てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

♪箱根の山は天下の険♪は本当だった!

 晴れた日はてくてく東海道ウォーク、雨の日は読書三昧。そんな休日ライフを目指す当ブログですが、今回の街道ウォーク「箱根湯本→関所跡」は「てくてくわくわく」なんていうかわいいものではありませんでした。いやもう、ワシワシガクガク山歩き。石畳なんていうけれど、ありゃ、石のゴロゴロ道ですぞ。

 

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 石、結構大きいでしょ? これ、江戸時代から残る石畳です。大名行列がこんなに石がゴロゴロしている狭い山道を通ったんですかい? 駕籠をかつぐ人、荷物を運ぶ人、超人技ですね。ご苦労様。

 江戸幕府が「舗装」したという石畳ですが、現代の舗装のイメージからは程遠く、歩きにくいことこの上なし。これでもいろんな工夫がされていたらしいです。

 最初は竹を組んでいたのが石畳に変わったそうです。説明板によれば、小石と石とを突き固めた地面の上に、石と石とを組み合わせて並べ、さらに石畳の横・谷側には縦の排水路を作り、木を植えて並木の土手にしたというすぐれもの。

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 場所によっては石の組み合わせを工夫して斜めの排水路を作ったりもしています。

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 江戸時代の最先端の土木技術だったんでしょうね。だから石のゴロゴロ道の悪路だ!なんて言ってはいけないのかもしれないけれど、やっぱりやわな現代人には辛かったです。

 それに江戸時代の人も辛かったと思います。こんな大変な道を通らなければならない参勤交代をさせた徳川幕府はいじわるだな。

 

 石畳の感想はこのくらいにしましょう。

 まあとにかくこのように、ほとんどが山道だったので、今回のレポートは「まちなみウォッチ」はなし。「山道&ゴロゴロ道&ときどき史跡」のウォークの様子を3回に分けてお伝えします。

 近日中に順次アップします。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 


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先取りチェック! 箱根湯本→関所跡

 次回は、箱根湯本の石畳入口から関所跡まで歩きます。なかなかの勾配の道であるうえに見どころも多く、距離も長い。迷っている余裕はありません。しっかり押さえておかねば・・・

 

 街道ウォークのバイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)でチェックポイントとなっているのは以下の通りです。

 

  1. 福寿院・箱根観音
  2. 初花の滝碑
  3. 駒形神社
  4. 鎖雲寺
  5. 弘法のいぼ取り水
  6. 女転ばし坂
  7. 割石坂
  8. 大沢坂
  9. 道祖神
  10. 茗荷屋
  11. 駒形神社
  12. 守源寺
  13. 一里塚跡
  14. 檀木坂
  15. 見晴らし茶屋
  16. 猿滑坂
  17. 追込坂
  18. 笈の平親鸞上人石碑
  19. 甘酒茶屋
  20. 於玉坂
  21. 史跡旧街道碑
  22. 白水坂
  23. 天ヶ石坂
  24. 箱根馬子唄の碑
  25. お玉観音堂
  26. 権現坂
  27. 史跡旧街道碑
  28. ケンペル・バーニー碑
  29. 興福寺
  30. 賽の河原
  31. 身代わり地蔵
  32. 一里塚跡
  33. 旧東海道箱根杉並木碑
  34. 関所跡

 

 34箇所かぁ・・ やや多めだけど、そのくらいの数のこともあったよね? 戸塚→藤沢とか・・・ ただ、今回は山道の34箇所だから、覚悟しておこう。「○○坂」というチェックポイントが多い。坂ばっかりなんですね。

 

 今回、特に注目していることは・・・

 

石畳

 箱根旧街道は慶長9年(1604)に松や杉を植林し、坂道には竹を敷きましたが、補修費がかさむため、幕府は延宝8年(1680)以降、石畳に改修しました。坂道だけに敷き、集落内や平坦部には設けていません。

 

