てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

先取りふむふむ 保土ケ谷→戸塚①

 9月半ばより始めた週末街道ウォーク、亀のような歩みでなんとか神奈川宿まで来たものの、このところの長雨で、滞っています。

 「浮世絵街道」で一休みしていましたが、「先取りふむふむ」(事前チェックのことです)を、次々回のウオーク、保土ケ谷→戸塚まで進めておこうと思います。

  それでは早速、保土ケ谷駅を降りて、宿場町の中心に向いましょう!

 

1.問屋場

 情報が見つかりません。当日のお楽しみになります。

 

2.高札場跡

  当日のお楽しみ

3.金沢道道

 金沢や鎌倉へ向かう道との分岐点で、角に道案内の石碑が4基並んでおり、横浜市地域有形民俗文化財になっています。そのひとつに「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」と杉田梅林への道を示す俳句を詠んだ碑があります。

 

4.苅部本陣跡

 慶長6(1601)年、徳川家康より「伝馬朱印状」が「ほどがや」あてに出されたことで、保土ケ谷宿が成立。東海道を往来する幕府の役人や大名は宿場に設置された本陣に宿泊しました。

 東海道に面して通用門が現存します。本陣制度が明治3年(1870)に廃止され、現在の東海道で往時の姿をとどめるのは草津と二川の2本陣だけとなりました。一方、本陣の門・玄関・茶室など部分的な遺構が他に転用され、当時の威容を伝えているものが三嶋・関・坂下などに数例ありますが、街道に面した通用門が残るのは保土ケ谷宿の軽部家だけです。
※外観見学のみ

 

5.脇本陣跡 大金子屋跡(八郎右衛門)

 当日のお楽しみ

 

6.脇本陣跡 藤屋四郎兵衛跡

 当日のお楽しみ

 

7.脇本陣跡 水屋与衛門跡

 当日のお楽しみ

 

8.旅籠屋跡 本金子伝左衛門跡

 江戸時代、旅籠として栄え、格子戸や通用門が当時の雰囲気を伝えています。旅籠とは、旅人を宿泊させ、食事を出すことを業とする家のことで、現在の建物は明治2年(1870)に建て替えられました。庭、玄関、障子などに当時の技が見られ、江戸時代の雰囲気を残す貴重な建物です。
※外観見学のみ

 

9.茶屋本陣九衛門跡

 当日のお楽しみ

 

10.保土ケ谷の一里塚

 区民と横浜市との協働により、松32本を植樹し、旧東海道を象徴する松並木がよみがえりました。松並木の中に一里塚も復元し、塚の上には昔のように榎を植え、松並木とともに再現されています。地域の方々による美化活動が盛んです。(松並木プロムナード)

 

10.外川神社 上方見付跡

 お仙人様の名で親しまれ子供の虫封じに効きき目があるといわれました。ご神木のケヤキが見事です。祭神は日本武尊

 

11.出羽三山供養塔

 当日のお楽しみ

 

12.樹源寺

 鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失した後、江戸時代初期(1628年)に苅部家により身延山久遠寺の末寺として開山しました。庭園が美しいそうです。日蓮宗

 

13.稲荷神社

 当日のお楽しみ

 

14.権太坂改修碑

 昔は今より急坂で江戸からの旅人がはじめて出会う難所でした。一番坂と二番坂があり松並木が続き景色も良く富士山を眺めることができました。

 

15.権太坂標石

 当日のお楽しみ

 

16.投込塚跡

 江戸時代の旅では途中で行き倒れになる人が多く、どこの宿でも無縁仏として寺院などに埋葬していますが、宿駅を離れると街道沿いに墓石も置かずに埋葬するしか術がありませんでした。

 ここ権太坂近くでも、そのようにして行き倒れた人や牛馬を葬っていましたが、その後、平戸の東福寺で供養され、投込塚のあった場所に無縁仏を弔う墓石と石仏が建てられました。

