てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

まちなみウォッチ! 三島→沼津

 9月16日(日)の三島→沼津のウォークについて、今回は名所・旧跡を離れて、まちなみにスポットを当ててレポートします。お付き合いください。

 

 まずは、こちら朝の三島駅前ロータリーです。生憎の霧雨で、「まじかー」と叫んでいる若者観光客のグループがいました。私も、「まじかー」と叫びたい。だって今日は曇り予報だよー!

 気を取り直して、出発します。

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 三島市のマンホールです。一面桜模様です。市の花が「三島桜」だから。

 「三島さくら」の起源、気になって、市のホームページで調べてみました。案外、最近なのですね。

市の花「三島桜」は、昭和26年国立遺伝学研究所で染井吉野の起源を知るためのひとつの方法としてその実を集め、第1回目の実生実験をしました。
 そして、これが成長開花した中に1本の美しい桜を生じました。
 ときあたかも三島市の新庁舎が竣工したときであったので、これを記念して「三島桜」と命名しました。

 

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  水の街・三島。これは、白滝公園前。ここより水路となり、水辺の道として三嶋神社方向に続きます。

 

三嶋神社

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 この間は気が付かなかったのですが、三嶋神社境内裏に鹿園がありました。奈良の春日大社と縁のある鹿さんだとか・・・

 境内の売店で、鹿せんべいを売っています。雨がはっきり降ってきたので、売店では鹿さんのおやつではなく、自分のためにビニール傘を買いました。

 

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 前回チェックし忘れたので、リベンジ。

 ウォーク開始より、安藤広重「東海道五十三次」のスポットをチェックしています。今回は三嶋大社鳥居。

 

 こちらが広重さんによる三嶋神社の大鳥居です。いかがですか?

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  古い店構えのうなぎ屋さんを発見。

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それもそのはず、文化庁の登録有形文化財です。

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 うなぎ屋さんの看板です。ウォーク抜きに、食べに来たいですね。

 

 足元に「問屋小路」の表示。ここにも桜。

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 表示から通りをながめたところ。休日はがらんとしています。f:id:kaz-mt-wisteria:20180930165718j:plain

 

世古本陣跡の広場のマスコットキャラクター みしまるくんとみしまるこちゃん。一番上のオレンジの君はだれ?

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 みしまるこちゃんは市の花の三島桜、みしまるくんは、市の木のイチョウをモチーフにしているんだそうですよ。

 

 三島広小路駅周辺には、かわいい看板のお店が結構ありました。これは、毛糸屋さん。

 

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  ショーウインドウもかわいい。

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こちらはメロンパン専門店です。

 

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 そういえば、ひところ、メロンパンがすごくブームになりましたよね。移動販売車がスーパーの駐車場とかにとまっていて、珍しいなあと感じたのを思い出します。

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三石神社の前の源兵衛川と源兵衛橋

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源兵衛橋は源兵衛白旗橋とも呼ばれて、五色橋の一つなのですね。説明板を読んで、知りました。

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三島広小路駅横の踏切と伊豆箱根鉄道。箱根ではないのに「伊豆箱根鉄道」。変なの。それはともかく、隠れ鉄ちゃん(鉄子?)の私は、すかさずパチリ。

 

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 さっきはメロンパン専門店でしたが、今度はコッペパン。今、コッペパン、ブームなんですよね、確か。

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踏切を渡った所から、三島広小路駅を撮ってみました。

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 三島広小路駅前の商店街の酒屋さんのショーウインドウ。三嶋麦酒の幟(?)が気になって。

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 しばらく歩くと、「マンション建設反対」の穏やかならぬ看板が。

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 クリーニング屋さん左隣の空き地が建設予定地でしょうか。

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クリーニング屋さん右隣は、昔ながらの造りの建物で「みしまコロッケ」のお店をやっています。 

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建物全体はこんな感じ。

 

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コロッケのほか、ハンバーガーや揚げパンも。ちなみに、みしまコロッケ、美味しいですよ。というのも、前回、朝ごはん代わりに、三島の駅に到着してすぐ、駅のベンチで小コロッケサンドを食べたのですが、素朴で美味しい味付でした。また食べたいくらい。

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こんな静かなところに、9階建てのマンションは確かに異質かも。ちょっと同情してしまいました。

 

境川橋を渡ってから玉井寺・宝池寺の一里塚までは、これといってチェックポイントはないのですが、昔ながらの建物を見つけました。

 

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 麹屋さんです。

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黄瀬川手前の松並木です。右手奥が黄瀬川橋。

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清水町のマンホールを見つけたので、パチリしておきますね。

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黄瀬川橋を渡ります。氾濫をせきとめる蛇塚がありましたように、暴れ川だったのですね。

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橋の上からも一枚。

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県道380号線、沼津市大岡。黄瀬川橋を渡ってから一里塚まで、特にこれといったものはありません。こんな道だったという記録に、パチリ一枚。

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 三園橋の交差点まで来ました。市街地になり、高い建物が立ち並び、交通量も多いです。

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三園橋です。前回のブログに書きましたように、三枚橋だとばかり思いこんでいました。「広重さんの画、三枚橋の手前のはずなんだけど、どこかなあ?」と思いながら。

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三園橋から、バイブル(ガイドブック)のルートをはずれて、駅方面に向かいました。駅前の城岡神社をチェックするためです。

 

沼津の街の中心です。立派なアーケード街に大きなビルが並びます。

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ルートをはずれたせいで、迷ってしまいました。ルート通りにいけば、広重さんのチェックポイントも見当がついたはずなのですが。

帰りに駅に向かう時、ガイドブックのルートを逆からたどり、やっと納得しました。

三園橋からr気に向かわず、川廓通りに入るのがガイドブック通りで、旧東海道です。

なので、ここからは帰りにパチリした川廓通りの写真を載せます。

 

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広重さんの画は、この辺りかなあと思ってパチリした一枚です。道は、川廓通り。左手に狩野川が流れています。堤があるので川は見えませんが。

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家に帰ってから気が付きました。広重さんの画は、堤の上を歩いているのです! しまった! 事前調べが甘かった・・・

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というわけで、次回改めて、広重さん浮世絵スポットに挑戦したいと思います!

 

 

夕方の沼津駅です。中心街は建物は高いし道幅も広いし大きな町ですが、駅前はそのわりに質素だとおもったのは、夕方の曇り空のせい?

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ここまでおつきあいくださりありがとうございました。

次回は、「先取りチェック 沼津→原」をアップします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 

 


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第17回ウォーク 三島→沼津

 

 日本橋を出発してから1年後、三島→沼津ウォークを実施しました。写真をアップします。

  なんか、パソコンのキーボードの調子が悪いんですけど(泣) パカパカ文章書けない・・・ 掃除しても変わらないし。

 文章少なめ、写真中心で編集します。

 ここまで入力するのも一苦労。外付けのキーボードを買うか・・・ 

 

  あーもう、いやになっちゃう!

    というわけで、ヤマダ電機でキーボード、買ってきました。980円ナリ。快適快適。980円で得た幸せ(笑)

 見た目、変だけど。タッチパッド効かなくなってるからマウス差してるし、もはやノートパソコンとは言えないけど。

 Windows10搭載のタブレットに買い替えようかな? 先立つものがないなー

 ともあれ、とりあえず快適になったのでブログ再開。

 

 9月16日(日)、8時34分、三島駅に降り立ちました。頑張って新幹線こだま号、使いました・・・

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 ありゃりゃ、霧雨! 天気予報、大外れ。ショックだったけど来てしまったから、ウォーク開始します。

 ちなみに、駅前ロータリー、「雨なんて聞いてないしー」と途方に暮れる観光客、結構いました。ね、聞いてないよねー? お天気チェックが入念で、はずさないうちのくろやぎ(同行者&夫)も、今日は曇りだと言ってたよ。「今だけ、雨なんじゃない?」と楽観的にとらえて、駅を後にしました。(実は、一日中、小雨が降ったりやんだりでした・・・)

 

 これより、チェックポイント(バイブルにしている『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社で、名所旧跡としている所)の写真を順番にアップします。街並みや道草関連については、後日別にアップします。

 

問屋場跡

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三嶋大社大鳥居前から旧街道を歩き始めてまもなくの問屋場跡。現在は、三島中央郵便局となっています。

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 説明板によれば、三島宿は、箱根・小田原宿より交通量が多いのに問屋場はここ一箇所だったため常に人手不足に悩まされていたそうで・・・ ちょっと意外。


円明寺

 円明寺の見どころは、何といってもこの門! 樋口本陣の門を移築したものです。

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 横から見たところにも、注目。中心がずれているの、わかりますか?