甘酒茶屋

 江戸時代には4軒の茶屋がありましたが、現存するのは1軒だけです。米麹から作った甘酒や力餅、味噌おでんなどの名物が味わえます。

 茶屋の隣に「箱根旧街道資料館」があるので、できれば立ち寄りたいです。

 

杉並木

 元箱根付近には江戸時代の杉並木がそのまま残されています。松並木が一般的な東海道にあって、杉並木は大変珍しいです。

箱根関所・箱根関所資料館

 元和5年(1619)1680に設置されました。幕府が設置した53の関所の中でも重要視された関所で、主に「出女」を厳しく取り締まりました。箱根関所では「入鉄砲」も取り締まりは行われていません。

 現在の御番所の建物は、昭和40年(1965)に大番所を模して建てられたもの。当時の位置とは道を挟んで反対側に建てられています。関所は平成19年(2007)の建造で、資料館になっています。

 

ケンペル・バーニー碑

 突然のカタカナ(外国人名)に気になって、調べてみました・・・

 エンゲルベルト・ケンペルは元禄年間オランダ通信使の医師として来日したドイツ人で、彼の死後、弟子たちによってまとめられた『日本誌』は、全世界に日本の文化や諸相を広く紹介したものです。

 シリルモンタギュー・バーニーは、大正年間に芦ノ湖畔に別荘を構えたイギリス人貿易商で、彼は『日本誌』の序文を引用し、石碑に刻むことにより、「箱根の美しさを子孫の代まで守り伝えなければならない」という“自然保護の精神”を訴えかけました。
この2人の意思を継いでいくことを目的に、昭和61年(1986)から箱根町の住民が中心となり、この場所で毎年11月23日に「ケンペル・バーニー祭」が開催されています。

 

寄木細工の里・畑宿

 これに関しては個人的に思い入れが・・・。子どもの頃(小学校2年生のとき)両親と箱根に来た時、畑宿の寄木細工を見学して、20回で開くという箱を買ってもらいました。今でも宝物です。30回だか40回で開くのも考案中とかで、必ず作るから、今度買いに来た時には見せてあげると言われ・・・。母がそれを覚えていて、随分たってから(私が大人になってから)訪れて、30回の箱を買って私にプレゼントしてくれました。でも、難しくて開けることが未だにできません(汗)。

 畑宿寄木会館、訪ねてみたいです。母にお土産を買おうかな。

 

最後に箱根宿について

  家康は宿駅伝馬制を開始した慶長6年(1601)には、小田原から三嶋までの8里(約31.4キロ)を一挙に旅させましたが、秀忠は元和4年(1618)に箱根宿の設置を決断し、小田原・三嶋両宿から50戸ずつ箱根に移住させ、関所も開設しました。

 箱根峠は標高845m、勾配は平均20%・最大40%の急坂で、ローム層の滑りやすい過酷な道でした。

 箱根地区には平坦地はなく農業には不向きで居住不可能な場所でしたが、幕府は宿駅として優遇策を講じ、江戸後期には本陣6、脇本陣1、旅籠72の規模となりました。天保14年(1843)の調査では、宿内総戸数197戸、人口わずか844人であるのに対し、旅籠率は4割と東海道で最多、旅人に依存する宿駅でした。ちなみに本陣6も東海道で最多です。 

 明治五年(1872)に伝馬制度が廃止されると、箱根宿も宿場としての機能を失うこととなり、同時に明治初期の箱根は温泉場を中心とした国際観光地としてスタートを切りました。

 開発は、箱根七湯および七湯道方面に集中し、東海道箱根八里や箱根宿は時代の波から取り残されてしまいました。

 この地域が再び脚光を浴びるきっかけとなったのが明治十九年(1886)の箱根離宮の竣工です。離宮の出現は、この地域が避暑・保養にふさわしい場所であるということを広く宣伝することとなり、旧箱根宿は風光明媚な避暑・保養地として新たなスタイルを確立し、現在に至っています。

 

