てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

先取りふむふむ 保土ヶ谷→戸塚②

 次々回の「先取りふむふむ 保土ケ谷→戸塚②」、境木地蔵を過ぎると、保土ケ谷宿から戸塚宿の管轄になります。武蔵国に別れを告げて、これより相模国に入ります。

 説明が見当たらなかったチェックポイントは空欄になっていて、当日のお楽しみです。

 

21.萩原代官屋敷跡

 現在も武家門の残る萩原家は代々旗本杉浦氏の代官を務める家でした。幕末から明治初期へかけての萩原家当主萩原行篤は直真陰流の免許皆伝の剣士で、この地で道場を開きました。安政5(1858)には道場へ新撰組近藤勇も訪れ、剣客名簿にその名を残しています。

 

22.焼餅坂

 焼餅坂は当時の品濃村と平戸村の境にあり、一町半(約160㍍)の坂道でした。坂の傍らで焼餅を商っていたので焼餅坂と名付けられたといいます。別名牡丹餅坂(ぼたもちさか)とも呼ばれています。戸塚を描いた浮世絵には、山坂や焼餅がしばしば登場します。切通しの坂は長らく往時の姿をとどめていましたが、近年開発が進みました。

 

23.品平橋

 

24.品濃一里塚

 江戸から数えて9番目の一里塚です。神奈川県内ではほぼ完全な形で残る唯一の一里塚で、県の指定史跡となっています。旧東海道をはさんで品濃側(西側)に大きな榎が植えられていたそうです。

 現在は品濃側(西側)、平戸側(東側)ともに、塚の周辺が公園として整備されています。左右ともに小高い丘のような形で、平戸側(東側)には桜が多数植えられ、品濃側(西側)も複数の木が育った状況です。

 一里塚は、直径5間(約9メートル)塚の上に榎1本を植えるのが基本的なパターンですが、状況によっては例外的にこのように山状のものもあり、一里山という地名がいくつか残されています。

 

25.品濃坂

 品濃坂は、朝早くに江戸を立ち日暮れまでに戸塚宿に向かう旅人には、宿場町までもう一歩のところです。一方、江戸方面に向かう人にとっては最後の急な上り坂で、この難所を越えれば境木の立場まであと一息でした。海も見えてきて、江戸への思いを馳せていたかもしれません。やっぱり、北斎の「東海道程ヶ谷」は、ここかなぁ?

 

26.福寿観音

 

27.旧東海道(品濃坂)道標

 

28.赤関橋

 

29.王子神社

 祭神は大塔宮護良(もりよし)親王です。親王の首級が本殿下に祀られたと伝えられています。護良親王後醍醐天皇の王子で仏門に入り天台座主となりましたが還俗し、父後醍醐天皇鎌倉幕府打倒に尽くしました。気性の激しい親王足利尊氏と対立し、後醍醐天皇にも疎まれてしまいます。親王は尊氏暗殺を計画しますが露見して捕まり、その後鎌倉に幽閉されて利直義の命令により殺されました。

 

30.成正寺

 

31.柏尾の大山道道

 大山道入口です。お堂には正徳3年(1713)建立の不道明王像が祀られています。お寺の前には「従是大山道」と刻まれた道標や庚申塔があります。

 

 

32.益田家のモチの木

 益田家の敷地には県の天然記念物に指定された樹齢300年を超えるといわれる樹高19メートルの株と18メートルの株の2本のモチノキがあり、東海道を行きかう人々を今も見守り続けています。奥には茅葺屋根の旧家が残っているらしいです。(残っているかしら?)

 


33.斎藤家土蔵

 土蔵と棟門の旧家。赤レンガの建物は、鎌倉ハム発祥の地。明治10年ごろに英国人のカーチスが柏尾村に外国人専用のホテルを建て、宿泊客にハムを供したのが始まりと言われています。明治20年に斎藤家の祖斎藤角次や地元の斎藤満平等がカーチスからハムの製造法を伝授され、ハムの製造を始めました。煉瓦造りの建物は大正7年(1918)に建造され、2階はハムの仕込み室でした。

 

 