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 門を内側に開いたときに雨に濡れないようにする工夫のようです。詳しくは、説明書きをどうぞ。

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 本堂も、山門に負けずシブいですね。

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 境内に、もう一つの見どころ、孝行犬。

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 このお寺の境内に住んでいたお母さん犬と子犬たちのお話にちなむお墓です。病気のお母さん犬のためにせっせと看病をした子犬たちに感心した和尚さんが、子犬たちが死んだ後に建てたお墓だとか。

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世古本陣跡

 本陣跡は小さな広場になっています。

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 隣はかわいいパン屋さん。お店の前に立っているのは、三島市のキャラクター「みしまるくん」と「みしまるこちゃん」の看板です。

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樋口本陣跡

 世古本陣向かい、交差点の角に見落としそうなくらい地味な石碑。

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 目印は、本陣跡の隣の、お茶屋さん「山田屋」。

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 お店の脇に説明板あり。

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 三島は、東西を結ぶ東海道、南北を結ぶ下田街道・甲州街道が交わる場所にあったのですね。なるほど、箱根・小田原をしのぐ交通の要所だったわけだ!

 アメリカ人のハリスが、お向かいの世古本陣に宿泊しているのですね。へぇぇ


三石神社

 三嶋大社の門前を離れ、なんとなくローカルな雰囲気になったあたりに、三石神社はありました。

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 狭い参道のすぐ脇を、源兵衛川が流れます。一応(失礼・・・)、富士山の湧水らしい。

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 時の鐘です。古くからあったものは第二次世界大戦時に供出してしまい、これは戦後のもの。

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 三嶋大社は、元御殿川(源兵衛川)の川辺に三ツ石と呼ばれる巨石があって、その上にお稲荷さんを祀ったのが由来です。

 

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 パワースポット「商売繁盛」の萌えキャラ。なんか、カオス。(またまた、失礼・・・)

 

 蓮馨寺

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 入ってすぐのところに、地蔵堂がありました。日限地蔵ですって。

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 もともとは斬り付けられた旅人の身代わりになった「身代わり地蔵」だったのですが、いつのまにか日を限ってお願いすると願いが叶う「日限地蔵」になったようですね・・・

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 このお寺、松尾芭蕉のお墓があるということで・・・ 

 「えっ、こんなところにあるの?」と違和感を覚えた私。あとで調べたら芭蕉のお墓は全国数カ所にありました。ここのお寺には、芭蕉が宿泊していたことがあったらしく、その縁で遺髪を譲り受けてお墓にしたようです。尊敬する芭蕉さんのお墓を、建てたいという三島の人々の熱意だったのですね。

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伊豆国分寺搭跡

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 伊豆国分寺です。奈良時代の国分寺の搭石が残っていることで有名です(国指定史跡)。説明は、こちら。

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 本堂です。この裏に、搭石があるということですので、早速行ってみましょう!

 

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 おっと、「ご本尊に挨拶を」。すみません。ぺこりと一礼。

 

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 こちらが、搭石です。奈良時代の建物の土台だなんて、すごいですね。悠久の浪漫っていうのかな、こういうの。

 


林光寺

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 林光寺には、三島最初の公立学校長を務めた吉原守拙のお墓があるということですが・・・

 あ、これね。

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 なかなか立派な方だったようです。一言では説明できないので、詳しくはこちらを。

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 重厚な本堂です。


善教寺

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 幼稚園が併設されているということ以外、これと言った情報はなく・・・

 なぜこれがチェックポイントなのか、謎です。


秋葉神社

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 ちょうどお祭りで、なにかの儀式の最中でしたので、道路の向かいからパチリするのに留めました。すぐ近くに西見附跡があったようですが、チェックし忘れました、ま、仕方ないですね。

 

これより、三島市を後にして清水町に入ります。


千貫樋

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 説明を読んだだけではピンと来ず、足元のあまり美しいとは言えない小川を眺めて首をひねるばかり。周辺をぐるぐるして、ようやく納得。

 写真奥、小川の上方に見えるコンクリートの水路、わかりますか? あれが千貫樋です。水路を川の上に通すために樋を築いたのですね。費用に青銅千貫がかかったから、千貫樋。当初は木の樋でしたが関東大震災で壊れて、現在のコンクリートに改められました。

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 別の場所からも、千貫樋を撮ってみました。写真奥に小さく写っています。

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常夜燈

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 火を静める神様が刻まれてる、石灯籠です。村の人の願いが伝わってきますね。

 

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 常夜灯の隣に現代の道標もあったので、パチリしました。

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玉井寺(一里塚)

 ここは道両脇に一里塚があります。右側が玉井寺の一里塚、左側が宝池寺の一里塚です。

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 これが、玉池寺の一里塚。江戸から29里目。昔の姿をそのまま残す一里塚だそうです。

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 一里塚の隣には、白隠の遺墨がありました。

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 お寺の中には入れません。まあでも、十分です。ありがとうございました。

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宝池寺(一里塚)

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 玉井寺の向かいにある、宝池寺の一里塚です。こちらは、昭和60年に復元されたものです。うっそうとした玉井寺と対照的です。

 宝池寺側には、旅人が休憩する立場があったと書いてありました。にぎやかだったことでしょうね。

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 こちら、本堂です。



法泉寺

 実は、このあたりから、少し迷いました。

 ちょうどこの先の八幡神社のお祭りの準備で、法被を着た氏子の方々が大勢集まってこの前で何かをされていたので、この門柱が見えなかったんです・・・

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 脇の掲示板を見たら、妙心寺と書いてあったので、ここは法泉寺ではないな・・・と判断してしまいました。それで、法泉寺を探してさらに先まで歩いて行くうちに八幡神社に着いてしまいました。神社から同じ道を戻ってきてこの門柱を見て(もう、人はいなかったです)、ここが法泉寺だったのかと、気が付きました。くろやぎは、「だから最初からここだと言ったのに!」とプンプンしていました。「ごめんごめん」と言いながら、中へ・・・

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 本堂はこんな感じ。

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 しっとりと落ち着いた庭です。苔がきれい。

 

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 庵の入り口の上方に、「妙心」の字。


秀源寺

 チェックポイントでしたが、法泉寺を探すことに気を取られ見落としました。失敗。


八幡神社

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 法泉寺を探して、八幡神社の裏にたどり着きました。

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 鳥居脇の看板。お祭り、盛りだくさんですね。楽しそう。できれば、お天気が良ければいいのに。

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 本殿です。お母さんたちが、子どもたちへのプレゼントを用意するのに、忙しそうでした。

 本殿の裏に、源頼朝と義経が会った時に二人が向かい合って腰掛けたという対面石があるというので回って見ますね。

 はい、こちら。

 頼朝と義経、この時は仲が良かったのにね。

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 表側の鳥居です。

 

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 こちらは、旧道から入る参道入口の鳥居。


智方神社

 後醍醐天皇の皇子・護良親王の首級を葬っているという神社です。

 首級と言われると、とたんに怖くなる・・・

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 瓦屋根の本殿にシュロの木。なんとなく、南国調。

 

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 側に仕えていた女性が、首を密かに持ち帰る途中に黄瀬川の洪水に遭い、仕方なくこの地に埋め、目印にクスノキを植えたと伝えられていて、これがそのクスノキだそうです。

 井上靖が沼津中学への通学途中に、この樹の下で休憩したとも言われてるそうです。わかりやすい説明板でした。清水町教育委員会の方、ありがとうございます。

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法界さん・蛇塚

 蛇塚は、バイブルによれば智方神社の向かい側なので、道路を渡って一生懸命探しました。

 黄瀬川の流れを止める塚ですので、川のそばなのかなあと思ったり・・・

 このような川岸に並んでいる石塔群をアップしているブログもあったので探したのですが、それらしいものは見当たらず・・・

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 困り果ててGoogleさんで検索したら、とある方のブログに、智方神社の境内の蛇塚の写真がアップされていました! あわててさっきの場所に戻ります。

 

 参道入口にありました。一番左が蛇塚です。

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 川岸にあったのを移転したのかなあ・・・?