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 安藤広重の東海道五十三次・箱根湖水図(保栄堂版)です。実際よりも勾配などかなり誇張されて描かれていますが、険しいという実感を伝えたかったんだと思います。山道を上る大名行列が、難儀しているのがよくわかります。芦ノ湖湖畔に箱根神社の社殿がさりげなく描かれています。無事に山を越せますように。

 

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねて来てくださると嬉しいです。

 

 

 

「まちなみ」ウォッチ 風祭→箱根湯本

 「まちなみ」ウォッチでは、事前にチェックしている名所・旧跡の立ち寄りポイントではないけれども、「あれ?」と気になったものや面白かったもの、心の残った風景をアップします。

 風祭→箱根湯本(石畳入口)の「まちなみ」ウォッチ、きら~くにゆる~りご覧ください!

 

 風祭→箱根湯本の名所・旧跡についてはこちらです。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

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 本日のスタートは、こちら、箱根登山鉄道の風祭駅。赤い登山鉄道、何度見ても嬉しい。

 

 

 旧道を歩き始めます。道幅はさほど広くなく、車の往来も少ないです。

この写真は、風祭駅を出て少し歩いてから駅方面を振り返ったところ。

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 一般のお宅なので遠慮がちにパチリさせていただきましたが、玄関先にお野菜の無人販売がありました。貼り紙によりますと、4月29日に摘んだ新茶も売っているので、声をかけてくださいと言うことです。

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 なぜか、街角の標語を見ると、ツッコミを入れてしまいたくなる私です。

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 今回は、「コソ泥があなたの不用意狙ってる」ですって!

 おお、こわ・・・ 

 しかしながら、いたってのどかな街並みではありました。

 

 夏みかんの無人販売も。ちゃんとお金を入れましょうね。コソ泥はいけません。

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 入生田地区に入ると、道の勾配が感じられるようになってきました。

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 旧道の先に箱根の山並みがのぞきます。めざせ、箱根山!

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 入生田の駅を過ぎてすぐの踏切です。入生田の駅方向を見たところです。

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 線路に注目してください。ロマンスカーと箱根登山鉄道と、レールに幅が異なるので、このような3本のレールが敷かれています。大変珍しい線路だそうです。と、もと鉄ちゃん(?)のくろやぎ(同行人・夫)が興奮気味に教えてくれました。

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 こちらは箱根湯本方面を見たところ。真っ直ぐですね!!

 

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 ちょうどロマンスカーが走ってきたのでパチリしました。草ぼうぼうの中、ゆっくりめに走っています。ミスマッチで面白い。

 

 旧道・国道・箱根新道がいっぺんに。圧巻。

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 歩道のフェンスのデザインにちょっとホッとします。参勤交代ですね。

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 三枚橋まで来ました。右手奥に見えるのが箱根湯本駅。東海道は橋を渡ります。

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 三枚橋の上から、箱根湯本駅方面を撮りました。

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 箱根関所まで15キロ。この看板に「よっしゃ!」と思ったのは私だけではないはず。

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 「箱根カレー、全力ダッシュ30秒」の文句に誘われて左へ。ちょうどお昼時ですからね。もちろん全力ダッシュはしませんでしたし、30秒以上かかりました。徒歩5分くらいかな。

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 人気のお店のようで、行列ができていました。お肉とろとろ、優しくもスパイシー、大変おいしいカレーでした。雑穀ご飯に自家製漬物付き。辛いのが好きな人のために、辛みその壺。

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 おなかがいっぱいになってきた道を戻っていたら、さっきは気が付かなかった保育園の看板。あの富士屋ホテルの従業員さんのための保育園ですね。こういうの嬉しいですね。これでこそ一億総活躍への道。

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 先ほどの看板まで戻り、再び旧道を歩き始めます。道ははっきりわかる上り坂。箱根の山は始まった??

