日本橋を出発してから1年後、三島→沼津ウォークを実施しました。写真をアップします。
なんか、パソコンのキーボードの調子が悪いんですけど(泣) パカパカ文章書けない・・・ 掃除しても変わらないし。
文章少なめ、写真中心で編集します。
ここまで入力するのも一苦労。外付けのキーボードを買うか・・・
あーもう、いやになっちゃう!
というわけで、ヤマダ電機でキーボード、買ってきました。980円ナリ。快適快適。980円で得た幸せ(笑)
見た目、変だけど。タッチパッド効かなくなってるからマウス差してるし、もはやノートパソコンとは言えないけど。
Windows10搭載のタブレットに買い替えようかな? 先立つものがないなー
ともあれ、とりあえず快適になったのでブログ再開。
9月16日(日)、8時34分、三島駅に降り立ちました。頑張って新幹線こだま号、使いました・・・
ありゃりゃ、霧雨! 天気予報、大外れ。ショックだったけど来てしまったから、ウォーク開始します。
ちなみに、駅前ロータリー、「雨なんて聞いてないしー」と途方に暮れる観光客、結構いました。ね、聞いてないよねー? お天気チェックが入念で、はずさないうちのくろやぎ(同行者&夫)も、今日は曇りだと言ってたよ。「今だけ、雨なんじゃない?」と楽観的にとらえて、駅を後にしました。(実は、一日中、小雨が降ったりやんだりでした・・・)
これより、チェックポイント(バイブルにしている『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社で、名所旧跡としている所)の写真を順番にアップします。街並みや道草関連については、後日別にアップします。
問屋場跡
三嶋大社大鳥居前から旧街道を歩き始めてまもなくの問屋場跡。現在は、三島中央郵便局となっています。
説明板によれば、三島宿は、箱根・小田原宿より交通量が多いのに問屋場はここ一箇所だったため常に人手不足に悩まされていたそうで・・・ ちょっと意外。
円明寺
円明寺の見どころは、何といってもこの門! 樋口本陣の門を移築したものです。
横から見たところにも、注目。中心がずれているの、わかりますか?
門を内側に開いたときに雨に濡れないようにする工夫のようです。詳しくは、説明書きをどうぞ。
本堂も、山門に負けずシブいですね。
境内に、もう一つの見どころ、孝行犬。
このお寺の境内に住んでいたお母さん犬と子犬たちのお話にちなむお墓です。病気のお母さん犬のためにせっせと看病をした子犬たちに感心した和尚さんが、子犬たちが死んだ後に建てたお墓だとか。
世古本陣跡
本陣跡は小さな広場になっています。
隣はかわいいパン屋さん。お店の前に立っているのは、三島市のキャラクター「みしまるくん」と「みしまるこちゃん」の看板です。
樋口本陣跡
世古本陣向かい、交差点の角に見落としそうなくらい地味な石碑。
目印は、本陣跡の隣の、お茶屋さん「山田屋」。
お店の脇に説明板あり。
三島は、東西を結ぶ東海道、南北を結ぶ下田街道・甲州街道が交わる場所にあったのですね。なるほど、箱根・小田原をしのぐ交通の要所だったわけだ!
アメリカ人のハリスが、お向かいの世古本陣に宿泊しているのですね。へぇぇ
三石神社
三嶋大社の門前を離れ、なんとなくローカルな雰囲気になったあたりに、三石神社はありました。
狭い参道のすぐ脇を、源兵衛川が流れます。一応(失礼・・・)、富士山の湧水らしい。
時の鐘です。古くからあったものは第二次世界大戦時に供出してしまい、これは戦後のもの。
三嶋大社は、元御殿川(源兵衛川)の川辺に三ツ石と呼ばれる巨石があって、その上にお稲荷さんを祀ったのが由来です。
パワースポット「商売繁盛」の萌えキャラ。なんか、カオス。(またまた、失礼・・・)
蓮馨寺
入ってすぐのところに、地蔵堂がありました。日限地蔵ですって。
もともとは斬り付けられた旅人の身代わりになった「身代わり地蔵」だったのですが、いつのまにか日を限ってお願いすると願いが叶う「日限地蔵」になったようですね・・・
このお寺、松尾芭蕉のお墓があるということで・・・
「えっ、こんなところにあるの?」と違和感を覚えた私。あとで調べたら芭蕉のお墓は全国数カ所にありました。ここのお寺には、芭蕉が宿泊していたことがあったらしく、その縁で遺髪を譲り受けてお墓にしたようです。尊敬する芭蕉さんのお墓を、建てたいという三島の人々の熱意だったのですね。
伊豆国分寺搭跡
伊豆国分寺です。奈良時代の国分寺の搭石が残っていることで有名です(国指定史跡)。説明は、こちら。
本堂です。この裏に、搭石があるということですので、早速行ってみましょう!
