てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

門井慶喜『銀河鉄道の父』

 街道ウォークとときどき読書のブログです。

 日本橋を出発して週末に少しずつ進めてきた東海道ウォーク。箱根の関所に到達してまずは一区切り。日帰りするには少々無理がある距離になってきました。これまでのようにちょくちょく気軽に行くことはできないかも・・・

 

 ということでしばらく読書ブログにお付き合いいただくことが増えるかもしれません。今回は、『銀河鉄道の父』(門井慶喜 講談社)です。

 第158回直木賞受賞作品です。またまた話題作を取り上げてしまいました・・・ というのも、私は本に関連する仕事をしていまして、やはり話題作は読んでおかないとモグリになってしまう気がするので。せっかく読んだので感想をつぶやいています。

 

 門井慶喜さんの作品については以前当ブログで『家康江戸を建てる』を話題にしたことがありました。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

  このとき、文章が不自然(体言止めが多いなど)なことと、史実を基にした創作であるにもかかわらず参考文献が挙げられていないことを、残念だと書かせていただきました(すみません)。今回もこれに関しては同様の感想です。

 ただ、宮沢賢治ではなく、賢治の父の心情にスポットを当てて(後半、賢治の側に立って書かれた記述も混在し、「あれ?」と思ったりもしたのですが)いる点がこれまでになく新しく、とても面白かったです。

 宮沢賢治と言えば、小学校の教科書で童話が取り上げられ、誰しも一度はその作品に出会っているのではないかと思われるほど有名です。しかしながら、生前はほとんど評価されなかったこと、詩人・作家であると同時に農業者として生きていたことなど、いわゆる明治の文豪とは異なる位置にいたこともしばしば語られているので、知っている人は多いことでしょう。また、私は子どもの頃、教科書ではもちろん自分で本を借りたりもして、宮沢賢治の童話を読む機会がありましたが、優しい語り口なのにどこか説教臭く、「好きになれないなあ・・・」ともやもやとした感想を抱いた記憶があります。理想を語り、諭される感じになじめなかったというか。立派過ぎるような感じ。

 でも、今回、この『銀河鉄道の父』を読んで、ずいぶん印象が変わりました。ここでの賢治は、世間知らずのボンボンで、学校は出たものの今でいうとニート。学業をあきらめ家族と家業のためにひたすら働いてきた父親に内心反発しつつ、正面切っては強く出ることはできない。あるあるな感じに親近感すら覚えてしまいました。そして父・政次郎は、最初は神童かと言われたにもかかわらず徐々に学業の精彩を欠き、心配の尽きない我が子を前に人知れずおろおろする大甘ぶり。なんか平成の父親みたい。

 本当に賢治って、そして賢治のお父さんってこんな感じだったの? 読み終わった後、とにかくすごく気になって、賢治について書かれた本を図書館で借りてきてしまいました。『図説 宮沢賢治』(上田哲・関山房兵・大矢邦宣・池野正樹/著 河出書房新社 1996刊)です。たまたま目についたのを借りただけなのですが、写真が豊富で、4人の著者がそれぞれの専門分野からの視点・アプローチで賢治についてわかりやすく丁寧に検証していて、とてもよかったです。人を、一面で見ることは乱暴。いい面もあれば、それが悪い面に見えることもある。心に葛藤を抱え、自分の人生もどうしていいかわからなかった賢治だからこそ、あのような澄んだ世界を自分の理想の着地点として作っていったのかもしれないなあと、今さらながら思いました。それと、子どもの頃、どうにも好きになれなかった賢治の童話の説教臭さも少しだけ合点がいきました。悩める自らを戒めるような気持ちもあったのだろうし、何より幼いころっから家族で信仰していた浄土真宗の影響が大いにあったことでしょう。(後に賢治は日蓮宗に改宗します。実はキリスト教の影響も少なからず受けていたようです。いずれにせよ宗教というものに魅かれる土壌があったのでしょうね。) この解説本を読むと、そんなこんなが見えてきます。

 

 で、『銀河鉄道の父』ですが、これがすべてではないけれど、賢治についてこういう捉え方もあるのだなあということで、評価できるし、その面白さが直木賞受賞につながったのではないかと思いました。ただ、やはり、参考資料が挙げてあったらよかったのにと残念です。種明かしはしないのかもしれないけれど、読者としては興味があるし、そうした記載があったほうがかえって信頼できるかも。

 事実と違うなんてことは言いません。だってこれは創作なのだから。創作部分にこそ価値があるのだから。「史実(事実)を基にした創作」の難しさを感じた一冊でした。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもの。それを超えるのはとても大変ですね。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180623235027j:plain

 

 

 


にほんブログ村

第14回街道ウォーク 箱根湯本→関所跡③

 ♪箱根の山は天下の険♪

 街道歩き(実質山越え)の様子を3回にわたってお伝えしています。

 3回目の今回は、甘酒茶屋から箱根関所跡を目指します。

 

 ここまでの道のりは、前回、前々回のブログをご覧ください。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613221912j:plain

 江戸時代には数軒あった甘酒茶屋。現在で唯一残るこの「甘酒茶屋」で甘酒と力餅をいただきエネルギーチャージをして再び出発です! 時刻は2時を回っています。日の長いこの時期でよかった。

 

 車道に並行している自然歩道をしばらく歩いて行きますと・・・

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613222939j:plain

 於玉坂です。なぜ「於玉坂」というのでしょうね? 「関所破りで処刑されたお玉さん」と関係あるのでしょうか? たくさん積んである石は、お玉さんへの鎮魂?

