てくてくわくわく 街道ウォーク

週末の東海道てくてく歩きのブログです!

ホワイトデーって・・・

今週のお題「ホワイトデー」

 

 「ホワイトデー」というお題ですが、特に思い出もなく、書きにくいですねぇ。バレンタインデー事体、私の年代だと、小学生の頃はまだ一般的ではなかったような。ようやくバレンタインデーが定着したころに、「ホワイトデーというのがあるんだって。告白にYesの場合、マシュマロを贈るんだって!」と誰からともなく聞いて、「へぇー」と思ったのを覚えています。

 

 そもそも、バレンタインデーにドキドキしながら本命チョコを渡した記憶がない。バブルな会社員時代、女子社員から男性陣に贈ったくらいかな。くじ引きで相手を決めて決めて、一応個人から個人に贈る体裁を作って、「義理じゃないでーす!」とか言いながら渡す、あれです。チョコは、女子で同じものを一括購入しました。ホワイトデーでは、男性陣が、やはりお揃いで用意してくれたキャンディをそれぞれの女子に。今思えば、たわいない大人のごっこ遊びですね。

 

 我が家の娘たちを見る限りでは、バレンタインデーが、いわゆる「本命チョコ」を渡すドキドキイベントだったのは、中学時代まででした。狭いキッチンはチョコレート工房と化し、晩ご飯を作るスペースもなく、仕方がないのでちょっと手伝ったりもしたものです。

 もはやバレンタインデーを卒業した大学生の次女が言うことには、高校生にとってのバレンタインデーは、みんなのイベントなのだとか。確かに、彼女が高校生の時は、量産出来て、なおかつ見栄えのいいチョコレートの手作りお菓子を、大きなタッパーにいっぱい詰めて、出かけて行きましたっけ。お菓子作りにも慣れた彼女は、さほど大騒ぎになることもなく、ちゃっちゃと作っていました。それを教室で前の席から回して、男子に適当に取ってもらうのだとか。バレンタインデーの日は、クラスの女子たちが持ってきた大きなタッパーが、教室の座席の間を行ったり来たりします。

 その年のホワイトデーには、クラスの男子が、女子全員にシュークリームをプレゼントしてくれたそうです。40人のクラスで男子は7人。7人で33個のシュークリーム。男の子たちのお小遣い、大丈夫だったかな? 結構な出費だったはず。「うちらの男子、イケメン!」とか言っていたけれど、ごめんなさい。恐るべし、女子。

 

 そういえば、私も一度だけ、ホワイトデーのお返しを、買ったことがあります。

 息子が小学生の時、3つ下の学年の女の子からいただいたチョコのお返しでした。女の子は、うちのお向かいさんのお孫さんです。

 「自分で渡さないのよ。ごめんなさいね。」と、お向かいさんが、うちのベルをピンポンされましたが、息子は出てきません。いただいたチョコはかわいい手作りです。いろいろな状況から判断するに、割と本命に近いと思われました。これは、ちゃんとお返ししなくてはと、息子と買い物に行こうとしたのに、「なんでだよー」と言うばかりなので、こちらで用意しました。当日、せめてお向かいさんには一緒に持って行こうと言ったのに、やっぱり「なんでだよー」と言うばかり。仕方なく私が一人で持って行きますと、お向かいさんにもお孫さんの姿はなく、「私たち、何やってんでしょうね?」と二人で苦笑いをしてしまいました。

 

 ホワイトデーは日本発祥のイベントです。最初はマシュマロを贈るとされていましたが、80年代には、何を贈るかで、告白への返事が異なるとも言われました。キャンデーはYesだけど、クッキーは「あなたは友だち」だとか・・・ 

 時代の変化とともに、バレンタインデーが「女子から気持ちを伝えることができる日」という意味合いが薄れてくると、ホワイトデーも告白への返事ではなく、ただのお返しの日に。若い子の、お中元・お歳暮的なイベントになりつつあります。