34.護良親王首洗井戸

 この地の言い伝えによれば、鎌倉で殺された親王の御首を側目が夜中に盗み取ってこれを奉じ、当時の豪族斎藤氏に救いを求めて難を逃れ、この井戸で御首を洗い清めたそうです。

 

 

35.五太夫橋

 

36.宝蔵院

 真言宗のお寺。本尊は寛永9年(1632)造立の不動明王で、境内には地蔵堂、日本舞踏芸道精進の扇塚などの石造物があります。

 

37.江戸見付跡

 見付とは宿場の入り口のことです。ここは戸塚宿の江戸側の出入り口です。レストラン・フォルクス前の植え込みに、戸塚宿の入り口記念碑があります。旧東海道の宿場に設けられた見付は、宿場を見渡しやすいような施設となっていることが多いようです。参勤交代の大名らを宿役人がここで迎えました。

 *戸塚との境は境木地のあたりかなと認識していたのですが、入口は、ずっと戸塚寄りなんでしょうか?

 

38.妙秀寺

 日蓮宗のお寺で本尊は釈迦如来です。境内には戸塚の浮世絵歌川広重の「東海道五十三次之戸塚」に描かれている大橋の脇の延宝年間(1673~1681)の「左かまくら道」道標が移されています。

 

39.一里塚跡

 戸塚の一里塚。日本橋より10里目。

 

40.木之間稲荷

 江戸中期に伏見稲荷大社の御分霊を祭祀したもの。

 

41.吉田大橋

 歌川広重の「東海道五十三次之戸塚」に描かれている戸塚宿を代表する場所の一つです。当時の長さは10間(18.2㍍)幅2間半(4.6㍍)の板橋でした。現在の橋は昭和61年(1986)に架け替えられたもおので、両側に大名行列が持つ毛槍を模した街灯が建っています。

 

42.善了寺

 天福元年(1233)江戸麻布の善福寺の僧了全が浄土真宗のお寺として開山したそうです。本堂の前には親鸞上人像が建っています。本尊は蓮如作と言われる阿弥陀如来です。江戸期には矢部の問屋場が置かれ、朔日から4日まで人馬の継立が行われました。問屋場跡は明治の初めには明充学舎という学校でした。

 

43.山王祠

 

【参考】

『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社

『決定版東海道五十三次ガイド』(東海道ネットワークの会 講談社

『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社

『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 岩崎均史 小学館

横浜市戸塚区ホームページ

横浜市 戸塚区役所 旧東海道戸塚宿の歴史を歩く散策マップ

横浜市観光文化局ホームページ

横浜市:文化観光局 横浜旧東海道の魅力に触れてみませんか

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20171025233159j:plain

 私は日ごろ自転車通勤です。普通の雨の日も嵐の日も、レインスーツを着て自転車で出かけます。(我が家は駅から遠く、職場も駅から遠いので、公共交通機関を使うより自転車で行った方がずっと面倒でないのです。)レインスーツは、奮発したゴアテックスなので、まあまあ快適。そんな状況なので傘を使う機会があまりなくて(雨の中、近所のコンビニとかに行くときは、ビニール傘を使います)、折りたたみ傘も、壊れて以来、持っていませんでした。けれども今年の8月、旅行に行くにあたりどうやら雨らしい、ということで傘を買うことにしたのです。おりしも「台風直撃」の予報だったので、「丈夫」が売りのヨーカドーオリジナルの折りたたみ傘を買いました。タグにも「こわれにくい耐風傘」と書いてありました!

 「まさか。さすがに台風は無理でしょ!」と思ったのですが、いよいよ折れるかと何度も思うたびに傘はしなやかにしなるだけで、壊れることなく台風の中、旅を続けることができたのです。

 残念なことに、その傘は不注意で、なくしてしまいました。買ったばかりなのにとショックで、しばらく傘は買わなくていいやと思っていたのですが、やっぱり街道ウォークにはあったほうが安心ですよね。先日の土曜日、色違いで同じものを買いました。んー、微妙・・・ もっといい感じのもあったんですけど、おしゃれなものって華奢なんですよね。「丈夫で長持ち」を優先しました。

 なんか、昭和のお父さんが、奥さんに使うほめ言葉みたいですね。「丈夫で長持ち」で結構結構(笑)