 

 いくらも歩かないところに、旧街道碑があります。なかなか雰囲気があります。江戸時代の様子が浮かびそう。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613223631j:plain

 

 説明板をアップします。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613223934j:plain

 あの和宮内親王が14代将軍徳川家茂のもとに降嫁するにあたり、幕府の命令で整備されたとのこと。

 平均3.6メートルの道幅の中央に1.8メートルの石畳が敷き詰められていたという説明をもとに、イメージしてみます。

 うーん、この幅に大名行列・・・。

 

 次々に坂が現れます。今度は白水坂

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613224630j:plain

 お金が置いてあると、自分も置きたくなる日本人。道中の安全を祈願しているのかな?

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613224908j:plain

 ガイドブックの写真になりそうな石畳です。ぱっと見なかなかいい感じだけど、繰り返しいいますが、石畳歩きにくいですよ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613225204j:plain

 こんなカーブした上り坂も石畳ですから。

 

 やがて、道の前方に大きな岩が現れました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613225131j:plain

 天ケ石坂です。

 近くを歩いていたカップルさんが、「なんだなんだ、これ、すごくね?」と言いながら、岩をバックに二人で写真撮ってました。元気だなー。

 

 山道を上り切ったところに、箱根馬子唄の碑があります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613230158j:plain

箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川

と書いてある、らしいです。

 実はここ、大変見晴らしのいい場所で、木々の間から二子山を望むことができます。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613230728j:plain

 近くに二子山についての説明板があったのでアップしますね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613230838j:plain

 自然保護のため入山禁止なのだそうです。へぇぇ・・

 

 程近いところに、お玉観音堂があります。箱根の関所破りをして処刑されたお玉を供養しています。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613231251j:plain

 お玉さんは、というか若い少女だったようですのでお玉ちゃんというべきか、江戸に奉公に出されたけれども故郷が恋しくなって逃げてきました。箱根の関所は他の関所のように「入り鉄砲」の取り締まりはなかったのですが、「出女」の取り締まりはことのほか厳しく、証明書を見せて、なおかつ身体検査も受けなければなりませんでした。逃げ出して来たお玉ちゃんが証明書を書いてもらっているはずがありません。関所を破って、捕らえられ処刑されてしまいました。

 この辺りの話については、後に立ち寄る関所跡の資料館で詳しく説明されていました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613232310j:plain

 観音堂です。お堂の前の敷地から、あの二子山が見えます。

 

 観音堂を後にして、また石畳。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180613232653j:plain

 今度は下り坂。石畳って、上りより下りの方が歩きにくいです。滑りそうで怖いので、脇の石のないところを歩いて見たりもしたのですが、それはそれでやっぱり歩きにくい。

 

 右手に赤い鳥居と石段。どこへ続くのか? 私たちは足音に気を配りながら真っ直ぐ進みます。f:id:kaz-mt-wisteria:20180614222441j:plain

 

 権現坂の案内板です。権現坂は、箱根権現に由来する坂です。説明板によれば、箱根から難所を乗り越えてここまで来た旅人が、眼下に芦ノ湖を見下ろして、ほっと一息ついた場所なんだとか。

 くろやぎ(同行人・夫)も、「遊覧船のアナウンスが聞こえる!」と教えてくれました。私にはとんとわからなかったけれど。f:id:kaz-mt-wisteria:20180614222106j:plain

 

 そしてまだ続く、石畳。ホントに芦ノ湖、近いの? 半信半疑の私です・・・

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614223158j:plain


 下り坂がなだらかになって明るくなってきたなーと思ったら、石畳が終わりました。この写真は、出口から振り返った所。史跡旧街道碑が立っています。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614223432j:plain


石畳を出てすぐの場所に、ケンペル・バーニー碑がありました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614223948j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614224118j:plain

 ケンペルは、ドイツの博物学者で、オランダ通商使節の一員として元禄4年(1691)とその翌年に箱根を越え、箱根の美しさを世界に紹介しました。

 バーニーは、この地に別荘を持っていたイギリスの貿易商です。たぶん、明治か大正?

 ケンペルとバーニーは別々の人物で時代も違うけれど、外国人で箱根を気に入ってくれた人なんですね!

 それにしれもケンペルさん、江戸時代の石畳を歩いて、しかも気に入ってくれたなんてなんてすごい。言われてみれば、

 今回も、石畳で外国の方を何組か見かけました。フットワークも軽く、楽しそうに歩いていました。家族連れのお父さん、小さい男の子を肩車してたし。頼もしいことこの上なし。

 

 興福寺です。箱根七福神のひとつで、布袋様がお祀りされているそうです。

 ここまで来れば、芦ノ湖は目の前。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614225256j:plain

 こちらが本堂

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614225447j:plain

 

 境内です。六地蔵様とか庚申塔とか?いろいろ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614225644j:plain

 

 興福寺の境内を通り抜けたら、いきなり観光地。今までの旧街道の雰囲気は吹っ飛んで、こじゃれた雑貨屋やら、お土産物屋さんやら、レストハウスやら。山中湖とか河口湖とかにも似たホントによくある観光地の景色。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614230237j:plain

 そしてこの大きな赤い鳥居は、箱根神社の大鳥居です。箱根神社はここからはまだまだ距離があるので、立ち寄りません。(いつか行ってみたいけど)


 大鳥居の脇にある賽の河原

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614230531j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614230650j:plain

 地蔵信仰が盛んだったこの地に点在していた石仏や石塔を一カ所に集めたのですね。了解。

 

 賽の河原は芦ノ湖畔にあります。ですので、芦ノ湖の写真も1枚アップしておきましょう。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614231002j:plain

 それにしても、すごい観光客の数。いつからこんなに増えていたっけ?