 日本人のお付き合いにお返しはつきもの。時代が変わろうと、年代が若かろうと、日本人のDNAはそうそう変わるものでもないのですね。

 

 「てくてくわくわく」の名のごとく、当ブログ、本来は街道歩きのレポートブログなのですが、さまざまな事情が重なり、街道歩きへ出かけることが現在難しくなっています。

 事情の一つを言えば、私の母が入院しました。明日、退院となったのですが、病後のこともあり心配です。しばらく仕事帰りも休日も、実家に立ち寄ったり、心を寄せたりする日々にしたいです。当分の間、「今週のお題」と「読書」のブログになりますが、お立ち寄りくださると大変うれしいです。

 

お雛様 ぎゅうぎゅう

今週のお題「ひな祭り」

 

 こんにちは。

 ひなまつり。これを語ると子どもの頃の様々な思い出がフラッシュバックします。母も、母の母も(私の祖母ですね)、ひな祭りを大変大切にしていて、私の実家では一大年中行事でした。しかし、今日は子どもの頃の思い出を語る気分にはなれません。さらりと、我が子のことを書こうと思います。お付き合いください。

 

 我が家には3歳違いの姉妹がいます。女の子が二人。こんなとき、皆さんはひな人形をどのように用意しますか?

 母の話を少しだけしますが、母の家は戦前、東京の割と裕福な家庭だったようです。雛人形は女の子の守り神様。だから一人の女の子に、一つの雛人形。母が子どもの頃、家のお座敷には母を含む3人姉妹の雛人形のほかに、お母さん(私の祖母ですね)とおばあさん(母の父の母 つまり私の曾祖母にあたる人)のと、全部で5つの雛段飾りが並んでいました。赤い毛氈がそれはそれは華やかで、子どもながらに印象深かったといいます。すべて空襲で、一夜にして焼けてしまったのですが。

 焼けてしまったお雛様を思うと心が痛むと常々祖母は言っていました。実家でお雛様を飾ると、祖母は毎年必ず見に来てくれました。「お雛様、今年もお会いすることができました。」と話しかけながら、深々と頭を下げていた姿を、昨日のことのように思い出します。ちなみに私は一人っ子ですので、実家のお雛様はひとつ。

 

 「子どもの頃の思い出を語る気分にはなれません。」と言いながら、結構しゃべってしまいましたね。話を戻しましょう。

 「一人の女の子に一つの雛人形」。母の子どもの頃の原風景とともに、さきほどのような話をきかされていたものですから、私も女の子にはそれぞれのお雛様をあげたいと思っていました。

 ただ、「お座敷いっぱいの雛飾り」と違って、現代の住宅事情はキビシイです。長女が生まれた時の家は、6畳4畳10坪の狭いアパートでした。テレビと小さな茶箪笥くらいしか家具を置いていないにもかかわらず、布団を敷くと歩く場所もありません。茶箪笥の上にギリギリ置ける大きさの二人雛にしました。小さいけれども台座もぼんぼりも橘と桜もあります。金屏風の前にすわる木目込みのお雛様はやさしい顔立ちで、質素なアパートに、そこだけポッと春が来たようでした。1歳になったばかりの娘は、お雛様を指さして何度も「きー」と言いました。「きれいね」と言いたかったようです。

 

 次女が生まれたときは、「一人にひとつ」ということでお雛様を用意することに迷いはなかったのですが(少し広めのアパートに引っ越していたので、雛人形を2つ飾るスペースはありました。)、問題はどんなお雛様か。実は私の中では早くからイメージができていて、ケースに入った立ち雛にしました。長女と同じタイプのものでは芸がないかなと思ったのです。こちらも木目込みで、同じ職人さんによるお人形にしました。同じ顔立ちで、タイプの違うお雛様が2つ並んで、かわいさ倍増です。姉妹みたいでいいなと思いました。われながら、うまくやったなーと思ったのですが・・・

 