 投込塚は、江戸時代の旅の過酷さを物語っていますが、権太坂が厳しいことからこの地区で倒れた旅人は特に多かったようです。なお、権太坂の名は、旅人が地元の老人に坂の名称を訪ねたところ、老人は自分の名前を聞かれたと勘違いして、「権太」と答えたことから、その名がついたといわれます。

 

17.若林家 境木立場跡

 保土ケ谷宿からも戸塚宿からも難所の坂を上り詰つめたところに、旅人や馬が休息するための立場が設けられ、数件の茶屋がありました。その内の1軒が現存し、明治天皇も休息されたというのが、この場所です。

 

18.萩原代官屋敷跡

 萩原家は平戸の領主で代々旗本杉浦越前守の代官をつとめ、幕末の頃にはこの場所に道場を開きました。今は武家屋敷門と倉が残っています。

 

19.境木地蔵

 かつて地蔵堂境内にケヤキの大木があり、ここが武蔵国相模国の国境であることから「境木」という地名になったといわれています。創建は萬治2年(1659年)。江戸からの道中の安全を祈る旅人が多く参拝されました。

 

20.武相国境モニュメント

 かつて、この地、武蔵国(保土ケ谷宿)と相模国(戸塚宿)の境に、国境の印として建植されていたという大きな角柱が、平成17年に街道脇に再現されました。

 

 保土ケ谷宿と戸塚宿の境で、ブログも一区切りにします。保土ケ谷の宿場町の中は、事前の解説が見当たらず、当日のお楽しみのチェックポイントが多いです。それはそれで楽しみです。

 

 宿場町を抜けるといよいよ権太坂。昔の急勾配とは違うのでしょうが、やっぱりかなりの急坂なのでしょうか? 「百聞は一見に如かず」。いや、「見」ではないか。こういうの、なんて言えばいいのかな? 「百聞は一体験に如かず」。うーん、ちょっとセンスないな・・・

 週末またまた台風? まさかまさか。ご勘弁を・・・

 

 【参考】

『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社

『決定版東海道五十三次ガイド』(東海道ネットワークの会 講談社

『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社

『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 岩崎均史 小学館

横浜市保土ケ谷区ホームページ 

横浜市 保土ケ谷区 旧東海道保土ケ谷宿 保土ケ谷宿見どころ・名物

 横浜市観光文化局ホームページ

横浜市:文化観光局 横浜旧東海道の魅力に触れてみませんか

 

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 今年の夏、山形県を旅行したときに買った、さくらんぼ柄のミニがまぐちです。立石寺(山寺)近くの雑貨屋さんで見つけました。がま口の値付けも見つけて、ひとめぼれして買いました。

 もったいなくてしまっていたのですが、五円玉をためるのに使うことにしました。

 街道ウォークをしてると、お詣りする場所が多いです。「お賽銭といえば5円でしょ」と入れていると、五円玉はすぐになくなっちゃいます。「10円は遠縁(とおえん)で縁遠くなるから入れないほうがいい」と子どものころ観光バスのガイドさんの説明を受けて以来、5円の次は20円になります。20円は二重のご縁でよくないかな?とチラリとかすめるけど、ま、いいか。いろんな人とご縁があるのもいいことだし! 十円玉を2枚ずつ入れていると、これまたすぐなくなっちゃって、五十円玉や百円玉に。 それもなくなると、さすがに1000円札はちょっと・・・。(五百円玉は、微妙…)「あー、小銭、ためておくんだった! それも五円玉。」と思うのです。

 というわけで、さくらんぼ柄のおさいふ。でも私、デビットカードでお買い物することが多くて、なかなか五円玉が手に入りません。せっせと入れているのは、私ではなく、街道ウォークの同行者・くろやぎ(夫)だったりします。

  くろやぎについては、もしよければ、こちらをご覧ください。

 

rkuroyagichan.hatenablog.com