 賽の河原の向かいの身代わり地蔵はバス停の所にあって、ちょうどバスが停まって観光客が次から次へと降りてきたので、説明板をパシャして早々に退散しました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614231139j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614231406j:plain


 一里塚跡です。日本橋より24里目。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614231622j:plain


 一里塚のすぐそばに旧東海道箱根杉並木碑があります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614231930j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614232102j:plain

 東海道では唯一の杉並木だそうです。約420本の杉が残されています。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614232250j:plain

 杉並木は近年、樹の勢いが弱くなってきたので、保護するために様々な試みがなされているそうです。

 

 説明はこのくらいにして、杉並木の写真をご覧ください。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614232519j:plain

 f:id:kaz-mt-wisteria:20180614232550j:plain

 江戸時代に旅人に木陰をということで植えられた杉並木。現代も安らぎを与えてくれます。


 いよいよ本日の最終チェックポイント、関所跡に着きました。

 まずは、資料館を見学。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614232942j:plain

 箱根の関所についての展示がわかりやすいです。ここを見てから関所跡を見学するのがよいと思います。

 

 資料館を出ると、関所跡の門になります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614233045j:plain

  すごい威圧感。ここを通った江戸時代の旅人は(一般人)、本当に怖かったんだろうなあと同情してしまいました。

 関所跡では、建物の一部が復元されています。関所という場所柄、あんまり楽しい気持ちのする場所ではありません。

 

 たとえばこれは獄屋。こんなところに閉じ込められるのはいやだなあ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614233653j:plain

 

 これは取り調べを行う建物。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614233857j:plain

 

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614234009j:plain

 なかなか良い眺めですが、この高台は、関所の見張り台があった場所。眼下に関所の建物、その向こうに芦ノ湖が見えます。関所をぬけだして湖の上を手漕ぎ舟で逃げて行っても、ここから見えてしまうというわけ。

 

 一応説明板もアップしますね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180614234407j:plain

 

 関所跡には売店とか、茶店とかもあったのですが、バスの時間が気になってパス。案の定、バス停に到着したとたんバスが来ました。ラッキー&アブナイアブナイ・・・

 16時31分の箱根湯本行のバスに乗りました。9時43分に箱根湯本の駅を出発してから6時間12分、26611歩、18.6㌔のウォークでした。

 次回、ここから三嶋をめざします。次回っていつだろう?

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。このブログは「晴歩雨読」、街道ウォークと読書のブログです。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 


にほんブログ村

第14回街道ウォーク 箱根湯本→関所跡②

 箱根湯本→関所跡のウォークの模様をレポートしています。

 

 箱根の関所へ向かう山間の小さな集落・畑宿を通り抜け、日本橋から23里目の一里塚を確認し、またひたすら歩くことになるのですが・・・

 ここからが、今回のウォークで私としては最も大変なところでした。

 それでは、あのキツイ行程を振り返ります。

 

 まず、前回のおさらい・畑宿の一里塚

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609230126j:plain

 日本橋より23里目。道の両脇に、当時の一里塚を忠実に再現しています。江戸の旅人の気分で、気合を入れてGO!(江戸なら、いざ! かな?)

 特に、名所・旧跡はなく、ひたすら山道になりますので、写真と共に旅人の気分を味わってくださればと思います。

 

 早速、西海子坂の石碑

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609230622j:plain

 

 側に、旧街道についての説明もありました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609230840j:plain

 雨や雪の後は膝までつかる泥道になったので、竹を敷いて舗装したのだけれども、毎年、竹を交換しなければならなくて大変な労力だったため、石畳にしたと・・・

 改良を重ねた画期的な石畳だったのですね。(くどいですが、現代人には歩きにくいことこの上ない石畳。でも、これを作るのに駆り出された人の労力を思うと、文句を言っては申し訳ないですね。ゴメンナサイ。)

 

 これより七曲り。確かに、7回曲がる道になっていました。県道なのでアスファルト。石畳の歩きにくさはありませんが、結構な勾配が、これでもかこれでもかと、延々と続きます。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609231736j:plain

 今、改めて写真を見て気が付きましたが、10.1%の勾配が1.2㌔にわたってつづいていたのですね。

 途中階段1箇所、高架下2箇所を通過しました。

 

 七曲りをクリアしますと、石段が待っていました。

 檀木坂(かしのきさか)です。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609232618j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609232911j:plain

 『東海道名所日記』に「けわしきこと、道中一番の難所なり。」で、「かしのきの さかをこゆれば くるしくて どんぐりほどの 涙こぼるる」と男の人が歌を詠んだと記されているのだそうです。

 

 こちら、檀木坂。もっとも江戸時代は階段ではなかったのでしょうけれど。急勾配とはいえ階段ならどうってことないんじゃないかと上り始めたけれど・・・

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609233400j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609234012j:plain

 なかなか坂が終わらなくて。止まると動きたくなくなるから、ガシガシ歩いたら息切れが・・・。

 「どんぐりほどの涙こぼるる」に納得。 見た目より、ずっときつい坂でした。

 

 最後の階段を見上げますと、「とろろ蕎麦」の幟がはためく茶屋が救世主のように建っていました。

 これは絶景!!