 次女が幼稚園の年長組の頃だったでしょうか。

 「なんでミーちゃん(仮名ですが、本人の名前と思ってください。次女は自分のことをこう呼びました。)のお雛様には、いろんなものがないの? ゆうこちゃん(姉の名前 仮名ですが)のお雛様みたいなのがほしい。」

 確かに、長女のお雛様には、いろいろなお道具がついています。小さいながら、いっぱしの雛飾り。一方次女の立ち雛は、一対のお人形だけで、お道具はなし。しゅっとした立ち姿でかっこいいと私は思っていたのですが、いかんせんシンプル。ケース入りというのも、「ほこりにならなくていいじゃない」というのは大人の目線で、いわゆる雛飾りのイメージからはちょっと離れています。

 で、私は何と答えたか。

 「そうだよね。みーちゃん、お姉ちゃんとおんなじのがいいんだね。でもほら、みーちゃんのおひなさま、かわいいお顔でみーちゃんのこと見てるよ。みーちゃんの守り神様なんだよー」

 と言ったか。いえいえとんでもない。自分の思いをこめたお雛様を「気に入らない」と言われて傷ついたダメ母は、「これがあなたのお雛様です。わがままを言うものではありません。」と言いました。ごめんなさい。

 でも、さすがにきつく言い過ぎたかと思って、ミニチュアの桜と橘を買い足しました。それを聞いて、母が、木目込み人形用の小さなぼんぼりをプレゼントしてくれました。台座は平たい箱に和紙を貼って手作りしました。ミニチュアの江戸前寿司まで入れました! 本人は、子どもがいた方がいいと言って、女の子の小さな紙人形を入れました。「これ、みーちゃんだよ。」

 ケースの中は、ぎゅうぎゅう満員のカオスです。そうなってみると、この方がよほどいいような気がしてくるから不思議です。「シンプルで、しゅっとしていていいじゃん」なんて、どうして思ったんだろう?

 

 先日、21歳になった次女と雛人形を出しました。我が家は12年前に3度目の引っ越しをし、雛人形を2つ飾るくらいのスペースは楽勝です。もしかしたら、段飾りもギリギリ行けたかも。コンパクトな2つの雛飾りは、床の間にちょうど収まります。これはこれで、完結か。

 お雛様を飾りながら、次女に言いました。

「ごめんね。小さいとき、こんなお雛様じゃヤダって言われて、私、怒っちゃったでしょう? あなたの気持ちわかるよって、言えばよかったのにね。」

「あの時のこと、すごーく覚えてる! ママにすごく怒られた。」

「怒ったというより、がっかりしたんだけどね。ごめん。」

「でもね、私、自分のお雛様、すごく好きだよ。いやほんとに。いろいろ入っていていいじゃない?」

 ・・・本当だね。これはあなただけのバージョンだよ。小さなあなたが主張して手にしたバージョン。あなたはいい味出してたよね、子どもの頃から。これからもたくましく生きて行ってほしいな。

 お雛様の思い出を語ると、何となく切ない気持ちになるのに、それをパーっと吹き飛ばしてくれる次女のお雛様なのです。たくましい次女に感謝。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 また訪ねて来てくださると幸いです。

 

 実家の母が入院してしまったので、街道ウォークはしばらくお休みします。「今週のお題」と「読書について」は続けますので、のぞいてくださると嬉しいです。よろしくお願いいたしますm(__)m

 

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弥次さん・喜多さん 小田原騒動!?

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 街道ウォークをしながら、「東海道中膝栗毛」の弥次さん・喜多さんを追いかけてきました。弥次さん・喜多さん、小田原ではちょっとばかりやらかしてくれます。さてさて、どんな騒動でしょう?