 

 黄瀬川を渡ります。これより、いよいよ沼津市です!


八幡神社

 八幡神社です。これがなぜチェックポイントなのかは謎。バイブルにコメントはないし、現地にも説明板はありません。

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潮音善寺

 亀鶴観音菩薩があることで知られるお寺です。

 こちらが本堂。

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 亀鶴姫の碑がありました。鶴亀姫は、曽我兄弟の仇・工藤祐経の愛人だったということですが・・・

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 すごくざっくり言ってしまうと、美人で才女だった亀鶴姫さんが、源頼朝に目をつけられて(気に入られて)再三呼ばれたけれどもそれを拒否して、黄瀬川に身を投げて亡くなりました。その供養碑です。

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 街道ウォークをしていますと、秀吉と頼朝が嫌いになります・・・


領界石

 潮音寺のすぐ近くです。

 黄瀬川を渡ると沼津市でしたが、沼津領はここからだったのですね。

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小社

 バイブルのチェックポイント「小社」って、これですかね? 特に表示はなかったけれど、位置的にここ。左側が旧道です。分岐点に建つお社、わかりますか?

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 お社に近づいてパチリします。

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平作地蔵

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 人形浄瑠璃の「伊賀越道中双六」にでてくるお地蔵様です。

 説明板に、かなりくわしく場面の説明が解説されていたのでアップします。説明板を立てたのは、自治会の方です。ありがとうございます。

 因みにこのすぐ後ろに、狩野川が流れています。

 

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一里塚・玉砥石

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 写真右手が、一里塚跡と玉砥石のある小さな公園です。

 

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 こちら玉砥石。後方に一里塚跡があります。

 

 玉を砥いだという玉砥石。いつからあるかははっきりしませんが、大変珍しく貴重なもののようですね。

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 江戸から30里目の一里塚です。

 とは言っても、本来は距離で言うならば本町地内に作るべきところ、宿場内になってしまうので東に寄せて建てたのだそうです。

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 実は、沼津駅付近にさしかかったあたりから、道に迷いました。

 何よりの理由は「三枚橋」。前回、広重さんの浮世絵スポットを忘れないために、「三枚橋」の名前をインプットしなければ書いていましたよね。

 実際に「三枚橋」という橋はないんですね。(たぶん)

 「三枚橋町」という町名は残っていて、そこに「三園橋」という交差点と橋があります。

 バイブルのルート通り行けば迷わなかったのかもしれませんが、城岡神社は東海道からややずれて、沼津駅の近くなんです。で、「三園橋」の交差点よりルートを外れて駅方面に向かいました。

 なぜか、「三園橋」を「三枚橋」だと思い込んで。思い込みって怖いですね。

 

城岡神社

 「ここはどこ?」とわからぬまま、くろやぎのナビで何とか城岡神社に到着。高いビルの谷間の、ちょっと近寄りがたい雰囲気の神社です。

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 沼津城の守護神なんだそうです。そりゃ、大切にせねば。

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沼津城跡

  城岡神社が守る沼津城址は、公園になっています。すぐ近くを狩野川が大きく蛇行していきます。

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 武田勝頼が築いた三枚橋城が廃城になり、その跡地に水野忠佐が沼津城を築いたのだそうです。詳しくは説明板をご覧ください。

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三枚橋城外堀石垣

 

 これまた迷ったチェックポイント「三枚橋城外堀石垣」。

 ナティ沼津の前にあります。

 なぜ迷ったかというと、「三枚橋城石垣」(外堀ではない)というのが、ナティ沼津の外堀石垣よ手前にあるのです。こちらは、アゴラ沼津の前にあります。紛らわしいなあ・・・

 もっとも、バイブルのルート通りに来れば、アゴラ沼津を通ることはない(アゴラ沼津のすぐ先で大通りに合流するようになっています)ので、間違う要素はないのですけれど。

 そうはいいましても、すごく惑わされてしまったので、できれば両方、チェックポイントとしてバイブルに載せていただきたかったです。アゴラ沼津を「三枚橋城外堀石垣」だと思い込んで道を曲がり、次のチェックポイント「高田本陣跡」に至る道の表示がなかなか見つからなかったです。

 

 こちらがチェックポイント「三枚橋城外堀石垣」。ナイティ沼津前。

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そしてこちらが、チェックポインと間違えた三枚橋城石垣。アゴラ沼津前。

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 やっと見つけた「道標沼津宿」。この交差点の先に、本陣が並びます。

 

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 この日は地元・浅間神社のお祭りの御神輿が出ていました。

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高田本陣跡

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 本陣が並んでいた通りの様子。往時の様子が浮かぶような。

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中村脇本陣跡

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清水本陣跡

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浅間神社

 道路を挟んで向かい側の小道を入る浅間神社。この日最後のチェックポイントにです。境内で、お祭りの催しとして演芸会をやっていました。ほのぼの楽しそうな雰囲気でした。

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 氏子の方々(?)が、次々に抽選券を持ってきて箱に入れていきました。何が当たるのかな?

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 発見! もう一つ本陣跡

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 バイブルには載っていなかったけれど、浅間神社側の街道沿いに、もう一つ本陣跡を示す石碑がありましたよ。マッキー(バイブル著者・八木牧夫さん)、大丈夫?

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 間宮本陣跡碑はタクシーやさんの前にありました。

 

 ここを今回の終着点とします。本陣のある通りを進んで県道163号線に出る交差点です。静岡銀行が目印です。次回の出発点として、パチリしておきますね。

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 歩いて沼津駅に到着。16時40分、7時間58分、31996歩でした。

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 最後までお付き合いくださりありがとうございました。

 近日中に三島→沼津のまちなみをリポートします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


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沼津宿ってどんなとこ?

 こんにちは!

 三島に続き、次の宿場町・沼津について調べてみました。

 ざっとこんな感じです。

 

 沼津は、水野出羽守五万石の城下町でした。

 沼津城はもともとは三枚橋城といい、戦国時代に武田勝頼が後北条氏の備えとして築いたお城です。一時廃城とされましたが、江戸期になると大久保氏が入城、その後水野忠友出羽守が藩主となって再築し、沼津城と名前を改めました。

 そして沼津は城下町を兼ねて宿場として整備されたのです。

 鹿野川河口に川湊があり、船高札場が立ち、宿内に入ってからも橋はなく舟が利用されました。古くからの港町として、遊興の場も開けていました。江尻、吉田への廻船と漁業とで、大いににぎわう宿場町でした。

 天保14年の記録によれば、家数1234軒、人口5346人。本町の辺りが宿の中心で、城下町だけに桝形が多く取り入れられた宿駅でしたが、大正2年の大火と戦災で、面影はほとんど失われてしまいました。

 しかし、北に富士山、駿河湾沿いの美しい海岸、温暖な気候に恵まれ、観光地や保養地として注目を集め、特に沼津港は近海沿岸業業の基地として発展を遂げました。現在では静岡県東部の拠点市場としての躍進しています。

 

 ふーむ・・・ かつては宿場町&城下町だったけれども、町並みは焼失し面影なし。現在は漁港として拠点の役割を担っている・・・ て感じかな? 了解なり。あんまりくわしい説明がなかったので、現地からのリポをお待ちください。

 

 そうそう、忘れちゃいけない広重さんの浮世絵チェック。

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 東海道五十三次 沼津《黄昏図》です。

 夕暮れ時、狩野川沿いの堤を歩く旅の一行。三枚橋と宿場の建物が見えます。画面中央上方に満月、その真下に奉納する天狗のお面を背負った白装束の人。黄昏図といいながら、この天狗の顔に釘付けされてしまう私は、広重さんの思惑通りですね。たぶん。相変わらず構図の上手い広重さん。

 今度は、浮世絵スポットを見逃さないようにしなければ。沼津宿手前の、三枚橋三枚橋三枚橋・・・三回唱えてインプット。

 

*参考

『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)
『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)

『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(山と渓谷社 八木牧夫)

numazukanko.jp

 

 

 

 

 

暦と水の街・三島宿

 こんにちは!