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609234426j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609234744j:plain

 樫の木平です。馬子唄に歌われた見晴茶屋があった場所で、現在も「見晴らし茶屋」というお休みどころがありました。(さっき書いたとろろそばの幟のお店)

 お昼をとっくに回っていたし、かなり歩いてきたので、とろろそばのお誘いのなんと魅力的だったことか。

 「とろそば・・・」とつぶやいてみましたが、くろやぎ(同行人・夫)にあっさり却下されました(泣) 今日はスタミナがあるな。どうした、くろやぎ?

 

 まあ、私も当初は「甘酒茶屋」でお昼のつもりだったので、反省してここはがんばることにしました。

 参考までにこちら、見晴らし茶屋。逆光ですね(汗)。疲れてクラクラしていたので、なんともマズイ写真です。だんごの文字も見えます。そうそう、「とろろそばが無理なら、おだんごでもいいなー」と思ったんだった。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609235559j:plain

 

 しばらくアスファルトの車道を歩きます。緩めの勾配ながら、だらだら長い。

 

 「猿滑り坂」のバス停まで来たら、道路の反対側に渡り・・・

f:id:kaz-mt-wisteria:20180609235848j:plain

 ・・・再び猿滑り坂の石段を上ります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610000242j:plain

 猿も滑るほどの坂だったんだそうです。今は石段ですが、江戸時代はただの山道ですね。

 先ほどの檀木坂同様、石段でも十分キツイです。

 

 猿滑り坂の次は、追込坂(おっこみざか)。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610000543j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610000801j:plain  

 ここまでくれば、まもなく甘酒茶屋ということですが。

 ガンバロー!

 

 甘酒茶屋手前の最後のチェックポイント、笈の平親鸞上人石碑です。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610000909j:plain

 説明板アップします。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610000942j:plain

 

 

 待ちに待った甘酒茶屋に到着です!! バンザイ

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610001316j:plain

 

 一服したいところですが、その前に説明板を読まなければ。

 嘘です。パシャしただけで読まないで茶屋に直行しました。改めて読み返してみます。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610001236j:plain

 江戸時代、一日10里歩くところ、この区間(湯本→箱根関所)は8里しか歩けないほど厳しく、旅人に甘酒を出す茶屋が何軒かありました。ここは最後に残った1軒だということです。

 

 甘酒と力餅をいただきました(*^-^*) 冷たい抹茶とかもあって、暑い日なので甘酒を注文してから「しまった」と思ったけど、疲れには甘酒の方がいいみたい。正解でした。ほうじ茶はサービスでして、2杯お変わりしました。本当に疲れているときは、冷たいものより温かいものの方がいいかも。

 力餅(うぐいすと磯辺が選べます)の磯辺焼は、かなり濃いめのお醤油味。でもこのしょっぱさが、疲れ直しにはちょうどいい。

 あらら、気がついたら「疲れ」という言葉ばっかり使っていますね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610002053j:plain

 

 店内薄暗く、なかなかいい雰囲気です。明るいより、疲れが癒されるかも。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610002234j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610002616j:plain

 

 外の明るいところで食べることもできます。お好みで。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180610002452j:plain

 

 甘酒をお餅でエネルギーチャージができたので、再び出発です。めざせ、芦ノ湖。

 

 ここでブログをいったん閉じます。近々続きをアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。読んでくださってありがとうございました  

 

にほんブログ村

第14回街道ウォーク 箱根湯本→関所跡①

 昨年9月に日本橋を出発して、亀の歩みで日帰り東海道ウォークを重ねてまいりました。途中、諸事情で2カ月半ほど休んだこともありましたが、ゴールデンウィークに再開。いよいよ当初の目標地、箱根です。(一応、現在は、京都三条大橋を目指しています・・・)

 しかし箱根の山越えは大変だった。戸塚の権太坂は、江戸時代は難所だっただろうけれど、今となっては道が整備されて坂も緩やかになり、ちょっと息が上がる程度。だけど、箱根の山は、容赦ない。だって、江戸時代の石畳がそのまんま、随所に現れるのだもの(泣)

 

♪箱根の山は天下の険(ハッコネッノヤッマワ テンーカーノ ケン!!)♪

3回に分けてお伝えする第1回目です。

 

6月2日(土)、9時43分、箱根湯本の駅に降り立ちました。昨日の雨が上がり、まずまずの晴れ。暑すぎずありがたいです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606223304j:plain

 箱根湯本駅前から富士屋ホテルの方に渡る橋の上より、小田原方面を眺めたところ。駅のホームに入ってくる赤い登山電車がかわいい。

 さあ、今日もガンバルゾー! まずは前回の終着点、湯本茶屋の石畳入口まで歩きましょう。名所・旧跡は前回チェック済みなので、今日はパス。ガンガン歩きます。

 

 どこも寄らないと早いですね。あっという間につきました。知っている道だからかな。長い気がしない。

 

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606223935j:plain

 こちら前回も来た石畳入口。右手建物玄関脇に、「馬の飲み水桶」があります。これ、一応おさらいです。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 入り口の説明板を今回も読んで、ふむふむと復習。(振り返りますと、この時は余裕がありましたね・・) 石畳は1680年に作られたんですね。この先、ところどころに石畳が姿を現します。全部残っているわけではありませんよ。全部石畳だったら、大変だし。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606224455j:plain

 

 こちら石畳。いざ出発!