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 なんだかお風呂屋さんのような独特なにおいがするなあと思っていたら、やっぱり風呂屋さんだった。坂の途中にある町営の銭湯、「弥坂湯」です。

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 大人650円、小人300円。午前9時から午後8時30分までだそうですよ。

 

 曲がりくねった上り坂が続きます。本日の最終目的地は近い?

 こあたり、温泉旅館が軒を連ねます。

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 石畳入口まで着きました。本日最終地点です。

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 ここで電車に乗れればいいのですが、もちろんそんなことはあり得ません。バスもすぐには来ないので、元来た道を戻りました。今度は下り坂なので、割と

速く着きました。

 

 箱根湯本の駅まで来ました。

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 2階改札に続く歩道橋の上から、アーケード街を眺めます。以前は(20年以上前ですが・・・)、1階の改札を出て、この商店街をぶらぶら見学しましたっけ。変わりましたね。

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 駅のホームよりロータリーを見たところ。昔、入ったルノアールもちゃんとあるではありませんか。その向こうには、子どもたちが小さい頃、一緒に泊まった富士屋ホテルも。「なーんだ、変わってないや」と、嬉しくなりました。

 

 今回のお土産です。例の駅前アーケード街で買いました。丸嶋本店の温泉まんじゅう。ここの、美味しいんですよ。昔からファン。甘すぎないあんこ。皮も美味しい。

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 ここまで読んでくださってありがとうございました。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 

 


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第13回街道ウォーク 風祭→箱根湯本②

街道ウォーク・風祭→箱根湯本の後半です。

湯本の道祖神の近くでお昼ご飯を食べて、再び歩き始めます。

 

風祭からも道は緩い勾配でしたが、この辺りからは、はっきりと上り坂を意識するくらいの道になってきました。

 

白山神社

白山神社の入り口を上ると、最初に見えたごっつい岩。なんだ?

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 看板の説明によると、くくりひめという天照大神の伯母さんが降臨した岩だそうで、関東大震災の時にも動かなかったので、勝負の神様として信仰を集めているそうです。小田原攻めの時、この岩を背に秀吉が一夜城の戦略を練ったとか。秀吉め!!!

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 本殿です。境内暗くて、ちょっと怖いかな・・・・

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早雲寺

 早雲寺は白山神社の向かいです。こちら山門。

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 実は山門はちょうど工事中で、くぐることはできませんでした。迂回します。

 

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 本堂です。なかなか立派です。早雲寺は北条二代氏綱が創建したお寺です。

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 というわけで、こちら北条氏五代のお墓。因みに五代とは、早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直。五代もそろうと、なんだか壮観。

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 境内には、江戸中期の俳諧師・稲津祇空のお墓と、室町時代の蓮歌師・宋祇法師のお墓があります。

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 稲津祇空と宋祇法師についての説明板をアップします。気になる方は拡大してご覧ください。

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石垣神社

  石垣神社の入り口は目立たないので注意。大丈夫かな? なんかちょっと怖そう・・・ まずは鳥居の下の説明の看板を読んでみましょう。

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 起源はよくわからないけれども、秀吉の小田原攻めの時に鬼門除けとなったと伝えられています。この地域に大きな災害が起こっていないのも、この鬼門除けの神社の御利益だと言われているらしい・・・

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 へー、そうなんだとわかったようなわからないような。とにかく行ってみようと狭い急な階段を登り始めましたが・・・

 石段の隙間から草がちょろちょろ生えていて、進むうちにだんだん草ぼうぼうに。白状すると私、葉っぱ恐怖症です。噛みつくような葉っぱ、つる植物とか苦手。なので、こういうのも得意じゃないんです。特に今成長著しいとある植物は本気で苦手で、よく日陰に生えてるんだけど、たくさん生えていると頭がキンコンキンコンしてしまう。名前を文字にしてもキンコンしちゃうので、伏せますね。

 葉っぱ恐怖症の人って、たまにいるのかしらん。高所恐怖症とか尖端恐怖症とかは割とメジャーだけど。水玉模様恐怖症って人もいるから、私の場合は葉っぱ恐怖症と言っていいと思う。