 日本橋から品川まで、歩いてみてからちょうど1年経ちました。「とりあえず箱根くらいまでなら行けるんじゃない?」が、「やっぱり京都三条大橋でしょ!」になり、箱根の石畳でへとへとになった現在では、どこまで行くかはペンディング。

 街道ウォークスタート1周年記念日にあたる今日は、前回到着した三島宿について、ざっくり下調べをしますので、お付き合いください。

三島と言えば三嶋大社ですね!

 三島は古くから伊豆の国府であり、伊豆地方の政治・文化の中心でした。宿駅となってからは、箱根峠を控える宿として、また三島明神(現在の三島大社)の門前町として大いににぎわいました。とりわけ街道の難所である箱根峠を無事越えた人々は。「山祝い」として祝杯をあげました。

 こちら前回の三嶋大社の写真です。へろへろに疲れて山祝いの祝杯ではなく「デニーズ」の遅いランチでしたが(笑)、そのあとに参拝しtました。

 

 

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なぜ暦の街か? 

 この三嶋大社の社家(三嶋大社の神職に従事する人々)である河合家は、江戸時代に三嶋暦を発行しました。三嶋暦は、仮名文字の暦は仮名文字の暦としては日本最古の太陰太陽暦で伊豆地区を中心に広く関東方面で使用され、毎年、幕府にも献上されています。平仮名であることから「わかりやすい暦」として足利学校でも使用されました。

 また、木版刷りの品質が良く、細字の文字模様がたいへん美しいことなどから、旅のみやげやお歳暮などとして人気がありました。価格は慶応4年で、綴り暦(16ページ)が150文(今の価格で3,000円くらい)、一枚ものが15文(今の価格で300円くらい)でした。

 河合家の主屋は、安政地震の被災直後に再建され、現在では「三嶋暦師の館」として三島市が資料館として公開しています。人気のあった三嶋暦を、現代風に再現させた「現代版・三嶋暦」の販売もしています。

 チェックポイントには入っていないのですが、三嶋暦師の館、おもしろそうですね。寄ってみようかな?


 ところで三島宿の中心地はJR三島駅の南口を出て、名勝「楽寿園」(明治23年に小松宮影仁の別邸として造営。昭和23年から三島市立公園として一般開放)を右に見て進み、本町交差点を出たあたりでした。
 天保14年(1843)の記録では、家数1205軒、人口4048人となっています。

 三嶋大社や「三嶋暦師の館」は歴史を感じさせますが、宿場後には残念ながら本格的な江戸建築は見当たりません。

なぜ水の街か?

 三島宿の北方の菰池や小浜池から富士山の地下水が湧きだし、小川となって街中を流れています。

 宿場町ならではの古い町並みの名残りはありませんが、湧水の流れに沿って「水辺の文学碑」が並べられ、散策が楽しめるようになっています。

 こちらは前回の写真です。とても暑い一日でしたが、見た目だけは涼やかだった(?)かもしれません。

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 「三島と言えば三嶋大社でしょう「」というのは広重さんも同感だったようで・・・

 久しぶりに広重さんの浮世絵です。

 安藤広重「東海道五十三次」三島 副題《朝霧》

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 早朝の薄明かりの中、朝霧立ち込める宿場を旅立つ人々を描いています。画面中央に描かれた駕籠に乗る人の表情に注目。朝早くて眠そうなのがおもしろいです。馬の背の両端につづらを乗せて、その上に座る乗り方は乗掛といいました。

 この一行以外はすべてシルエットとして描かれている手法にも注目。円山応挙によってはじめられたシルエット描写の影響を受けたものだそうです。広重さん、研究熱心ですね。この手法により、三嶋大社の鳥居もシルエットですが、大きくて立派な鳥居でしたよ。

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 この写真は前回撮影したもの。境内の方から街道を眺めています。広重さんの画と同じ構図の写真、取り忘れてしまいました。いつも忘れないでいたのに、全く頭をよぎらなかったです。本当にへとへとだったもので。失敗失敗・・・

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

*以下を参考にしました。
『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)
『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)

www.city.mishima.shizuoka.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先取り! 三島→片浜

 お久しぶりです!

 なぜ久々かというと、ちょっと取り込んでおりました。夏はとある資格を取るべく独学に励んでいて、ブログの更新がほとんどできませんでした。資格の方はと言うと、思っていたよりイバラの道で(汗)、まだ達成できずにいます。何の資格かって? 合格した暁には、途中経過も含めてご報告します。たぶんギブアップにはならないと思うけど、道は遠そう・・・ 東海道もしかり・・・

 

 はい、それで東海道ですね。えーと、三島まで来ています。で、ここらで予習を。タイトルを見て、「えー? 片浜?」って思われた方、いらっしゃいます? 

 三島の次の宿場は沼津ですが、この間5.9㌔。もう少し行けるかなぁ?ってことで、その先の片浜駅までに設定してみました。どうでしょう?

 三島→片浜のチェックポイントを見ていきましょう。毎度のことながら、一応説明しますと、このブログでのチェックポイントとは、街道ウォークのバイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫・山と渓谷社)で名所・旧跡とされている所です。

 

  1. 問屋場跡
  2. 円明寺
  3. 世古本陣跡
  4. 樋口本陣跡
  5. 三石神社
  6. 蓮馨寺
  7. 伊豆国分寺搭跡
  8. 林光寺
  9. 善教寺
  10. 秋葉神社
  11. 千貫樋
  12. 常夜燈
  13. 宝池寺(一里塚)
  14. 玉井寺(一里塚)
  15. 法泉寺
  16. 秀源寺
  17. 八幡神社
  18. 智方神社
  19. 法界さん・蛇塚
  20. 八幡神社
  21. 潮音善寺
  22. 領界石
  23. 小社
  24. 平作地蔵
  25. 一里塚・玉砥石
  26. 沼津城跡
  27. 城岡神社
  28. 三枚橋城外堀石垣
  29. 高田本陣跡
  30. 中村脇本陣跡
  31. 清水本陣跡
  32. 浅間神社
  33. 東方寺
  34. 真楽寺
  35. 乗運寺
  36. 六代松標石
  37. 六代松
  38. 妙伝寺
  39. 山神社
  40. 八幡神社
  41. 諏訪宮
  42. 正覚寺
  43. 清玄寺
  44. 八幡宮
  45. 栄昌寺
  46. 吉祥寺
  47. 一里塚跡
  48. 蓮窓寺
  49. 伊勢神明宮

 49個!! ありゃりゃ、たくさんありますね。片浜まで行くの、無理かも・・・ 

 31清水本陣跡までにして、沼津駅から乗って帰ってくるのが賢明か?