 

事の起こりは五右衛門風呂

 五右衛門風呂は、豊臣秀吉が石川五右衛門をかまゆでの刑にしたという俗説から生まれました。

 まず、粘土でカマドを築き、釜をのせ、その上に桶を取り付けるという構造になっています。直に釜に火を焚きつけるので、すぐにお湯が沸いて効率がよく、薪の節約になりました。

 直火なので鉄製のお釜の底は当然熱いです。桶には木のふたがしてありますが、お風呂に入るときはこの木蓋の上に乗って沈め、底板にしました。

 ところでこの五右衛門風呂、関西ではよくあるタイプだったらしいのですが小田原では珍しく、江戸っ子の弥次さん・喜多さんはなおのこと、入り方の作法を知りませんでした。宿屋についた二人はお風呂をすすめられ、まず弥次さんが入ったのですが、熱いお風呂の底にびっくり。さてどうしたものかと辺りを見回すと、雪隠(トイレ)用の下駄が置いてありましたので、これを履いて入浴をすませました。

 次は喜多さんの番。お風呂に飛び込んだものの、「アチチチチ」。弥次さんにどうやって入ったんだと尋ねても、「最初は熱くても我慢していればそのうち慣れてくる」と言うばかり。弥次さん、なかなか意地悪ですネ。

 それでも喜多さんは、下駄を使ったことを見破って弥次さん同様、下駄ばきで釜に入るのですが、だんだんお尻が熱くなってきたものですから、バタバタ動き回っているうちに、なんとお釜の底が抜けてしまったのです。

 ザーーーッとお湯があふれ出て、さあ大変。お釜は壊れてしまうし、宿屋の主人はカンカンです。弁償代を払うことになってしまったのです。

水風呂の 釜をぬきたる 科(とが)ゆえに やど屋の亭主 尻をよこした 

 

喜多さんの仕返し

 弁償代を払うことで話を付けたのは弥次さん。さすが年長者! と言いたいところですが・・・。

 すっかりしょげてしまった喜多さんに、弥次さんは、「まあまあ気にすんな。おまえがそんな様子だと、気の毒でたまらない。」となぐさめます。喜多さんが「何が気の毒だって?」とよくよく聞いて見れば、宿屋の女中に料金前払いで今夜の相手をしもらう約束を取り付けたことを、うれしそうに言うではありませんか。「いやぁ~、おまえには悪いけど」みたいにね。

 「そりゃないでしょ」ってわけで、しょげ返っていた喜多さんでしたが何としても邪魔してやると決心するのです。どうやって?

 喜多さんは、くだんの女中の所へ行き、「あいつはとんでもない皮膚病で移ると大変だから」とか、「臭いから一緒にいられない」とか、嘘を並べます。当然その夜は音沙汰無し。待ちぼうけを食らった気の毒な(いや、気の毒でもないですが)弥次さんは、喜多さんの仕業だとはつゆ知らず。喜多さんが詠んだ歌は

ごま塩の そのからき目を 見よとてや おこわにかけし 女うらめし

「人をだました女がうらめしい」といった意味ですが、喜多さん、しらばっくれていますね!

 

湯本までの道 箱根の山は始まっているらしい

 さて、それぞれ複雑な心持で夜を過ごした二人は、夜明けとともに宿を出発しました。以下、引用します。

けふは名にあふ箱根八里、はやそろそろと、つま上がりの石高道をたどり行ほどに、風まつりちかくなりて弥次郎兵へ

人のあしに ふめどたゝけど 箱根やま 本堅地(ほんかたぢ)なる 石高のみち

 「つま上がり」は爪先上がり。この辺りから、だんだん道が上りになっていて、そろりそろりとたどっていったと書いてあります。

 「石高道」とは、石がごろごろして凹凸の多い坂道を言います。

 「本堅地 」とは、漆器の木地面に布を張り、その上に漆を塗った最も堅くて、しかも良質な漆器の素地のことです。「箱根山」の「箱」から、本当の堅地に塗った漆器を引き出して、箱根の山道が、踏めど叩けどびくともしない堅い石高道だと言っているのです。

 なんとなくですが、箱根の山って、湯本から先辺りからかなあと思っていたんですけれど(現代人の感覚で、ケーブルカーに乗り換えるところから、みたいな)、もうこのあたりから、石がごろごろしていて(石高道)、結構な山道だったんですね。

 いよいよ、長く険しい山越えの始まりです。

 

参考

『東海道中膝栗毛』十返舎一九 麻生磯次校注 岩波書店

 

 ここまでお読みくださりありがとうございました。

 また訪ねてくださると嬉しいです。

 

 

 


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小田原宿 見どころチェック!