おっと、「ご本尊に挨拶を」。すみません。ぺこりと一礼。
こちらが、搭石です。奈良時代の建物の土台だなんて、すごいですね。悠久の浪漫っていうのかな、こういうの。
林光寺
林光寺には、三島最初の公立学校長を務めた吉原守拙のお墓があるということですが・・・
あ、これね。
なかなか立派な方だったようです。一言では説明できないので、詳しくはこちらを。
重厚な本堂です。
善教寺
幼稚園が併設されているということ以外、これと言った情報はなく・・・
なぜこれがチェックポイントなのか、謎です。
秋葉神社
ちょうどお祭りで、なにかの儀式の最中でしたので、道路の向かいからパチリするのに留めました。すぐ近くに西見附跡があったようですが、チェックし忘れました、ま、仕方ないですね。
これより、三島市を後にして清水町に入ります。
千貫樋
説明を読んだだけではピンと来ず、足元のあまり美しいとは言えない小川を眺めて首をひねるばかり。周辺をぐるぐるして、ようやく納得。
写真奥、小川の上方に見えるコンクリートの水路、わかりますか? あれが千貫樋です。水路を川の上に通すために樋を築いたのですね。費用に青銅千貫がかかったから、千貫樋。当初は木の樋でしたが関東大震災で壊れて、現在のコンクリートに改められました。
別の場所からも、千貫樋を撮ってみました。写真奥に小さく写っています。
常夜燈
火を静める神様が刻まれてる、石灯籠です。村の人の願いが伝わってきますね。
常夜灯の隣に現代の道標もあったので、パチリしました。
玉井寺(一里塚)
ここは道両脇に一里塚があります。右側が玉井寺の一里塚、左側が宝池寺の一里塚です。
これが、玉池寺の一里塚。江戸から29里目。昔の姿をそのまま残す一里塚だそうです。
一里塚の隣には、白隠の遺墨がありました。
お寺の中には入れません。まあでも、十分です。ありがとうございました。
宝池寺(一里塚)
玉井寺の向かいにある、宝池寺の一里塚です。こちらは、昭和60年に復元されたものです。うっそうとした玉井寺と対照的です。
宝池寺側には、旅人が休憩する立場があったと書いてありました。にぎやかだったことでしょうね。
こちら、本堂です。
法泉寺
実は、このあたりから、少し迷いました。
ちょうどこの先の八幡神社のお祭りの準備で、法被を着た氏子の方々が大勢集まってこの前で何かをされていたので、この門柱が見えなかったんです・・・
脇の掲示板を見たら、妙心寺と書いてあったので、ここは法泉寺ではないな・・・と判断してしまいました。それで、法泉寺を探してさらに先まで歩いて行くうちに八幡神社に着いてしまいました。神社から同じ道を戻ってきてこの門柱を見て(もう、人はいなかったです)、ここが法泉寺だったのかと、気が付きました。くろやぎは、「だから最初からここだと言ったのに!」とプンプンしていました。「ごめんごめん」と言いながら、中へ・・・
本堂はこんな感じ。
しっとりと落ち着いた庭です。苔がきれい。
庵の入り口の上方に、「妙心」の字。
秀源寺
チェックポイントでしたが、法泉寺を探すことに気を取られ見落としました。失敗。
八幡神社
法泉寺を探して、八幡神社の裏にたどり着きました。
鳥居脇の看板。お祭り、盛りだくさんですね。楽しそう。できれば、お天気が良ければいいのに。
本殿です。お母さんたちが、子どもたちへのプレゼントを用意するのに、忙しそうでした。
本殿の裏に、源頼朝と義経が会った時に二人が向かい合って腰掛けたという対面石があるというので回って見ますね。
はい、こちら。
頼朝と義経、この時は仲が良かったのにね。
表側の鳥居です。
こちらは、旧道から入る参道入口の鳥居。
智方神社
後醍醐天皇の皇子・護良親王の首級を葬っているという神社です。
首級と言われると、とたんに怖くなる・・・
瓦屋根の本殿にシュロの木。なんとなく、南国調。
側に仕えていた女性が、首を密かに持ち帰る途中に黄瀬川の洪水に遭い、仕方なくこの地に埋め、目印にクスノキを植えたと伝えられていて、これがそのクスノキだそうです。
井上靖が沼津中学への通学途中に、この樹の下で休憩したとも言われてるそうです。わかりやすい説明板でした。清水町教育委員会の方、ありがとうございます。
法界さん・蛇塚
蛇塚は、バイブルによれば智方神社の向かい側なので、道路を渡って一生懸命探しました。
黄瀬川の流れを止める塚ですので、川のそばなのかなあと思ったり・・・
このような川岸に並んでいる石塔群をアップしているブログもあったので探したのですが、それらしいものは見当たらず・・・
困り果ててGoogleさんで検索したら、とある方のブログに、智方神社の境内の蛇塚の写真がアップされていました! あわててさっきの場所に戻ります。
参道入口にありました。一番左が蛇塚です。
川岸にあったのを移転したのかなあ・・・?
黄瀬川を渡ります。これより、いよいよ沼津市です!