 

チェックポイントの中から、いくつかピックアップしてみますと・・・

円明寺

 康永3年(1344)将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)の叔父にあたる日静上人(にちじょうしょうにん)が法華堂(ほっけどう)として建立(こんりゅう)し、文明11年(1479)日澄上人(にっちょうしょうにん)によって開山されました。明治10年(1878)3月、柿田屋火事で類焼したため同年、三島にあった樋口本陣の正門を山門として移築しました。境内に孝行犬の墓があります。幕末の頃、寺に住む母犬が病気になると子犬たちが懸命に看病しましたが、母子とも死んでしまうという悲しい物語が伝えられています。

三石神社

 昔、源兵衛川の川沿いに三石(みついし)という巨石があり、その上に社殿を建て稲荷社を祀り、三石神社となりました。古記によれば天明年間(1781~1789)に、隣村の新宿(しんしゅく)の出火で大中島町(現、本町)や三島宿の大半が類焼したときに、火防(ひぶせ)の神も併せ祀ったようです。

 その後文久年間(1861~1864)に焼失しましたが、慶応元年(1865)7月、再び京都の伏見稲荷大社より分霊を受け、祀られたということです。平成3年(1991)に少し南に移り、現在の地に建て直されました。

 また、境内にある鐘は、「時の鐘」と言われ、江戸時代から旅人や三島の人に親しまれてきました。最初は寛永年間(1624~1643)に鋳造(ちゅうぞう)され、その後何回か改鋳されました。特に大きな鐘が宝暦11年(1761)に川原ヶ谷の鋳物師(いものし)沼上忠左衛門祐重(すけしげ)によって造られ、三石神社境内に設置され三島八景の1つにも数えられていました。

 三島宿の人たちはこの鐘の音で時を知りました。しかし第2次世界大戦時にこの鐘も軍戦用に供出され、現在の鐘は昭和25年(1950)に市民の有志によって造られたものです。

蓮馨寺

 日限地蔵尊、芭蕉老翁墓と句碑「いざともに穂麦喰はん草枕」があります。

玉井寺(一里塚)&宝池寺(一里塚)

 江戸から29里目。向かい合っています。慶長9年(1604)に同時に作られました。宝池寺一里塚は、昭和60年(1985)に改修され、当初の一里塚のように、

塚上に一本の榎が植えられました。一方の玉井寺一里塚は、長年の間に根付いた木とともに塚の自然変化を伝えており、対照的な二つのい一里塚です。

 

チェックポイントではないけれど、チェックしたいところ

柿田川湧水群(柿田川公園)

柿田川は富士溶岩流末端からの湧水とするわずか1.2㌔の小河川ですが、水量は毎日100万トン余で、「東洋一の湧水」と言われます。多くの穴から砂を巻き上げながら出てくる様子を間近で観察できますが、その水温は15度前後でほぼ一定です。

千本松原

天文年間(1532~1555)に強風と塩害から守るために、狩野川河口から田子の浦湊まで約10㌔にわたって植樹された松林。原宿から元吉原付近までは旧街道とほぼ接していて、日本百景、白砂青松100選にも選ばれています。

 

 まだまだいろいろあるのですが、ガイドブックやホームページからの引用ばかりでは芸がないので、このくらいでやめておきます。あとは現地からのレポートをお待ちくだい。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。近日中に、先取り第2弾「三島宿・原宿ってどんなとこ?」をアップする予定です。

 また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 今日のレポートは、以下を参考にしました。

『「東海道五十七次」の魅力と見所』(志田威 交通新聞社)

『広重と歩こう東海道五十三次』(安村敏信 小学館)

www.city.mishima.shizuoka.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

第16回ウォーク 山中→三島

 

 8月4日、日本中が酷暑でどうかなってしまいそうな日に、山中→三島ウォークを敢行(強行?)しました。

 石畳のゴロゴロ道が延々と続く中、とにかく暑くて、これは熱中症になってもおかしくない(むしろなりそうな・・・)状況下、せめてペットボトルでの水分補給だけは気をつけました。帰ってきた翌日から膝が痛くて、しばらく歩くのが辛かったです。何をやっているんでしょうね? どっと疲れてブログにアップせず、今まで塩漬けにしていました。

 やや曖昧になりつつある記憶をたどって、振り返ってみます。お付き合いください。

 

山中城跡

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 前回、最終地点とした山中城址バス停です。ここからスタートします!

 そもそも、ここに来るまでがまず大変でした。都内から新幹線に乗ってしまいましたから・・・ 三島からバスに乗ってここに降り立ったのは9時19分です。

 長い一日のはじまりはじまり~

 
馬頭観音
八里記念碑 司馬遼太郎

 バス停のごく近くにある、最初のチェックポイントです。

 ちなみに、チェックポイントとは、バイブルにしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)で名所・旧跡とされているところです。

 馬頭観音と記念碑は、同じ場所に仲良く並んでいました。

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 左側が司馬遼太郎の記念碑です。

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 「幾億の足音が 坂に積もり 吐く息が 谷を埋める わが箱根路にこそ」と彫られています。

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 辺りは、このようなしっとりした石畳の道です。このころはまだ、石畳もきもちがいいなあなんて、思っていたのですが・・・

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 くろやぎ(同行人・夫)が「タイヘンタイヘン、通行止めだ」と前日から気にしていたのですが、このことね・・・

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 地図の迂回道の通り進みます。迂回路には、チェックポイントの芭蕉句碑もあるので、却って迂回してよかったかも。

 
芭蕉句碑

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 芭蕉句碑は旧道ではなく、大きな通り沿い(今回は迂回路)にあるので、要注意ですね。旧道を歩いていても、ありません。

 「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」貞亭元年(1684)の秋、芭蕉がここを通りかかりましたが、時雨れて富士山は見えなかったということを詠んでいます。芭蕉さん、残念! このあたり、富士見平と言われています。

 

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 迂回せずに石畳を歩いてきたとしたら、ここに出てきます。ご覧のように今回は工事中でした。

 

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 この先、再び石畳の旧道に入ります。「よかった、旧道だ」と思ったのですが・・・

 

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 こんな感じ。石畳の工事が終わって、開通ホヤホヤのようです。炎天下、ゴロゴロの石畳を歩きます。「別に石畳に改修しなくても・・・。ウッドチップにしてくれー」とぼやきたくなりましたが、やはりここは石畳でないといけないんだろうなあ。

 途中「明治天皇休憩碑」というのがチェックポイントだったのですが、見つからなかったです。たぶん、見落とし。

 

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 石畳の道からいったん車道へ。大きなつり橋が売りの、「三島スカイウォーク」というレジャー施設です。車も人も、すごい混雑。アスファルトへのギラギラの照り返しにクラクラして、やけにゴージャスなトイレだけ借りて早々に退散しました。

 

 テーマパークから一歩離れれば、またおなじみの石畳です。あれは何だったのだろう? あそこだけ別世界でしたよ・・・

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馬頭観音

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 特に説明もなかったのですが、チェックポイントの馬頭観音。あやうく見落とすところでした。トタン屋根の祠の中におさまっています。

 

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 歩くにつれ、石畳がなんとなく荒れた感じに・・・ だから補修しているのかしらん。石の間から雑草がのびるにまかせられ、手入れが追い付かないような。

 

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 この区間の石畳、そろそろ終わりかなという頃の風景です。農家が点在し、畑が広がり、生活感があります。のどかだなーと思って歩いていたら・・・

 

 えっ、野菜泥棒? 監視カメラあるの? こわーい!

 のどかな気分が一気に吹き飛びました。

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史跡箱根旧街道碑

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 旧街道の案内板を横目に、農家の脇を通る石畳を歩きます。この石畳は、現代のものですね。

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 あれ、笹原に出てしまいました。この辺りに「笹原の一里塚」あるはずなのですが、さっぱり見つからず。

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 オブジェ的なのはあるんですけど、肝心の塚はどこに?