 次回街道ウォークは、小田原宿を通って、箱根に向かいます。さて、どこまで行きましょう? 

 次の宿場は箱根だけど、四里八町(16.5㌔)は遠いな。箱根の山越え、なめるな。

 箱根湯本まで? ガンガン行くならそれもありだけど、小田原は見所がたくさんあるので、もったいないかな?

 とすると、入生田か、その手前の風祭か・・・ ちょっと悩んだけれど、駅前の「鈴廣かまぼこの里」でお買い物もできるということで、最終目的地を風祭に決定! 

 次回はのんびり歩こう。そうは言っても、寄り道し始めたらきりがないから、「基本、街道からははずれない」というマイルール(同行人のくろやぎもいるから、our ルール?)のもとでいこうと思います。

 

 バイブル(『ちゃんと歩ける東海道五十三次』八木牧夫 山と渓谷社)に記載されているチェックポイントは・・・

 

  1. 片岡本陣跡
  2. 久保田本陣跡
  3. 清水彦十郎本陣跡
  4. 報徳二宮神社
  5. 天満宮
  6. 小田原駅跡
  7. 居神神社
  8. 光円寺
  9. 大久寺
  10. 上方見付跡
  11. 牛頭天王
  12. 栄善寺
  13. 古希庵
  14. 板橋地蔵尊
  15. 石仏石塔群
  16. 三界萬霊等
  17. 細川忠興陣所跡
  18. 日蓮上人霊跡・馬頭観世音
  19. 妙覚寺
  20. 八幡神社
  21. 道祖神

 

 21個、少なめね。でも、このほかにもチェックしたいところがあるから、ちょうどいいかな。

 小田原城、バイブルではチェックポイントになってるのですが、今回はパスしようかとどうか、考え中です。街道から外れるし、見始めると時間がかかりそう。行ったこともあるし。

 

 さて、今回のチェックポイントで、特に気になるのは・・・

 

小田原駅跡

人車鉄道・軽便鉄道の小田原停車場跡だそうですが・・・人車鉄道ってなんだ?

 小田原市のホームページに説明があったので引用させていただきます。

かつて、人間が客車を押すという世界的にも珍しい鉄道が、小田原~熱海間を走っていました。
明治28年7月に熱海~吉浜間で営業を開始し、翌29年3月に熱海~小田原間が開通しました。
当時、熱海は温泉宿約30軒ほどの保養地で、政財界の大物や文人が盛んに訪れていました。しかし、東京・横浜方面から熱海に至るには海沿いの険しい道(熱海街道)を歩くか、駕籠か人力車を利用していました。そこで、熱海の旅館業主を中心に地元有志や京浜の実業家等が小田原熱海間に鉄道計画を興し、経費も安価であったことから人車鉄道を建設しました。
豆相人車鉄道と呼ばれ、小田原熱海間25.6km。駕籠で約6時間かかっていたところを約4時間で走りました。
豆相人車鉄道は、1車両に客は平均6人、それを2~3人の車夫が押していました。6両編成で、小田原熱海間を日に約6往復し、急な上り坂になると、客も降りて一緒に押したというのどかな風景も見られました。雨宮敬次郎を社長とする豆相人車鉄道株式会社として事業に当たっていましたが、明治41年8月に軽便鉄道に転身し、約3時間の所要時間になりました。
しかし、大正12年に起きた関東大震災によって軌道は寸断され、復旧を断念。翌13年に鉄道事業の幕を閉じました。