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606225042j:plain

 

福寿院・箱根観音

 最初のチェックポイントには割合すぐに着きました。石畳が途切れた先の坂の途中にあります。山の斜面に張り付くように本堂が建っています。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606225351j:plain

 

 説明板です。徳川初期、観音霊泉が発見され、箱根唯一の名湯「長命美人の湯」として栄えた・・というようなことが書いてあります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606225636j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606225952j:plain

 敷地内より眼下を望みます。なかなか素敵な眺めです。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606230119j:plain

 お寺の入り口に貼ってありました。こういうの好きな海外からの観光客の方、多いですよね。日本文化を楽しんでいってくださいね。

 

 

 箱根湯本の温泉街の一番はずれの辺りですかね。南風荘というホテル関連の建物がたくさん並んでいて、ちょっと圧倒されました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606225900j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606230716j:plain

 こんなにホテルがあります。すごいなあ・・・!

 観音坂の碑も立っています。写真ではわかりにくいですが「登り二町余」と刻まれています。このあたり、観音坂と呼ばれていたのですね。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606231255j:plain

 結構な勾配だなあと思ってパシャしたのですが、これは序の口にもなりません。甘かったなと後から思い知ることになります。

 

初花の滝碑

 滝の碑、見落としました(泣)。しかし、いつものように戻って探す元気はありませんでした。アスファルト舗装の緩やかな上り坂とはいえ、それなりに距離も勾配もあったので。

 これは「ホテル初花」。たぶんこのあたりに滝の碑もあったのではないかと。このホテルの真ん前が、須雲川インターの入り口です。ホテルとしては、ナイスな立地ですね!

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606231613j:plain

 

 少し歩きますと、山間部にいきなり小さな集落が出現しました。写真には写っていませんが、消防団の建物もありました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606232048j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606232245j:plain

 
駒形神社

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606232901j:plain

 今度は見逃さないぞ。駒形神社。青銅の鳥居が目印。早速石段を登ってみましょう。

 

 途中に石碑。下の方に三猿がうっすら見えるので庚申塚かな?  

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606233054j:plain

 

本殿です。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606233412j:plain


鎖雲寺

 鎖雲寺は、駒形神社のすぐ近くです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606233804j:plain

 初花・勝五郎のお墓があることで知られています。初花は足を痛めた勝五郎を木車に乗せてここまで来て、箱根権現を信仰し、滝に打たれて病平癒と仇討ち成就を祈願しました・・・ということです。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606234230j:plain

 本堂です。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606234309j:plain

 こちらが、初花・勝五郎のお墓のようですね。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606234449j:plain

 小さな小さな敷地内に、小さなお地蔵様。

 

 説明板をアップします。設置したのが、お蕎麦屋さんの店主さんだというのが、珍しいです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606234608j:plain


弘法のいぼ取り水

「いぼ取り水」は見つけづらいので要注意。

 この手前に「須雲川探勝歩道」というのがあって心惹かれるけれど、入りません。(入ると「いぼ取り水」の前を通らないから)

 

 ちなみにこちらが「須雲川探勝歩道」です。ね、素敵な道でしょう? アスファルトの上り坂にも飽きていたので、入ってみました。大分歩いてしまってから、「いぼ取り水」の前を通らないのではと気がついて戻ったんですよ。くろやぎ(夫・同行人)は、若干ゴキゲンナナメ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607001052j:plain

 

 

 元に戻って再び歩きます。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606235239j:plain

 この大きな鳥居、すごく目立つのですが、ここまで来てしまうと行き過ぎ。「いぼ取り水」は鳥居より10メートルほど手前にあります。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606235533j:plain

 「弘法のいぼ取り水」 岩のくぼみに溜まった水をイボに塗ればとれるんですって!

 道のサイドの植え込みの中にありました。水が溜まっている様子をイメージしていたえすが、小さな石碑でそれとわかりました。


女転ばし坂

 旅の女の人が落馬し死んだ坂・女転ばし坂。怖い命名ですね。なにも名前にしなくても・・・

 後世まで、「気をつけろ」という注意喚起で名前に残したのかも。

 坂は関東大震災で崩壊しました。だいたいこの辺りかな? こうして見ても急斜面ですね(恐)

f:id:kaz-mt-wisteria:20180606235948j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607000355j:plain

 説明板がありました。これによれば、「女転ばし坂」ではなく「女転し坂」。転ばしならともかく、転し(ころし)だって? えっ、殺し(ころし)? 坂が殺すの? こわ・・・

 

 まだまだ、いろいろな名前の坂が出てきます。だいたい、これから先は、名所・旧跡はあまりなくて、チェックポイントと言えば坂が多い。

 

 「女転し坂」をチェックしたら、アスファルト舗装の車道から須雲川自然歩道に入ります。実は、この辺りから、試練の始まり。


割石坂

 曽我兄弟が仇討ちに向かう途中、刀を試し切りしたという石がある坂。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607001633j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607001011j:plain

 

 今までとは打って変わって、足元が悪くなりました。石畳、過酷・・・

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607002258j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607002447j:plain

「これより江戸の石畳」だそうです。これまでの石畳より、丸っこくて大小さまざまの石が組み合わさっています。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607002647j:plain

 

 少し開けたところに出ましたら、「接待茶屋」という碑が。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607003024j:plain

 

 石畳の道が、だんだんただの山道に・・・

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607002809j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607003234j:plain

 石が痛い。トレッキングシューズを履いてきてよかった。


大沢坂 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607003456j:plain

 

