(押切坂)」の後、押切橋で中村川を渡ると、小田原市になります。

 なお、小田原宿の入り口は江戸見付(山王口)であり、今回のウォークには含まれません。小田原宿は見所がたくさん。もう少し先の方が、ちょうどいいや。

 

見どころの中の見どころ?

 別荘地・こゆるぎの浜

 「こゆるぎ」という不思議な響きの言葉は、万葉集や古今集などに詠まれた「よろぎ(ゆるぎ、こゆるぎ、こよろぎ)の磯」のことです。明治になって、この浜の風景を好んで、文豪や政治家たちが別荘や邸宅を建てました。。

 まず、浜の手前にあるのが伊藤博文の旧宅滄浪閣。現在は中華料理店として営業しているようです。こゆるぎの浜を望む海岸地帯には、かつて東側から旧山内邸、旧徳川邸、旧山県邸、旧沖邸、旧大隈邸、旧西園寺邸、旧池田邸が並んでいました。

 吉田茂の旧邸はさらに西にあります。平成21年に火事により焼失してしまいましたが、昭和22年に建てられた応接間棟と昭和30年代に建てられた新館を中心に再建され、平成29年4月から一般公開されています。ちゃんと見ると、とても時間がかかりそう。悩ましいです。ささっと観る感じになる予感。

 

立場 二つ

 宿場と宿場の間に設けられた立場(たてば)は、人馬の交代をしたり旅人が休憩をしたりと、街道の旅の重要拠点でした。街道ウォーカーとしては見逃せないチェックポイントなのです。

中丸

 中丸の地は、大磯宿より一里(約4km)離れたところで「立場」と称し、荷馬の休息所だったそうです。その名残の場所を見つけられるかどうか・・・(ガイドブックに詳細は載っていません。)

梅沢

 押切橋の手前に「梅沢の立場」とも呼ばれた休憩所があり、茶店が軒を連ねていたそうです。チェックポイント「27.茶屋本陣跡」がこれにあたります。「押切坂上」という交差点の辺りですので、眺めのいい場所だったのでしょう。江戸の旅人の気分で、佇んでみたい。

絶景

袖ヶ浦

 二宮駅付近の海岸の「袖ヶ浦」という名前は、ヤマトタケルのために、走水の海に身を投げた弟橘媛の袖が流れ着いたという伝説によります。ちょっと悲しい命名ですね。

 海を見ながらの街道歩きができるでしょうか? 少し下りないと海は見えないかな? 

 

なんだか気になるチェックポイント

六所神社関連

 なぜ気になるかって、ややこしそうだから。

 ここの大祭・国府祭では、「座問答」という神事が行なわれます。

 はるか昔、大化の改新の折、相武(あいぶ)の国と磯長(しなが)の国が統合して相模国ができましたが、両国の寒川神社と川匂神社とが国司の参拝の順序をめぐって対立し、順番決めは翌年まで先送りとなり、なんと今でも未解決なのだそいうです。

 という説明をちょっと目にしましたが、うーん、よくわからない。現地で分かりやすい説明に出会えることを期待しよう。

 六所神社関連の名所・旧跡は、「12.国府祭座間問答石」と「17.六所神社鳥居」です。

 

西長寺・身代わり地蔵

 本尊・身代わり地蔵は、旅人の身代わりになるという言い伝えがあり、体に無数の刀傷が残っているそうです。刀傷、見ることができるかな? 京都・三条大橋までの旅の安全をぜひともお願いしたいです。

 いわれが面白かったので紹介します。ちょっと長い引用になりますが、ご容赦ください。

後鳥羽天皇の時代に、梶原平景時の家臣、悪太郎義景という人がこの地蔵尊を深く信仰していました。
1191年、鎌倉八幡宮に参拝する源頼朝の行列に突然襲いかかる集団があり敵味方入り乱れての大乱戦となり、悪太郎義景は敵方に加わったと間違えられて畠山重忠に討たれてしまいました。しかし、悪太郎の身体には刀傷ひとつなく不思議に難を逃れたのですが、この地蔵尊の身体より血潮が流れ出し、あたかも刀剣の傷を受けたような痕がついていました。これは永年この地蔵尊を信仰していたおかげだと皆が語り合っていることが主君の耳に入り悪太郎は助命され、重忠はこの刀を「地蔵丸」と名付け家宝として今日に伝わっているとのことです。
その後、明応年間に大住郡岡崎四郎の娘がこの地蔵尊を深く信仰し、夜更けになるまで参拝しているのを悪い若者達がこれを怪しみ、道をふさいだり邪魔をしたのですが娘は少しも恐れず、尊号を唱えながら行くのでますます怪しみ、待ち受けて娘の首を討ち落としてしまいました。
娘はひと声叫んで倒れてしまいましたが、身体に異常はないのでこの場を逃れ我が家に帰り、その出来事を話すと村の人達は驚いてこの地蔵尊を訪ねました。するとこの地蔵尊の首が落ちていました。
このような霊験のあることにより人々は皆、「身代り地蔵」と称して1689年お堂を建て建立し尊像安置の霊場としました。(大磯町ホームページより)

 塩海の名残り

 古来この辺りでは(二宮町葛川付近)、製塩がおこなわれていたという・・・。どんな跡が残されているのか、興味あり。説明板だけかな。それでもいいですよ。

 

「ガラスのうさぎ」

 チェックポイントにはないのですが、二宮駅の南口に「ガラスのうさぎ」の少女の像があるそうです。高木敏子さんの「ガラスのうさぎ」は、二宮駅で父を失った著者の戦争体験を綴った小説です。有名な作品だけど、あまり記憶に残っていないなあ・・・ 行く前に読んでみようかな。

 二宮町のホームぺージを見て知りました。

 

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。次回は、二宮町について、調べてみようと思います。また、訪ねて来てくださると嬉しいです。

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