てくてくわくわく 街道ウォーク

晴歩雨読。週末の東海道てくてく歩き&ときどき読書のブログです!

クローズアップ! 保土ケ谷宿

 次回、ウォークの最終目的地、保土ケ谷宿に着目してみました。

 

 日本橋を出発してからここまで通ってきた宿場町、品川、川崎、神奈川。

 朝ごはんを食べるモーニングサービスの町・品川宿、六郷の渡しで川を渡ってやれやれの川崎宿、幕末から明治維新にかけて国際都市として揺れに揺れた神奈川宿。とまあ、こんな風にざっくりとらえてみましたが、それでは保土ケ谷宿とはどのような?

 

保土ケ谷宿ってどのあたり?

 保土ケ谷宿は慶長6年(1601)、旧東海道に宿駅の制度が定められた際、幕府公認の宿場として誕生しました。保土ケ谷宿は、芝生村追分(今の西区との境)から境木地蔵(現在の戸塚区との境)までの約5キロで、追分から北は神奈川宿、境木地蔵から南は戸塚宿の管轄でした。

 宿場としての町並みを整えていた約2キロの間は、宿内と呼ばれ、本陣を中心に旅籠や茶屋、商店が立ち並び、宿場町としてにぎわっていました。JR保土ケ谷駅の西口商店街にある保土ケ谷税務署付近が宿の中心部にあたります。

 現在、保土ケ谷宿本陣跡となっている場所には軽部邸がありました。軽部家は小田原北条家の家臣で、代々「清兵衛」を名のり、横浜開港の時には町の総年寄を命じられ、初期の横浜の町づくりに貢献したそうです。

 あの神奈川宿で感じた横浜開港の流れが、ここにも!

 

保土ケ谷宿は、旅の最初の宿泊地だった

 江戸を出発して8里9丁(約32㎞)

 ♪お江戸日本橋七つ立ち♪

 朝の4時(七つ)に江戸の町を出て32キロ、夕暮れ時になりました。いやしかし、1日に32キロってずいぶんですね。途中休憩をはさんで約10時間くらい歩いたとして時速3キロ。早っっ!

 もっとも、江戸時代の成人男性は、一日に10里(約40㎞)ほども歩いたといわれていて、最初の宿泊地としては、少し早めの宿場でした。ですが、次の戸塚宿までは2里9丁(約9.2㎞)とまあまあな距離があり、なんといっても途中に、東海道最初の難所・権太坂があったことから、「今日のところはここで」というゆったりのんびり派が選んだ宿泊地だったのですね。日が暮れてからの山道は危険ですからね。それが賢明だと私も思います!! いやぁ、私なんか、ここまで行くのに、4回も出直すのですが(汗)。現代人なのでお許しを。 

 ちょっと半端な距離感から、保土ケ谷宿と戸塚宿で宿泊客の取り合いにもなっていたようですが、夕暮れ時になっても先を急いでガンガン歩く派と、元気を回復して明日の難所に備える派。旅人の心は決まっていて、両宿では案外棲み分けができていたのではないでしょうか?

 ちなみに、夕刻になると、顔に真白なおしろいを塗って旅人を客引きする女性(留女 とめおんな)があちらこちらの店の前に立っていました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』ではこの様子を、「おとまりはよい程谷ととめ女、戸塚前(とっ捕まえ)てははなさざりけり」と狂歌にしています。

 保土ケ谷宿は再開発の宿場だった!

 今回知った衝撃の事実は江戸時代の再開発です。保土ケ谷付近の東海道は、慶安元年(1648)幕府によって改修され、直線的な新道が誕生しました。

 変更後のルートは、今の相鉄線天王町駅前から国道1号を通過して元町橋に出る道です。ロードマップで見ると、天王寺駅前から保土ケ谷州本陣跡までの道、確かに真っ直ぐです。これ、江戸時代から真っ直ぐだったの? 江戸の道路工事、恐るべし。本陣前でいったん「く」の字に曲がるも、しばらく、また真っ直ぐ。

 1601年の成立当時には権太坂手前・現在の保土ケ谷町3丁目(旧元町橋)辺りにあった宿場も、ルート変更に合わせて引っ越ししています。新しい宿場として、天王町商店街から外川神社までの範囲(約2km)、東方向・神奈川宿寄りに移転し、旧街道沿いの商家も強制移動させられました。そして、それまで宿場があった場所は、元町と呼ばれるようになったということです。
 なぜ、このような大がかりな変更が行われたのでしょう? 実は、変更の理由や、変更前の街道のルートは今も正確には分かっていないそうです。なんとも不可解なまちなみ変更ですが・・・ こういう話、今でもよくありますよね。えっと、なんて言うんだっけ? 駅前ロータリーからまっすぐなメインストリートを通してみたり、更地にして道を作り直してショッピングモールを誘致したり。土地を提供するために地元の商店街は立ち退きになったり、新しくできたショッピングセンターの中のテナントに入ったり。それはそれで、いろいろタイヘン。そうそう「駅前再開発」とか「21世紀のまちづくり」とか。あれは、今に始まったことではなかったんですね。

 

 実は私の暮らす町も(東京の郊外です)、実家も(これも東京郊外)、再開発の真っただ中。新しい道路がドカーンとできて、「ありゃ、ここ、前はなんだったっけ?」と思うことがしばしばあります。町並みが変わるのは時の流れかな?とも思うので、ああこう言えませんが、古い町並みを記憶にとどめておきたいし、そのためには記録しておかないと(記憶はいつか薄れてしまう)と思い、気がついたら、写真に撮っておいたりします。

 街道ウォークにおいては、私は土地の人ではなく、ゆきずりのウォーカーですが、やっぱり記録写真になるものが撮れたらいいなと、思います。

 

 参考資料
『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社

『決定版東海道五十三次ガイド』(東海道ネットワークの会 講談社

『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社

『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 岩崎均史 小学館

横浜市保土ケ谷区ホームページ 

横浜市 保土ケ谷区 旧東海道保土ケ谷宿 保土ケ谷宿の成り立ちと特色

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