 ふむふむ、なーるほど。

 現在は、石碑が立っているだけのようですね。芥川龍之介が、この人道鉄道を題材に「トロッコ」を書いたんだそうです。行く前に「トロッコ」読んでみよう。(中学生の頃読んだ気がするけれど、覚えてなくて)

 

報徳二宮神社

 以前、小田原城を見学したとき、「なんかすぐそこに神社があるけど、これはいいや」とパスしてしまった報徳神社。(ゴメンナサイ) 今回、小田原と言えば金次郎さんということがよくわかったし、しっかりお参りさせていただきます。

 「きんじろうカフェ」でコーヒーブレイクしちゃおうかな。

 

古希庵

 山県有朋が明治40年(1907)、70歳の時に建てた別荘です。現在は保険会社の別荘になっています。毎週日曜日に庭園が一般公開されています。日曜日に行くかどうか。無理かな・・・ まあ、外観だけでも。

 

 今回は、チェックポイントでないけれど気になるところが結構あります。さすが小田原ですね。見どころ多いです。

 

 小田原は文学者のまちです。

 お江戸ロマンからは少し外れますが、街道沿いにある文学者ゆかりの場所も、チェックしたいと思います。

小田原文学館・白秋童謡館

 本館には小田原ゆかりの文学者の資料、別館の白秋童謡館には北原白秋の資料が展示されています。庭園の一角には、尾崎一雄の書斎が移築されています。

静山荘

 北原白秋の勧めにより小田原に引っ越してきた谷崎潤一郎がかつて居住していた地。ここで、文壇では有名な、佐藤春夫との間の「細君譲渡事件」が起きました。

 

 市内にはまだまだたくさん文学者ゆかりの場所があって、そういうの訪ねるのは好きなのですが、街道沿いに絞ります。文学散歩はいずれまた・・・

 

その他、気になるところ

 

清閑亭

 黒田長成(元貴族院副議長)の別荘です。雁行状平面・数寄屋風とかいう丁寧な造りが特徴の純和風建築。歴史的価値が認められ、平成17年(2005)、国の登録有形文化財になりました。通り道だし、これを素通りする手はない。

 

小田原用水取入口

 箱根芦ノ湖を源とする早川の水をこの地に取り入れ、旧東海道に沿って城下内に流した上水道の跡です。後北条時代に造られたもので、徳川家康が江戸のまちづくりの参考にしました。現在でも用水の取入口が残っているのがすごいです。

 

最後に、せっかく城下町を歩くのですから、古い町並みや建物もチェックしたいです!

 

株式会社ういろう

 八棟造りの店構えが目立ちます。江戸時代の万能薬「ういろう」と、お菓子の「ういろう」のお店です。外郎博物館が併設されています。そもそも「ういろう」ってよくわからないので、見学してすっきりしたいです。

 

済生堂薬局小西本店

 薬研(薬草を挽く道具ですね)や秤、昔のお店の写真などを展示しています。建物は、関東大震災で倒壊したものを大正年間に復元したものだそうです。石造りの薬種蔵のある純和風の木造建築です。

 

欄干橋ちん里う

 明治初期の創業で、古い梅干しやいろいろな梅の種を展示しています。以前にも来たことがあるのですが、明治時代の梅干しが展示されていてびっくりしたことを思い出します。あのびっくりをもう一度。

 

下田豆腐店

 箱根板橋の駅の近くにあるお豆腐屋さん。関東大震災後に建てられた出桁造り(だしげたづくり・なりわい交流館と同じですね)の建物が特徴です。

 

 結構、見たいところがありますね。やっぱり小田原城は無理かな?

 街道ウォークはじめての城下町。楽しみです!

 江戸時代の人も、楽しみにしていたんでしょうね。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。また、訪ねて来てくださると嬉しいです。


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猫は天敵だった

今週のお題「ねこ」

 私にとって、猫は天敵でした。なぜかって?