 あ、話がそれましたが、つまり何が言いたいかというと、苦手な葉っぱが足元に増えてきて、ギブアップしました。この先は、くろやぎ(同行人・夫)が写真を撮ってきてくれました。

 

 なんと、こんな歩道橋を渡ったそうです。

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 小さなお社がありました。

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 戻ってきたくろやぎにお礼を言って、葉っぱ恐怖症から立ち直り、気分を変えて次のお寺を目指します。


正眼寺

  正眼寺は、曽我兄弟のゆかりのお寺として知られています。境内に、曽我兄弟にまつわる数々の史跡・文化財があるのですが、これがなかなか見つかりませんでした。

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 境内の入り口にある説明板が唯一の手掛かりと言っていいくらい。看板の左下の案内図が最終的に決め手になりました。

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 それでは、無事に見つけることができた史跡・文化財を紹介します。

 

 曽我兄弟の供養塔

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 松尾芭蕉句碑

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山路来て なにやらゆかし すみれ草

 

曽我五郎の槍突石

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 文化財ではないけれど、足湯もありました。ご自由にどうぞ、ですって!

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 チェックポイント、残すところあと4つ。少々集中力がとぎれてしまったのか、

道祖神を行き過ぎてしまい、戻りました。

 


道祖神

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 こちらが、一度通り過ぎてしまった道祖神。紫陽花にうもれて、確かに目立たなかったです。

 

男女双体道祖神

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 湯村茶屋があったという場所にある道祖神。その名も「茶屋の道祖神」です。石の祠と男女双体道祖神。お供え物の夏みかんがかわいい。小さいけれどほのぼのしてます。

 

一里塚跡

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 本日二つ目の一里塚跡です。日本橋より二十二里目。

 

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 右手に一里塚があります。いつの間にか、このような山間の狭いくねくね道に変わっています。


馬の飲み水桶

  先を行くくろやぎが、怪しい動き。ゴミ箱のふたを開けて中をのぞいている?

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 と思ったら、これが最終チェックポイントの、馬の飲み水桶でした。

 

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 江戸時代の馬立場で、馬が水を飲んだところというのはわかる。でもこれがその時の水桶ってのは、ホントかなあ? いや、このような説明もあるし、本当なのでしょうけど。

 

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 馬の飲み水桶は、「湯本茶公会堂」という小さな平屋の建物の玄関わきにあります。

 

 水桶の場所の先から、石畳の道が始まります。いよいよ石畳!

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 次回はここから箱根の関所跡を目指します。

 10時3分に風祭駅を出発し、14時45分に石畳入口に着きました。4時間43分、16227歩のウォークでした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。近日中に、風祭→箱根湯本のまちなみウォッチについてアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 


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第13回街道ウォーク 風祭→箱根湯本①

 5月19日(土)、第13回街道ウォークを実施しました。前回買い物をした鈴廣かまぼこのある風祭駅に降りたのが10時3分。お天気は薄曇り。カンカン照りよりはすっと歩きやすいです。よかった。めざせ箱根湯本!

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一里塚跡

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 風祭の駅を降りてまず一里塚跡をチェック。前回は小田原市内ぶらぶら移動で短距離だったので、前々回ぶりの一里塚です。久しぶり!

 説明板によればかつては塚上に榎が植わっていたそうですが、現在は道祖神があります。日本橋より21里目。

 

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宝泉院

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 宝泉寺です。渋い構えです。

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 境内も質素で重厚。

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 この日は午後からチャリティコンサートの会場になるということで、本堂の中は準備の人たちの気配に満ちていました。

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 ちなみに宝泉寺は、永禄元年(1558)に北条時長による創建されましたが、間もなく天正18年(1590)の小田原合戦で焼失してしまいました。その後300年以上の時を経て、安政元年(1854)に十二世僧により再建されました。