八幡神社
八幡神社です。これがなぜチェックポイントなのかは謎。バイブルにコメントはないし、現地にも説明板はありません。
潮音善寺
亀鶴観音菩薩があることで知られるお寺です。
こちらが本堂。
亀鶴姫の碑がありました。鶴亀姫は、曽我兄弟の仇・工藤祐経の愛人だったということですが・・・
すごくざっくり言ってしまうと、美人で才女だった亀鶴姫さんが、源頼朝に目をつけられて(気に入られて)再三呼ばれたけれどもそれを拒否して、黄瀬川に身を投げて亡くなりました。その供養碑です。
街道ウォークをしていますと、秀吉と頼朝が嫌いになります・・・
領界石
潮音寺のすぐ近くです。
黄瀬川を渡ると沼津市でしたが、沼津領はここからだったのですね。
小社
バイブルのチェックポイント「小社」って、これですかね? 特に表示はなかったけれど、位置的にここ。左側が旧道です。分岐点に建つお社、わかりますか?
お社に近づいてパチリします。
平作地蔵
人形浄瑠璃の「伊賀越道中双六」にでてくるお地蔵様です。
説明板に、かなりくわしく場面の説明が解説されていたのでアップします。説明板を立てたのは、自治会の方です。ありがとうございます。
因みにこのすぐ後ろに、狩野川が流れています。
一里塚・玉砥石
写真右手が、一里塚跡と玉砥石のある小さな公園です。
こちら玉砥石。後方に一里塚跡があります。
玉を砥いだという玉砥石。いつからあるかははっきりしませんが、大変珍しく貴重なもののようですね。
江戸から30里目の一里塚です。
とは言っても、本来は距離で言うならば本町地内に作るべきところ、宿場内になってしまうので東に寄せて建てたのだそうです。
実は、沼津駅付近にさしかかったあたりから、道に迷いました。
何よりの理由は「三枚橋」。前回、広重さんの浮世絵スポットを忘れないために、「三枚橋」の名前をインプットしなければ書いていましたよね。
実際に「三枚橋」という橋はないんですね。(たぶん)
「三枚橋町」という町名は残っていて、そこに「三園橋」という交差点と橋があります。
バイブルのルート通り行けば迷わなかったのかもしれませんが、城岡神社は東海道からややずれて、沼津駅の近くなんです。で、「三園橋」の交差点よりルートを外れて駅方面に向かいました。
なぜか、「三園橋」を「三枚橋」だと思い込んで。思い込みって怖いですね。
城岡神社
「ここはどこ?」とわからぬまま、くろやぎのナビで何とか城岡神社に到着。高いビルの谷間の、ちょっと近寄りがたい雰囲気の神社です。
沼津城の守護神なんだそうです。そりゃ、大切にせねば。
沼津城跡
城岡神社が守る沼津城址は、公園になっています。すぐ近くを狩野川が大きく蛇行していきます。
武田勝頼が築いた三枚橋城が廃城になり、その跡地に水野忠佐が沼津城を築いたのだそうです。詳しくは説明板をご覧ください。
三枚橋城外堀石垣
これまた迷ったチェックポイント「三枚橋城外堀石垣」。
ナティ沼津の前にあります。
なぜ迷ったかというと、「三枚橋城石垣」(外堀ではない)というのが、ナティ沼津の外堀石垣よ手前にあるのです。こちらは、アゴラ沼津の前にあります。紛らわしいなあ・・・
もっとも、バイブルのルート通りに来れば、アゴラ沼津を通ることはない(アゴラ沼津のすぐ先で大通りに合流するようになっています)ので、間違う要素はないのですけれど。
そうはいいましても、すごく惑わされてしまったので、できれば両方、チェックポイントとしてバイブルに載せていただきたかったです。アゴラ沼津を「三枚橋城外堀石垣」だと思い込んで道を曲がり、次のチェックポイント「高田本陣跡」に至る道の表示がなかなか見つからなかったです。
こちらがチェックポイント「三枚橋城外堀石垣」。ナイティ沼津前。
そしてこちらが、チェックポインと間違えた三枚橋城石垣。アゴラ沼津前。
やっと見つけた「道標沼津宿」。この交差点の先に、本陣が並びます。
この日は地元・浅間神社のお祭りの御神輿が出ていました。
高田本陣跡
本陣が並んでいた通りの様子。往時の様子が浮かぶような。
中村脇本陣跡
清水本陣跡
浅間神社
道路を挟んで向かい側の小道を入る浅間神社。この日最後のチェックポイントにです。境内で、お祭りの催しとして演芸会をやっていました。ほのぼの楽しそうな雰囲気でした。
氏子の方々(?)が、次々に抽選券を持ってきて箱に入れていきました。何が当たるのかな?
発見! もう一つ本陣跡
バイブルには載っていなかったけれど、浅間神社側の街道沿いに、もう一つ本陣跡を示す石碑がありましたよ。マッキー(バイブル著者・八木牧夫さん)、大丈夫?
間宮本陣跡碑はタクシーやさんの前にありました。
ここを今回の終着点とします。本陣のある通りを進んで県道163号線に出る交差点です。静岡銀行が目印です。次回の出発点として、パチリしておきますね。
歩いて沼津駅に到着。16時40分、7時間58分、31996歩でした。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
近日中に三島→沼津のまちなみをリポートします。また訪ねてくださると嬉しいです。
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