 

 子どもの頃、モルモットを飼っていたんです。モルモットにとっては、猫はまさに天敵ですから、飼い主の私にとっても天敵。

 モルモットは庭で飼っていました。今なら、部屋の中でケージで飼うのが一般的なんでしょうけれど、昭和のペット事情はワイルドですから。小屋は、父が林檎箱(木製の!)を再利用して作りました。前面が金網を貼った扉になっていて、斜めの波型スレートの屋根がついて、小屋全体に水色のペンキが塗ってありました。

 当時は今よりも野良猫が多かったように思います。いや、野良ではなく飼い猫だったかもしれないけれど、出歩いている猫が多かったというか・・・ 当然、軒下のモルちゃん小屋は、猫の定期的な立ち寄り場所になりました。気が付くと金網の前に、にっくき猫が座っていて、小屋の奥でモルちゃんが、プルプル震えているというわけです。ネコめ!! かわいいモルちゃんを、ストレスから解放してあげなくては。

 「コラッ」「シッ!!」何度、出ていって追っ払ったことか。ていうか、それが日常の習慣だったかも。庭にゴミが落ちていたらすかさず拾うみたいなノリですかね。やりすぎかって? いやいや、実際、隣の家にあげたモルモットが赤ちゃんを産んだとき、赤ちゃん、頭からバリバリ食べられちゃったし。

 だから、大人になってモルモットを飼わなくなっても、なんとなく猫は好きになれなかったです。猫は天敵だから。

 

 猫がかわいいかもしれないと思うようになったのは、いつからだろう? ジャガーかな?

 ジャガーは、現在の家に引っ越してきたとき、斜め前の家で飼っていた猫です。グレーのきれいな毛並みのねこさんでした。とても人懐っこい猫で、「ニャー」と寄ってきてすりすりするし、ゴロゴロ喉を鳴らすし、挙句の果てにはお腹も見せてくれるし・・・。うちの家族はもちろん、近所の人たちにも、人気のニャンコでした。

 ジャガーは、ただの人懐っこいニャンコではありません。ゴロンとお腹を見せているときに、いきなりピーンと耳を立て、今までのじゃれ合いなんかなかったかのように、通りの向こうへすっ跳んでいくのは、なぜだと思います? 答えはご主人様のお帰り。斜め前の家の奥さんが、コツコツコツとハイヒールを響かせながら、お仕事からお帰りになられる瞬間です。コツコツという音、ずいぶん遠くからでもジャガーには聞き分けられるみたいでした。因みに、お向かいの奥さん(斜め前の飼い主さんではなく)が、コツコツコツと帰って来ても、全然反応しなかったそうです。忠犬ならぬ忠猫。

「あら、ジャーちゃん。ただいま。いい子にしてた?」

 ジャガーは雄猫なんですけど、人懐っこいし、飼い主さんも「ジャーちゃん」とか呼んでいて、ちっとも猛獣の「ジャガー」っぽくない。だから、うちでは「ジャー子さん」と呼んでおりました。

 ジャー子さんは、飼い主さん大好きで、夕方になるといつも、家の前で近所の人に愛想を振りまきながらご主人様のお帰りをじっと待っていたし、お休みの日にご主人様が自転車でお買い物に行く時には、「ニャンニャンニャンニャンニャン」と(ワンワンワンではない)鳴きながら、後を追いかけて行ったりしていました。

 ジャー子さんは特別なねこさんなのかなと思っていたけど、ジャー子さんがお星さまになって二代目ジャガーがやってきたときも、やっぱり同じ。ジャー子さんより外部の人間への警戒心があったけれども、やっぱりご主人様大好きで、「待ち伏せ忠猫」したり、「ニャンニャン後追い」したりしていました。斜め前の奥さん、実はちょっと怖い感じの人だったのですが、猫使いの才能があったのかも⁉ ジャガー一家、引っ越してしまったけど、元気かな?