 大沢川の近くにあります。坂を下りきると小さな木橋が小川に架かっていてホッとすぬのですが、それまでが大変。このようなごつごつした足場の悪い道となっています。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607003847j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607004437j:plain

 石畳の道がやっと終わり一安心。畑中の集落に到着です。


道祖神

 畑宿の道祖神

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607004610j:plain


茗荷屋

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607004757j:plain

 茶屋本陣があった茗荷屋の場所です。

 

 見事な庭が残っているということですが、ここかな? なんとなく見学する雰囲気ではないので写真だけ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607004929j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607005106j:plain

 

 庭園(?)前の説明板をアップします。読みにくいですが、一応。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607005154j:plain


駒形神社

 この辺りに駒形神社があったようですが、見落としました・・ 駒形神社は畑宿の鎮守様です。

 代わりといってはなんですが、畑宿の集落の写真と、畑宿についての説明板を。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607005629j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607005658j:plain

 畑宿は、山間部に移住させて作った集落で農業には不向きな土地でした。産業もとくになかったので、山の木材を使ったと寄木細工を生業とするようになった・・・とか。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607005955j:plain

 「畑の茶屋」という茶屋&寄木細工のお店に入ってみました。これはお店の中の作業場です。

 私が子どもの頃、両親と見学に来たのはこんな感じのところでした。「ひみつ箱」というのを買ってもらいました。20回動かすと開くからくりばこ。あのとき職人のおじいさんが、「もっと難しい30回で開く箱を作っておくからまたおいで」と言いましたっけ。ずいぶん経ってから両親がまた畑宿に来て、40回のを買ってきてくれました。私はもう大人になっていたけれど「おじいさんとの約束だから」と。同じお店ではなかったようですけど。

 ひみつ箱は60回開きのも売られていました。目が飛び出るようなお値段でした(このお店ではありませんが) ここでは小さなおばあさんと優しそうな二人のお姉さんがお店番をしていていて、私が父へのお土産に「LEDライト付き拡大ルーペ」を眺めていたら、「こんなのだよ」とおばあさんがニコニコしながらライトをつけて見せてくださいました。もちろん、即決。

 自分用に(父にも)、しおり(ブックマーカー)も買ってしまいました。短時間でしたが、和みました。


守源寺

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607011332j:plain

 畑の茶屋のすぐ近くにあります。畑の茶屋・守源寺・一里塚、みな近いです。


一里塚跡

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607011650j:plain

 畑宿の一里塚。日本橋より23里目。「馬の飲み水桶」の手前に22里目の一里塚があったので、石畳入口から、ちょうど1里ですね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180607011728j:plain

 かなり忠実に復元されているわかりやすい一里塚です。

 

 長くなりました。読んでくださってありがとうございます。

 ここでいったんブログを閉じます。近日中に続きをアップしますので、また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 


にほんブログ村

♪箱根の山は天下の険♪は本当だった!

 晴れた日はてくてく東海道ウォーク、雨の日は読書三昧。そんな休日ライフを目指す当ブログですが、今回の街道ウォーク「箱根湯本→関所跡」は「てくてくわくわく」なんていうかわいいものではありませんでした。いやもう、ワシワシガクガク山歩き。石畳なんていうけれど、ありゃ、石のゴロゴロ道ですぞ。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180603230120j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180603225539j:plain

 石、結構大きいでしょ? これ、江戸時代から残る石畳です。大名行列がこんなに石がゴロゴロしている狭い山道を通ったんですかい? 駕籠をかつぐ人、荷物を運ぶ人、超人技ですね。ご苦労様。

 江戸幕府が「舗装」したという石畳ですが、現代の舗装のイメージからは程遠く、歩きにくいことこの上なし。これでもいろんな工夫がされていたらしいです。

 最初は竹を組んでいたのが石畳に変わったそうです。説明板によれば、小石と石とを突き固めた地面の上に、石と石とを組み合わせて並べ、さらに石畳の横・谷側には縦の排水路を作り、木を植えて並木の土手にしたというすぐれもの。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180603231048j:plain

 

 場所によっては石の組み合わせを工夫して斜めの排水路を作ったりもしています。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180603231337j:plain

 

 江戸時代の最先端の土木技術だったんでしょうね。だから石のゴロゴロ道の悪路だ!なんて言ってはいけないのかもしれないけれど、やっぱりやわな現代人には辛かったです。

 それに江戸時代の人も辛かったと思います。こんな大変な道を通らなければならない参勤交代をさせた徳川幕府はいじわるだな。

 

 石畳の感想はこのくらいにしましょう。

 まあとにかくこのように、ほとんどが山道だったので、今回のレポートは「まちなみウォッチ」はなし。「山道&ゴロゴロ道&ときどき史跡」のウォークの様子を3回に分けてお伝えします。

 近日中に順次アップします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 


にほんブログ村

先取りチェック! 箱根湯本→関所跡

 次回は、箱根湯本の石畳入口から関所跡まで歩きます。なかなかの勾配の道であるうえに見どころも多く、距離も長い。迷っている余裕はありません。しっかり押さえておかねば・・・

 

 街道ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)でチェックポイントとなっているのは以下の通りです。

 