紹太寺

 宝泉寺からしばらくは、箱根登山鉄道の北側の静かな旧道をてくてく歩きます。

 やがて見えてきたのが、紹太寺の参道です。なかなか幅広で立派ですが・・・

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 広大な敷地に七堂伽藍が点在する大きなお寺でしたが、幕末から明治にかけての火災で焼失してしまったということです。

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 かつては大きな門がありましたが、跡として石が積み上げられているのみ。

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 これがその石ですかね・・・

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 山門跡の近くにあった六地蔵。創建年はばらばらですが、どれも江戸時代のもの。ずべて江戸時代でそろっている六地蔵さまは、とても珍しいのだそうです。

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 唯一焼失をまぬかれた子院・清雲院。現在ではこちらが紹太寺の本堂になっています。

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 本堂です。

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 こちらは本堂の正面に掲げられた額。黄檗宗の開祖・隠元法師の書き下ろしです。

 

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 紹太寺は、江戸時代初期の小田原藩主だった稲葉氏一族の菩提寺です。

 第2代当主稲葉正則がこの地に移転した際に、祖母春日局の霊を弔いました。春日局は将軍家の乳母でした。

 境内にあるしだれ桜は稲葉正則が春日局を偲んで植えたもので、樹齢は約320年。満開の時は見事でしょうね。すごく混みそうだけど。

 

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 普茶料理の看板がありました。黄檗宗と言えば普茶料理。いつか食べてみたいなあ。

 

 この石段を登った先に、例のしだれ桜があるということで、途中まで行ってみましたが遠いので引き返してきました。ひとところであまりゆっくりできないのが街道ウォークの辛いところです。

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 境内にはこのように、いろいろ点在しているようです。これは山門の案内板。

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山神神社

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 紹太寺のすぐ近くの山神神社。うっかりすると見落としそう細い参道なので気をつけて。

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 境内は静まり返っています・・・ きちんと清掃されてはいますが、小さな神社です。

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 境内に道祖神がありました。なぜこれがチェックポイント(このウォークで大いに参考にしているガイドブック『ちゃんと歩ける東海道五十三次』で名所・旧跡としているところ)なのか謎だったけど、これがあるからかしらん。


駒ノ爪橋跡

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 かつて、小田原の入生田と湯本との境にあったという駒ノ橋があった場所。今は小さなモニュメントがあるのみ。見落としそうなので要注意。(実際見落として戻りました。)

 源頼朝が巻き狩りから帰る途中、この橋まで来ると馬が暴れて橋にひづめの跡を残したという言い伝えから、馬の頑健な脚にあやかりたいと江戸時代の旅人は祈願したと書いてあります。ほう・・・


有料道路の碑

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 有料道路って、明治8年ですから。びっくりぽん。さすが日本初。

 

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 旧道を歩いて行って、まもなく国道1号線に合流します。右手の斜面にある小さな四角いモニュメントが有料道路の碑。

 

達磨大師像

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 達磨大師像っていうからには、由緒正しい像かと思ったら、最近できた交通安全の標語みたいのが彫ってある、イマドキの碑でした。

 なんでこれがチェックポイントなのかな? 目印的な?

 しかもこれ、ガイドブックに示してあった場所とは違ってました。ガイドブックでは国道に合流してしばらく擁壁上を歩くとこの碑があるようになっているんですけど、実際は合流したところです。

 

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 国道の擁壁上から達磨大師像がある方向を眺めたところ。左斜めに伸びるのが旧道。真っ直ぐの道が国道。

 

 

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 そして擁壁が途切れたところで、またまた旧道との分かれ道になります。右手が旧道、左手が国道。分岐点に「交通安全箱根町モニュメント」があります。達磨大師像と同じ主旨のものですね、たぶん。

 このまま旧道を進みたいところですが、チェックポイント・山崎古戦場碑を探したいので、国道へ行きます。


山崎古戦場碑

 古戦場碑は、やや見つかりにくかったです。目印はこの「山崎」の信号。

 まもなく左手に碑が見つかります。

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 江戸時代末期、勤皇派と佐幕派が戦った場所。小田原藩の度重なる寝がえりの末、最終的にここが激戦地になりました。

 結局、小田原藩と官軍が勝って、遊撃隊は敗走しています。

 

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 碑の近くに小さなお地蔵様が。

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 すぐ近くに、また「山崎古戦場碑」が。さっきのはモニュメントで、碑はこっち?