 

 この茂みですかね? にしてはただの茂みにしか見えないけれど。

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 ふと目にとめた案内板をよく読んだら、なんと通り過ぎてしまったらしいことがわかりました。

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笹原の一里塚跡

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 これが笹原の一里塚です。

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八里記念碑 大岡信

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一里塚の場所に、大岡信の記念碑もありました。

 

 実は、さっき「これは現代の石畳だな・・・」などといいながら歩いた石畳風の道の一本裏が、旧街道でした。

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 この写真で見ますと、左側が石畳風の農家の前の道。右側が旧街道。その右の茂みが一里塚。野菜泥棒に警告する看板に気を取られ、道を間違えてしまったのでした。

 

 一里塚がわかったところで、再び旧街道を進みます。

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 石畳ではなく、歩きやすいです。 

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道祖神・馬頭観音

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 チェックポイントの道祖神と馬頭観音です。向かいに高札場跡だということですが・・・ 特に表示はありません。

 道路を挟んだ向かい側は、こんな感じになっています。

 

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 こわめし坂です。

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 あまりの急坂のため、背負ったお米が汗と熱でこわめしになったという言われがあります。確かに急です。

 この日の朝、三島駅前のコンビニで「きのこの山」を買いリュックに入れていましたが、チョコ部分が全てとけて、小袋の中で一枚のチョコチップクッキーになってしまいました。こわめし坂ならぬ、チョコチップ坂。


山神社

  山神社、またの名を天神社というようですね。土砂崩れで何度か流されたため「流の天神」ともいわれたという説明が印象に残りました。

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 急な長い石段ですが、覚悟して上りましょう・・・

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 石段の上から街道を望んだところです。いい眺めですね。

 

 しばらく平坦な道が続きます。

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松雲寺

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 東海道を行き来する参勤交代の大名たちの休憩所になったお寺です。生麦事件を起こした島津光久もここで昼食を摂りました。

 

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 明治天皇が座って富士山を眺めたという「御腰掛石」です。私も座らせていただきました。割と疲れていたので、ペットボトルの水を飲んでエネルギーチャージ。

 

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 富士山は見えませんでしたが、確かに眺めはいいですね。

 

 またまた、このような平坦な道をひたすら歩きます。

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大時雨坂

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 大時雨坂です。右手に見えるのが坂公民館です。


史跡法善寺旧址碑

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 法善寺というお寺があった場所を示す碑です。法善寺には後ほど立ち寄ります。

 

坂幼稚園

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 名所でも旧跡でもないのですが、バイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)が名所・旧跡の赤印にしているので念のため写真をアップ。たぶん間違いですよね

 

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 幼稚園の右側の小道を下ります。

 

七面堂旧址碑

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 小道の途中にありました。足利尊氏の建立ですって!

 

題目坂

 小道を下りると題目坂になります。

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 なぜ、題目坂というのでしょうね? 

 題目坂を下りると車道に合流。「出生馬の碑」が目の前に。碑の裏手が「山神社」です。

出征馬の碑

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山神社

 高い石段の先に何があるのか・・・ 何だかちょっとめげてしまい、続きはくろやぎに託してしまいました。

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 ほう、ちゃんと説明板も撮ってきてくていたようで。しかも、私より写真がうまい。カンペキ、くろやぎ。


法善寺

 もとは題目坂の上にあった法善寺です。(先ほど、址碑をアップしています。)

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 お寺を後に、またまたてくてく歩いて行きますと・・・

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六地蔵

 突然、パッと明るい光景に。たくさんのお地蔵様が迎えてくださいました。まるでお花が咲いたような華やかさ。右手の建物が、地蔵堂です。

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 再び旧街道に入ります。

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臼転坂

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 臼が転がるほどの坂だったから「臼転坂」。実際はそれほどの勾配ではありません。よかったよかった。

 

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 こんな感じのゆるい坂。

 

 にしても、もう少し手入れをした方がいいのでは?

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 通せんぼしているようだけど、「入ってはいけません」という印ではありません。ただ、竹が倒れているだけです・・・

 荒れ果てた道を進みます。ちょっと不安。ここ、通れるの?

 

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馬頭観音

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 不安を抱えながら歩いて行くと、チェックポイントの馬頭観音。何気なくありますが、これ、文政5年(1822)の建立です。

 

 旧道を出たところの道標です。この辺り、塚原新田です。

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普門庵

 石塔が集められているという「普門庵」は工事中でした。まさか工事中とは思っていないので、危うく見落とすところでした。気が付いたくろやぎ、ナイス!

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山神社

 山神社は普門院のすぐ裏手にあります。少々わかりにくいので注意。

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 またまた急な石段です。山神社って、必然的にこうなるのね。

 

 上り詰めた先は、小さな社殿の静かな境内です。

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永代鎮座

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 街道脇に何気にあった「永代鎮座」。これもあやうく見落とすところでした。「永代鎮座」って何でしょうね? 昭和十年と彫ってあるから、そんなに古いものではありませんね。


宗福寺

 鉄牛上人という人が、菩薩像を運んでいましたが、ここで急に動かなくなってしまい、菩薩像をここに安置したと伝わっています。

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 足元の小さな小さな観音様に、心惹かれました・・・

 ひなびた感じの小さなお寺ですが、「軒下の美術館」というのをやっています。(この辺りのあちらこちらで、「軒下の美術館」をやっているようです。)


石仏

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 はっきりとはわからないのですが、位置的におそらくこれがチェックポイントの石仏でしょう・・・


箱根路の碑

 箱根路の碑。大きな石が目立ちます。

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 こちらもお見逃しなく。大きな石の碑に寄り添うように建っています。寛政3年(1791)の建立です。

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 実はこの辺りを歩いているときは、太陽ギラギラでクラクラしそうでした。大きな交差点(塚原新田の交差点)に立つと、アスファルトの照り返しの向こうに、「フルーツパーク」なるレジャー施設が見えます。とっくにお昼も回っているし、休憩か・・・と思わないでもなかったけれど、実際フルーツパークに呼ばれている気もしたけれど、ここで休憩したらそのままバスに乗って三島まで帰ってしまいそうなので、パス。

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 疲れて写真も手ブレです・・・

 

 国道1号線に沿って、歩道のような近さで旧道があります。現代の石畳です。これが延々と続くことになるとは、この時はつゆ知らず。

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 歩き始めていくらもしないうちに、現代の石畳に悲鳴をあげたくなりました。歩きにくいことこの上なし。お散歩感覚で短距離をぶらぶら歩くにはいいのでしょうが、石畳、ウォーキングには全く向いていないと思います。


錦田の一里塚

 大きいです。しかも両側揃っています。今まで見た中でも、ベスト5に(?)入るくらいの、立派な一里塚です。それもそのはず、国指定史跡です。

 日本橋より28里目。木は榎です。

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 この辺りは、「箱根八里西坂」になるのですね。

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 歩道橋も石畳(現代の)。

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 ここの石畳、「静岡県まちなみ50選」なのですね。歩きにくくても、石畳でないと、ね。

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 石畳の遊歩道に並行している国道1号線。松並木が立派です。

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 初音ヶ原の松並木です。明治時代以降、街道の松並木は枯れる一方でしたが、ここだけは残った・・・との説明です。


旧道の碑

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大根の碑・雲助備前繋の墓

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 チェックポイントの大根の碑はこれかしら? 同じところにあるという雲助備前繁の墓はよくわかりませんでした。

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 大根の碑がある横断歩道のところでしばし休憩。やっとみつけたコンビニで「いろはす」を買い、ここに座って呆然としたのでした。正直に言って、この時は熱中症一歩手前だったかも・・・

 

 なんとか気を取り直して再び出発。終わったかと思っていた石畳がまた出現。そんなぁ・・・ 勾配は全く気にならないのだけど、靴の底が痛い。

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 愛宕坂です。説明板によりますと、江戸時代の道幅は、3.6メートルだったそうです。

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 愛宕神社というのがあったようですが、現在では、「三島東病院」の敷地になっています。

 

 やっとい石畳から解放されました。

 踏切を渡ります。ちょうど東海道線が通過したのでパチリしました。

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 踏切から眺めた線路。真っ直ぐでほれぼれしました。

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真立寺

 ガイドブックに説明がなく、現地に説明板もなかったので、どういうお寺かわからないままですが、チェックポイントですのでパチリしました。

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 ひなびた街道から郊外の景色に変わりつつあります。

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宝鏡院・足利義詮の墓

 足利尊氏の子、義詮(よしあき)のお墓があるお寺です。本尊の薬師如来は、あの運慶の作です。

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 源頼朝が参拝したときに笠を置いた石だとか・・・

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 参道の出口のところに「鞍掛け石」。見落としご用心。

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 「鞍掛け石」の説明です。参詣する人が馬を乗り降りした場所、ということですかね?