  1. 福寿院・箱根観音
  2. 初花の滝碑
  3. 駒形神社
  4. 鎖雲寺
  5. 弘法のいぼ取り水
  6. 女転ばし坂
  7. 割石坂
  8. 大沢坂
  9. 道祖神
  10. 茗荷屋
  11. 駒形神社
  12. 守源寺
  13. 一里塚跡
  14. 檀木坂
  15. 見晴らし茶屋
  16. 猿滑坂
  17. 追込坂
  18. 笈の平親鸞上人石碑
  19. 甘酒茶屋
  20. 於玉坂
  21. 史跡旧街道碑
  22. 白水坂
  23. 天ヶ石坂
  24. 箱根馬子唄の碑
  25. お玉観音堂
  26. 権現坂
  27. 史跡旧街道碑
  28. ケンペル・バーニー碑
  29. 興福寺
  30. 賽の河原
  31. 身代わり地蔵
  32. 一里塚跡
  33. 旧東海道箱根杉並木碑
  34. 関所跡

 

 34箇所かぁ・・ やや多めだけど、そのくらいの数のこともあったよね? 戸塚→藤沢とか・・・ ただ、今回は山道の34箇所だから、覚悟しておこう。「○○坂」というチェックポイントが多い。坂ばっかりなんですね。

 

 今回、特に注目していることは・・・

 

石畳

 箱根旧街道は慶長9年(1604)に松や杉を植林し、坂道には竹を敷きましたが、補修費がかさむため、幕府は延宝8年(1680)以降、石畳に改修しました。坂道だけに敷き、集落内や平坦部には設けていません。

 

甘酒茶屋

 江戸時代には4軒の茶屋がありましたが、現存するのは1軒だけです。米麹から作った甘酒や力餅、味噌おでんなどの名物が味わえます。

 茶屋の隣に「箱根旧街道資料館」があるので、できれば立ち寄りたいです。

 

杉並木

 元箱根付近には江戸時代の杉並木がそのまま残されています。松並木が一般的な東海道にあって、杉並木は大変珍しいです。

箱根関所・箱根関所資料館

 元和5年(1619)1680に設置されました。幕府が設置した53の関所の中でも重要視された関所で、主に「出女」を厳しく取り締まりました。箱根関所では「入鉄砲」も取り締まりは行われていません。

 現在の御番所の建物は、昭和40年(1965)に大番所を模して建てられたもの。当時の位置とは道を挟んで反対側に建てられています。関所は平成19年(2007)の建造で、資料館になっています。

 

ケンペル・バーニー碑

 突然のカタカナ(外国人名)に気になって、調べてみました・・・

 エンゲルベルト・ケンペルは元禄年間オランダ通信使の医師として来日したドイツ人で、彼の死後、弟子たちによってまとめられた『日本誌』は、全世界に日本の文化や諸相を広く紹介したものです。

 シリルモンタギュー・バーニーは、大正年間に芦ノ湖畔に別荘を構えたイギリス人貿易商で、彼は『日本誌』の序文を引用し、石碑に刻むことにより、「箱根の美しさを子孫の代まで守り伝えなければならない」という“自然保護の精神”を訴えかけました。
この2人の意思を継いでいくことを目的に、昭和61年(1986)から箱根町の住民が中心となり、この場所で毎年11月23日に「ケンペル・バーニー祭」が開催されています。

 

寄木細工の里・畑宿

 これに関しては個人的に思い入れが・・・。子どもの頃(小学校2年生のとき)両親と箱根に来た時、畑宿の寄木細工を見学して、20回で開くという箱を買ってもらいました。今でも宝物です。30回だか40回で開くのも考案中とかで、必ず作るから、今度買いに来た時には見せてあげると言われ・・・。母がそれを覚えていて、随分たってから(私が大人になってから)訪れて、30回の箱を買って私にプレゼントしてくれました。でも、難しくて開けることが未だにできません(汗)。

 畑宿寄木会館、訪ねてみたいです。母にお土産を買おうかな。

 

最後に箱根宿について

  家康は宿駅伝馬制を開始した慶長6年(1601)には、小田原から三嶋までの8里(約31.4キロ)を一挙に旅させましたが、秀忠は元和4年(1618)に箱根宿の設置を決断し、小田原・三嶋両宿から50戸ずつ箱根に移住させ、関所も開設しました。

 箱根峠は標高845m、勾配は平均20%・最大40%の急坂で、ローム層の滑りやすい過酷な道でした。

 箱根地区には平坦地はなく農業には不向きで居住不可能な場所でしたが、幕府は宿駅として優遇策を講じ、江戸後期には本陣6、脇本陣1、旅籠72の規模となりました。天保14年(1843)の調査では、宿内総戸数197戸、人口わずか844人であるのに対し、旅籠率は4割と東海道で最多、旅人に依存する宿駅でした。ちなみに本陣6も東海道で最多です。 

 明治五年(1872)に伝馬制度が廃止されると、箱根宿も宿場としての機能を失うこととなり、同時に明治初期の箱根は温泉場を中心とした国際観光地としてスタートを切りました。

 開発は、箱根七湯および七湯道方面に集中し、東海道箱根八里や箱根宿は時代の波から取り残されてしまいました。

 この地域が再び脚光を浴びるきっかけとなったのが明治十九年(1886)の箱根離宮の竣工です。離宮の出現は、この地域が避暑・保養にふさわしい場所であるということを広く宣伝することとなり、旧箱根宿は風光明媚な避暑・保養地として新たなスタイルを確立し、現在に至っています。

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180531004854j:plain

 安藤広重の東海道五十三次・箱根湖水図(保栄堂版)です。実際よりも勾配などかなり誇張されて描かれていますが、険しいという実感を伝えたかったんだと思います。山道を上る大名行列が、難儀しているのがよくわかります。芦ノ湖湖畔に箱根神社の社殿がさりげなく描かれています。無事に山を越せますように。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 

「まちなみ」ウォッチ 風祭→箱根湯本

 「まちなみ」ウォッチでは、事前にチェックしている名所・旧跡の立ち寄りポイントではないけれども、「あれ?」と気になったものや面白かったもの、心の残った風景をアップします。

 風祭→箱根湯本(石畳入口)の「まちなみ」ウォッチ、きら~くにゆる~りご覧ください!