 

 碑が見つかったので、旧道にもどります。

 これよりしばらくは、特にチェックポイントはありません。てくてくぽくぽく歩いて、再び国道に合流。さらにサクサク歩きますと、三枚橋と箱根湯本の駅が見えてきました!

 

 駅にはいかず、三枚橋を渡って旧道に入り、チェックポイントの道祖神を探します。


湯本村道祖神

 というわけで、こちら道祖神。とても小さな石の祠の中に、小さな小さな道祖神。

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 しゃがんでよーく見ると、中にはお二人ですね。

 

 さて、当初の予定ではこれにて終了だったのですが、まだ正午をまわったくらいでしたので、さらに先まで歩くことにしました。

 実は歩き始めて間もなく、このペースなら湯本の先の石畳の入り口まで行っておきたいなと考え始めていました。

 というわけで、目指せ石畳!!

 

 長くなりますのでブログはいったん閉じます。ここまで読んでくださりありがとうございました。近いうちに後半をアップします。また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

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先取りチェック! 風祭→箱根湯本

  晴れた日は街道ウォーク、雨が降ったら読書三昧。晴歩雨読の休日を目指して、ブログを綴っています。

 間もなく梅雨入り。お天気の休日が期待できる今のうちに、東海道ウウォーキングの一つ駒を進めておきたいところです。

 

 というわけで、次回ウォーク、どうしましょう? 前回は風祭まで歩きましたが、次はどこまで? やはり、箱根湯本から関所跡までと、関所跡から三嶋までは、ひとつのくくりとして固定でしょう。とすると次回はちょっと軽めなコースなりますが、風祭を出て湯本が終着点ですね。その先はハードそうだから、ここはゆるゆる行きますか・・・ いやいや、ここもそれなりにハードかな?

 

 例によって、バイブル『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(八木牧夫 山と渓谷社)によるチェックポイントをピックアップします。

 

  1. 一里塚跡
  2. 宝泉院
  3. 山神神社
  4. 紹太寺
  5. 駒ノ爪橋跡
  6. 有料道路の碑
  7. 達磨大師像
  8. 山崎古戦場碑
  9. 湯本村道祖神
  10. 箱根温泉道

 この中での見どころは 山崎古戦場の碑ですかね。
慶応四年(一八六八)五月二十六日に起こった、幕府遊撃隊と小田原藩を先鋒隊とする官軍との交戦の場に建てられた碑です。「戊辰戦争山崎の戦い」と呼ばれているものです。この一戦で、遊撃隊長の伊庭八郎は小田原藩士高橋藤太郎との一騎打ちに及んで左手を失い、高橋は討ち死にしました。
 

 ちなみに入生田の駅を過ぎると、小田原市から箱根町になります。

 ということで、箱根町や箱根町観光協会のホームページをチェックしてみたのですが、このあたりについてはほとんど触れられていなかったです。やっぱり湯本から先の石畳の道や、関所跡が観光スポットなんですね。

 箱根湯本の駅の近くに箱根町郷土資料館というのがあるので入ってみようかな。

 ホームページの説明によれば

当館では、箱根温泉が「七湯」であった江戸時代から、現在の「十七湯」となるまでの歴史をたどります。
 湯治場から物見遊山、そして温泉観光地へという温泉の利用形態の多様化や、道路や交通機関の整備をはじめとする、さまざまな近代化の動きをご覧いただきます。

だそうです。「箱根七湯」とは、箱根の湯治場のことのようです。箱根湯本の駅の近く、箱根温泉道(箱根七湯への道)というのがあるそうなので、併せてチェック。

 