 

 大場川に架かる新町橋です。

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 晴れていれば富士山が望めるビューポイントのようですね。


東見付跡

 橋のごく近くに「東見付跡」があるということで探したのですが、それらしい表示は見つかりませんでした。残念。

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 この新しいお宅のあたりかな? 位置的に。

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八幡神社

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 ガイドブックによれば、守綱大神を祀っているそうです。説明板はなし。


妙行寺

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 こちらも特に説明はありませんでした。(ガイドブックにも説明なし) 落ち着いた佇まいのお寺でした。


王子神社

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 同じく説明なし。写真だけアップしますね。この辺りまで来ますと、すっかり街中です。


光安寺

 光安寺の説明は、この通りです。

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 今思ったんですけど、鼻取り地蔵ってどうしてそう言うの?

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 古い佇まいのお店だったのでパチリさせていただきました。肥料屋さんですね。

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 ようやくここまで来ましたね。後、残すチェックポイントは三嶋大社のみ。ここで大休憩を取りました。時刻はとっくに2時をまわっていて、お昼というよりおやつに時間に近かった。やっと会えたファミリーレストラン「デニーズ」で、ドリアを。デザートに桃のゼリーも食べました。クーラーのきいた店内が、ありがたかったです。

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三嶋大社

 いよいよ本日最後のチェックポイント・三嶋大社っです。大通りに面した参道、立派です。

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 鳥居より大通りを見たところ。「うなぎ屋」の看板に、「三島名物のうなぎ、食べたいな~」と思いました。残念ですが、ハードな街道歩きとグルメは両立しませんね。

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 門もとても立派です。

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 重厚な本殿です。

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 さんざん迷って、受験生の我が子に学業成就のお守りをいただきました。受験生くん、がんばれ。

 

 街道ウォークの終着点は三嶋大社ですが、これはそのあと三島駅に向かって歩いた文学碑の並ぶ水辺の散歩道です。

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 三島駅前ロータリーに到着しました。

 時刻は16時33分、28147歩の道のりでした。

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 ここまで長文にお付き合いくださりありがとうございまた。更新した折には、また訪ねてくださると嬉しいです。

 どこまで行けるか東海道。本人たちにもわかりません・・・


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箱根の関所より三島を目指して

 7月16日(日)、第15回街道ウォークを実施しました。前回終着点の箱根関所跡から三島をめざしましたが、いかんせん遠いので山中城址がこの日の到着点になりました。あいかわらず石畳の旧街道は歩きにくくほとほと疲れましたが、距離は短かったので余裕をもって終ることができました。それでは振り返ってみましょう・・・

 

 10時20分、箱根関所に降り立ちました。いやいやここまで遠いこと。家を出たのは早かったのに、10時過ぎてやっとウォークスタートとなりました。

 

本陣はふや跡

  箱根ホテルが「本陣はふや」跡ということで、はい、これね。立派なホテルですねー。樹齢400年の楓が残っているとのことでしたが、わからなかったです。ホテルの庭まで入るとあったのかも。

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 近くに箱根駅伝のモニュメントが。小さな小さな広場になっています。

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山の神

 箱根駅伝に山の神と言われた選手がいましたが・・・こちらは、元祖?山の神。

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 里に豊作をもたらす馬頭観音があります。

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 路面にこんな表示が。三島まで14.5㌔ですって! こりゃ大変だ・・・

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駒形神社

 犬塚明神が祀られている駒形神社です。

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 こちらが犬塚明神です。

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 犬塚明神って何って方のために説明板をアップ。

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 箱根宿を建設するときに狼がたくさんいて悩まされたので、2匹の唐犬に退治させて宿場が完成したのだけれども、犬も傷ついて死んでしまいました。その犬を埋めて祀っています。

 

 駒形神社の説明はこちらをどうぞ。

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石仏群

 箱根で最も古いという石仏群です。草むらの中にひっそりと。

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 これより、旧道に入ります。石畳、お久しぶり・・・ お手柔らかに願います。


向坂

 まず、向坂。

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 石畳みの残っている味わい深い坂だということですが・・・

 

 なかなか手ごわい石畳。まん丸つるつる。滑りそう。

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 続く釜石坂。これより、見どころは坂ばかり。

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 街道歩きというより、山登り。

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 風越坂。

 当時、石畳が敷かれたのは山道だけで、集落など平坦な道には敷かれなかったんですって。山道はぬかるんで大変だったのでしょうね。今でこそ、「石畳歩きにくいなー」とぼやきたくなるけれど、石畳でないと山越えはできなかったのですね。

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 挟石坂

 箱根峠に向かう最後の坂です。この写真は、登り切ったところから取りました。f:id:kaz-mt-wisteria:20180729161753j:plain

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 挟石坂のあった箱根旧街道の説明板です。

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箱根峠

 とうとう箱根峠に着きました! 江戸時代では相模・伊豆の国境。現在では、神奈川と静岡の県境です。

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 箱根峠。こんな開けたところです。日本橋を出発して、とうとう静岡県まで来ましたよ。感慨ひとしおです。

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 次のチェックポイント「脚気地蔵」を探して少し歩きましたが、箱根峠のバス停裏にあるとバイブル(ガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』)に書いてあるのに気がつき、変だなあと思いつつ戻ります。だって、マップ上では、箱根峠より先だから。やっぱりさっきのバス停まで戻ってもありません。

 また三島方面へ向かい歩きますと、「箱根峠」の信号があり、

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 さっきとは別の「箱根峠」のバス停があるではありませんか。


脚気地蔵

 さっきのは東海バスの箱根峠のバス停。こちらは、伊豆箱根バスの箱根峠のバス停。脚気地蔵はこの裏に。

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 実の親とも知らずに殺して金品を奪ってしまった不運な親子の供養塔だそうです。息子を探して旅に出た父親がここで持病の脚気で倒れて、通りかかった男がが介抱を装って刺し殺し財布を奪おうとしたら、見覚えがある財布で、親だとわかり泣き伏した・・・

 いや、しかし、親でなくても殺しちゃダメでしょ。と突っ込みたくなった・・・

 

 脚気地蔵、この説明板の奥ですが、うっそうとしていてちょっと怖かったので、パチリしただけで失礼しました。

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 さて、箱根峠を過ぎてこの先どちらへ進むか?