 

 風祭→箱根湯本の名所・旧跡についてはこちらです。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527142622j:plain

 本日のスタートは、こちら、箱根登山鉄道の風祭駅。赤い登山鉄道、何度見ても嬉しい。

 

 

 旧道を歩き始めます。道幅はさほど広くなく、車の往来も少ないです。

この写真は、風祭駅を出て少し歩いてから駅方面を振り返ったところ。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527143609j:plain

 

 一般のお宅なので遠慮がちにパチリさせていただきましたが、玄関先にお野菜の無人販売がありました。貼り紙によりますと、4月29日に摘んだ新茶も売っているので、声をかけてくださいと言うことです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527143645j:plain

 

 なぜか、街角の標語を見ると、ツッコミを入れてしまいたくなる私です。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527143711j:plain

 今回は、「コソ泥があなたの不用意狙ってる」ですって!

 おお、こわ・・・ 

 しかしながら、いたってのどかな街並みではありました。

 

 夏みかんの無人販売も。ちゃんとお金を入れましょうね。コソ泥はいけません。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527143743j:plain

 

 入生田地区に入ると、道の勾配が感じられるようになってきました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527143809j:plain

 

 旧道の先に箱根の山並みがのぞきます。めざせ、箱根山!

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527143852j:plain

 

 入生田の駅を過ぎてすぐの踏切です。入生田の駅方向を見たところです。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527143928j:plain

 線路に注目してください。ロマンスカーと箱根登山鉄道と、レールに幅が異なるので、このような3本のレールが敷かれています。大変珍しい線路だそうです。と、もと鉄ちゃん(?)のくろやぎ(同行人・夫)が興奮気味に教えてくれました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144003j:plain

 こちらは箱根湯本方面を見たところ。真っ直ぐですね!!

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144039j:plain

 ちょうどロマンスカーが走ってきたのでパチリしました。草ぼうぼうの中、ゆっくりめに走っています。ミスマッチで面白い。

 

 旧道・国道・箱根新道がいっぺんに。圧巻。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144111j:plain

 

 歩道のフェンスのデザインにちょっとホッとします。参勤交代ですね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144147j:plain

 

 三枚橋まで来ました。右手奥に見えるのが箱根湯本駅。東海道は橋を渡ります。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144214j:plain

 三枚橋の上から、箱根湯本駅方面を撮りました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144245j:plain

 

 箱根関所まで15キロ。この看板に「よっしゃ!」と思ったのは私だけではないはず。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144603j:plain

 

 「箱根カレー、全力ダッシュ30秒」の文句に誘われて左へ。ちょうどお昼時ですからね。もちろん全力ダッシュはしませんでしたし、30秒以上かかりました。徒歩5分くらいかな。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144637j:plain

 人気のお店のようで、行列ができていました。お肉とろとろ、優しくもスパイシー、大変おいしいカレーでした。雑穀ご飯に自家製漬物付き。辛いのが好きな人のために、辛みその壺。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144759j:plain

 

 おなかがいっぱいになってきた道を戻っていたら、さっきは気が付かなかった保育園の看板。あの富士屋ホテルの従業員さんのための保育園ですね。こういうの嬉しいですね。これでこそ一億総活躍への道。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144853j:plain

 

 先ほどの看板まで戻り、再び旧道を歩き始めます。道ははっきりわかる上り坂。箱根の山は始まった??

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527144941j:plain

 

 なんだかお風呂屋さんのような独特なにおいがするなあと思っていたら、やっぱり風呂屋さんだった。坂の途中にある町営の銭湯、「弥坂湯」です。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527145051j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527145123j:plain

 大人650円、小人300円。午前9時から午後8時30分までだそうですよ。

 

 曲がりくねった上り坂が続きます。本日の最終目的地は近い?

 こあたり、温泉旅館が軒を連ねます。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527145238j:plain

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527145732j:plain

 

 石畳入口まで着きました。本日最終地点です。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527145647j:plain

 ここで電車に乗れればいいのですが、もちろんそんなことはあり得ません。バスもすぐには来ないので、元来た道を戻りました。今度は下り坂なので、割と

速く着きました。

 

 箱根湯本の駅まで来ました。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527150002j:plain

 

 2階改札に続く歩道橋の上から、アーケード街を眺めます。以前は(20年以上前ですが・・・)、1階の改札を出て、この商店街をぶらぶら見学しましたっけ。変わりましたね。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527150043j:plain

 

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527150219j:plain

 駅のホームよりロータリーを見たところ。昔、入ったルノアールもちゃんとあるではありませんか。その向こうには、子どもたちが小さい頃、一緒に泊まった富士屋ホテルも。「なーんだ、変わってないや」と、嬉しくなりました。

 

 今回のお土産です。例の駅前アーケード街で買いました。丸嶋本店の温泉まんじゅう。ここの、美味しいんですよ。昔からファン。甘すぎないあんこ。皮も美味しい。

f:id:kaz-mt-wisteria:20180527150127j:plain

 

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 


にほんブログ村