 箱根町のホームページに「町のあゆみ」が掲載されていますので、要点を紹介します。

 

箱根町は、交通の要衝地として発展しました。
 箱根町に人が住み始めたのは、約1万2,3千年前の先土器時代後期といわれています。
箱根山に公道が開かれるのは、鎌倉時代、湯本から三島に抜ける湯坂道が最初で、江戸時代の初期には、湯本から畑宿を経て箱根に通ずる東海道が出来ます。後世に「天下の険」といわれる箱根山の往来は困難を極めたもので、徳川幕府は箱根を自然の要塞とみて芦ノ湖畔に関所を設けます。以後、箱根は交通の要衝として、関所を中心に宿場町へと発展することになります。
一夜湯治から国際観光地へ
 箱根八里と箱根関所は、旅人を随分悩ませたようですが箱根七湯といわれた豊かな温泉は魅力でした。江戸時代後期になって、温泉場での宿泊が「一夜湯治」の形で旅人にも定着するようになると、箱根は伊勢講・富士講など、庶民の旅で大変な賑わいを見せるようになりました。
 明治時代になって関所が廃止され、現在の国道1号線の原形となる幹線道路が開通します。交通が便利になるに伴って、箱根は湯治場としてだけではなく、避暑地としても有名になりました。大正時代に入ると、箱根登山鉄道が湯本から強羅まで開通します。

箱根町の誕生と発展
 1889年(明治22年)に町村制が施行された際、箱根は、湯本村、温泉村、宮城野村、仙石原村、箱根駅、元箱根村、芦之湯村の1駅6村でした。その後、町制の施行や町村合併によって5か町村となり、この5か町村が1956年(昭和31年)9月に合併して現在の箱根町が誕生しました。
 一方、1950年(昭和25年)に小田急線が小田原~箱根湯本間に乗り入れ、箱根は東京都心と直接結ばれることになりました。そして、昭和30年代の後半から40年代の日本経済の高度成長を追い風に、観光開発が急速に進められていきました。現在では、2,000万人もの観光客が国内外から訪れる、日本の代表的な国際観光地として発展しています。

 

 箱根町は交通の要所であり、かつ温泉場ということで観光地としての条件も整い、発展を続けてきたのですね。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また訪ねて来てくださると幸いです。

 

 

 

 

西城秀樹さんへ

今週のお題「あの人へラブレター」

 

 以前、今週のお題で「西城秀樹さん!」というタイトルで書かせていただきました。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 病気をされていたことはもちろん知っていたのですが、まさか亡くなるなんて・・・

 お昼にlineニュースが入った時には言葉を失いました。職場の同世代の女性に言うと、彼女も「えっっ」と絶句。

 

 あのブログでは「握手のマジックかも」みたいなことを書きましたが、いえいえどうして、西城秀樹さんだったから一瞬にしてファンになったんだと思います。

 あの日、西城さんが立っていた広間の一隅、そこだけ特別な空気感がありました。白いパンタロンスーツが似合っていて、ものすごく長身でスタイルがよくて、「これぞスター」というオーラを放っていました。でもそれだけではなくて、握手するとき一人一人に、長身をかがめておじぎしてくださる律義さに、心を打たれました。あれだけの大スターなら、雲の上の人みたいな態度も取れるでしょうに、誠実な人柄がにじみでているシーンでした。だから一瞬にしてファンになったんだと思います。

 

 ついさっきまで、西城秀樹さんの動画を見ていました。若い頃の、本当に爽やかでかっこいいこと! 

 病気をした後も、歩いたり話したりが大変だったりするのに、ステージに立つとすごく歌が上手い。還暦にしてさわやか。

 運命を受け止めて、それでもあきらめないぞという姿勢を私たちに見せてくださった西城さんは、本当に素晴らしい生き方をされたと思います。

 

 今週のお題がラブレターだということで、身の程知らずを承知しつつ、西城秀樹さんへのファンレターを書きました。

 ご冥福をお祈りします。