 このあたり、分岐点になっていますが案内も少なく、ちょっとわかりにくいです。

 営業していないドライブインの駐車場でトイレの近くに表示あり。

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 半信半疑で歩き出そうとすると、駐車している車の中から、おじさんが「三島方面へ行くの?」と声をかけてくださいました。その通りであることを告げると、「ちょっと待って」と言い残してどこかへ一瞬消えてから、パンフレットの束を抱えて戻ってきて、「これを持って行って。こっちをまっすぐだから。井上靖の碑があるよ」と教えて下さったのでした。どうやら、ここで旅人を見かけたら声をかけるのを日課とされている方のようです。ありがとうございました。パンフレットも、この後のウォークで大変役に立ちました。(ガイドブックより、ずっと詳しい)

 

 ちなみに、親切なおじさんがいたのは、「茨ヶ平」。

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 教わった通りの道を歩き始めます。

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 これより、どうやら旧道のようです。三島宿まで11㌔と書いてあります。

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 ちょっと風情がありますね・・・

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八ツ手観音

 手を数えてみますと・・・1 2 3 4 ・・・確かに八本ですね。特に説明はなかったのですが、間違いないでしょう。

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八里記念碑 井上靖

 八ツ手観音のすぐ近くに井上靖の記念碑。さっきのおじさんが言っていたものですね。この道で間違いないことが確認できて嬉しい。

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 いい感じに趣のある道が続きます・・・と言いたいところですが、

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 足元の石畳、やっぱり歩きにくいです。早くもややうんざり(すみません)。

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 この区間のどこかに甲石跡があったらしいのですが、見落としました。というか見つけられなかったです。

 

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 石畳、いったん終わり。一般道路に合流します。

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接待茶屋跡

 またすぐに旧道に入ります。旧道の入り口に接待茶屋跡の看板がありました。

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 江戸時代、険しい街道において、食料や焚火を施して旅人を助けていたという接待茶屋。明治維新でいったん途切れたものの、再びオープンして、なんと昭和47年まで続けていたというからオドロキです。昭和47年って、わりと最近だし。私、生まれてるし。


史跡箱根旧街道碑

 接待茶屋とほぼ同じ場所にある道標。

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 接待茶屋から続く旧街道の様子です。なんとなく往時が目に浮かびます。

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一里塚跡(接待茶屋)

 一里塚については特に表示がなかったのですが、おそらくこれでしょう。接待茶屋の向かいです。このうっそうとしてこんもりした感じ、一里塚。日本橋より26里目です。

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徳川有徳公遺跡碑

 これまた接待茶屋のすぐ近く。

 接待茶屋の近くはチェックポイントが集中しているので、気をつけて。

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甲石

 接待茶屋よりいくらも歩かないところにある甲石。甲石跡は見逃したけど、本体を見たから良しとしよう。

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 甲石の説明。

 秀吉が小田原攻めに向かう途中、兜をぬいでこの石の上に置いて休憩したのだそうで。

 休憩した場所は見落としていて、石はこれ。

 とまあこんな理解でよいかしら。それにしても、秀吉はあまり好きになれないな。東海道を歩いていると、秀吉が焼き払ったとか、秀吉が休憩したとか、そんないわれがたくさんあるけれど。

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明治天皇御小休址碑

 明治天皇の小休址は、しばらく歩いたところにありました。

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 往時はここから駿河湾がのぞめたということですが、今は深い山の中です。

 

 山道を歩きことに気をとられ、チェックポイント見逃しそうだなあと思っていたら、こんな表示が。ありがたいです。

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念仏石

 表示の先に念仏石。

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 旅で行き倒れた人を宗閑寺(後で行きます)というお寺で供養し、ここに碑を建てました。


施行平

 バイブルによれば、開けた台上に出るとありますが、ここかしら? 開けているかも。石畳が一瞬途切れ、ほっとしました。一瞬でしたが。

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 すぐまた石畳。

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 石畳に辟易していたら、きれいな紫陽花。

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 野生化しているのかな。大きくて見事だね~なんて話していたら、ちゃんと植林しているのですね。

 

 一般のお宅の敷地のすぐ前を通ります。失礼いたします・・・

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 やがてすぐに表れる表示に従って迂回します。

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 いったん旧道は途切れて・・・

 車の通る道を横断します。

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 横断すると、バス停です。ここ、農場前っていうんですね。さっきのお宅の農場かな?

 

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 表示に従って道路から旧道へ下ります。

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 うっっ、ちょっと急な階段ですね。頑張りましょう!

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 標識を確認して・・・ 

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 再び石畳。石畳、おなかいっぱいですが、まだまだ解放させてもらえませんね。

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この区間に大枯木坂というチェックポイントがあったのですが、見逃しました。数ある坂の一つということで、よしとします。


雲助徳利の墓

 雲助徳利の墓まで来ました。

 ちなみに石畳はここまで。しばらくは普通の塗装の道路になります。(山中から先、また石畳はあるのですけれどね。しばらくは歩きやすい道です。)

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 親切で仲間から慕われた雲助・松谷久四郎。お酒をこよなく愛し、お酒のせいで命を縮めてしまいました。お墓に徳利が彫られています。詳しくは、説明板をご覧ください。ちょっと見にくいですが。

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史跡箱根旧街道碑

 石畳の道の最後に碑があります。分岐点ですから。

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諏訪神社

 石畳を出て、まず目についた神社。諏訪神社です。バイブルには特に説明がなかったのですが、とにかく行ってみましょう。

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 本殿です。

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 境内に、樹齢500年~600年の大きな樫の木があるとのこと。

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 これですね。たしかに大きい。

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 神社の裏が、山中城址につながっていました。案内所はもっと先のはずなのですが、少し見てみましょう。城跡、広いんですね。

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 こちら兵糧庫があった場所です。

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 他にも面白い遺構が・・・

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 もっと見てみたかったけれど、きりがないので先を急ぎます。

 山中城についての説明板があったのでアップしますね。

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 山中城、急遽作られた山城で、秀吉に攻め込まれわずか半日で落城してしまったそうですが、広大な敷地にたくさんの遺構が残り、大変価値のある文化遺産なのだそうです。確かにその通り。本当に広いですし、遺構が、面白いです。

 

 諏訪神社を後にして、一般道路を歩きますと・・・

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宗閑寺

  まもなく、宗閑寺に到着です。

 

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 宗閑寺には、山中城攻防で戦死した両軍の将のお墓があります。

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 小さな住宅街を突き抜ける石畳を通ります。現代の石畳です! これはラクチン。

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芝切地蔵堂

 厄除け・芝切地蔵堂です。

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 ここで亡くなった旅人が、死ぬ間際に「私をここに地蔵尊として祀ってください。芝塚を築いて故郷の常陸の国が見えるようにしてくだされば、村人の健康を守ります。」と言い残したそうです。詳しくは説明板をご覧ください。

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 これが芝塚。

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 虫歯地蔵というのが珍しかったので、パチリ。虫歯は困りますねぇ。歯は、健康の根幹。

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 山中城址の案内所に到着しました! 案内所ですが、お食事も できるようになっています。というか、この辺り、ここにしか食堂ありません。コンビニなどは、もちろん皆無。芦川の石仏群から旧道に入ってからずっと。

 というわけで、遅い昼食となりました。

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 ご夫婦で切り盛りされていて、私たちの他にも家族連れが一組いて忙しそうだったので、あれこれ注文するのも申し訳なく、ざるそばにしました。とは言いつつ、イチオシの「寒ざらし団子」が気になって、こちらも注文しました。

 こちらが寒ざらし団子です。もちもちした揚げ団子に甘みそたれがかかっていました。もちろん美味。ざるそばも美味しかったです。

 天ざるとかお稲荷さんとか、メニューが豊富。大変良心的なお店だと思います。

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山中城跡

 バスが来るまで時間があったので、山中城址を少し歩きました。遺構の工事中でしょうか。それにしれも、広いです! 見晴らし、なかなかいいです。山城だから当然ですね。

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 こちらは次のチェックポイント、袋崎出丸跡です。

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 出丸跡、建設半ばにして中止になりました。でもちゃんと土台は残っているのですね。

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 次回はここからスタートになります。

 次回っていつでしょうね? 夏は暑いし、しばらく先かも。でも必ずまた来ますよ。だって「目指せ、三島!」ですから。

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 三島行バス停です。

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 15時5分、三島行のバスに乗りました。

 つまり、バスで一足先に三島まで到達してしまったのですが。

 次回は徒歩で目指します!

 

 長文をここまで読んでくださりありがとうございました。またお立ち寄りくださると嬉しいです。

 


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