 

 一昨年、義理の母が老人ホームに入居しました。認知症の症状が出始めていて、二言目には、「ネコちゃんが好き」と言います。ネコちゃんのマグカップ、ネコちゃんの置物、ネコちゃんのティッシュボックス・・・ 子どもの頃、猫を飼っていたらしいのですが、こんなに猫好きだったっけ? 私には怖い姑のイメージしかなかったのですが。あんまり「ネコちゃん、ネコちゃん」と言うので、新年には猫の写真の壁掛けカレンダーを持っていきましたところ、すごく喜んでくれて、「かわいいねえ。ほら、ネコちゃんがこっちを見てる」といつも言います。カレンダーの中で、愛くるしいねこが、駕籠に入っていたり、ソファでごろニャンしたりしているんです。

 この話を知り合いにしたところ、「小さい子どもと犬は、お年寄りの認知症の改善に効果があるって聞いたことあるよ!」と。私は、この時、猫の話をしたのですけどね。彼女、犬好きなんです。3匹も飼ってるし。それはともかく、猫も、認知症に効果があるかもしれませんね。

 

 猫と言えばやっぱり、サザエさんの♪お魚くわえたドラネコ、追っかけて♪みたいに、したたか&ちょい悪で、人間と適度に対立する関係・・・というのは、一昔前のイメージなのでしょうか。昨今では猫カフェもあることだし、ちょい悪から癒し系に、世の猫は変わったのかも。

 でも私は、猫はやっぱり、ちょい悪だと思います。癒し系は生きるための術。

 なんで、猫に厳しいのかって? だって、天敵だから。

まちなみウォッチ! 国府津→小田原

 今回は、街道ウォークのレポート、まちなみ編です。

 歩いていて、ピンポイントで心に残った風景、なぜか気になったもの、ツッコミを入れてしまった面白グッズなど、気の向くままにレポートします。

 同じルートの名所・旧跡については、前回・前々回のレポートをご覧ください。

 

www.lupinus-shiroyagi.com

www.lupinus-shiroyagi.com

 

 国府津の駅を降りて国道に出るところにあったパン屋さん。(確か、神戸屋でした)

 おしゃれな雰囲気が気になって、壁面のプレートを見ると・・・

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 登録有形文化財ですって。元は、何の建物だったんでしょうね?

 

 少し離れて、建物全体をパチリ。

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 街道ウォーク中は、マンホールウォッチャーなので。

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 小田原市は小田原城の模様のマンホールですが、ここ国府津駅前にはこのようなパターンのものも。お魚模様がかわいい。

 

 街道沿いに、めちゃくちゃ昭和の雰囲気の金物屋さん。懐かしいな。奥行きもすごくありました。何でもありそう。アマゾンの倉庫みたいに。

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 森戸川を渡る歩道橋の上から・・・

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 海がぱあっと広がっていて、感動。

 

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 山側には、ちょっとかすんでいましたが、富士山が見えました。

 

 日本橋から79㌔です!

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 わずかですが、松並木が残っていました。大きな立派な松ですね。

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 こういう、建物の隙間からキラリと光る海面を見つけると、嬉しくなってしまいます。海の見えない土地に住んでいるので、珍しくて。

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 ふと見上げたら、立派な土蔵が。さすが旧東海道ですね。

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 土蔵の角を曲がると、小八幡八幡神社に続く参道です。趣のある道ですね。

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 参道にあった側溝。松竹梅かな?

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 またまた松並木。今度は、割と長く続きます。

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 酒匂小学校です。校庭に大きな楠があります。

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 本当に大きな楠ですね。

 こんな大きな楠があると、守られている感じがしていいですね(*^-^*)

 

 日本橋から81㌔

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 妙蓮寺の近くに道祖神がありました。(チェックポイントではなかったのですが、見つけましたよ😊) 

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 近所の中学校、ちょうど下校だったようで、連れ立って帰る男の子たちのグループの一人が、道祖神にぺこりと頭を下げて通り過ぎました。いい子ですネ。

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 酒匂川を渡ります。

 橋の欄干にいろいろな彫り物が。結構、手が込んでいます。

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 小田原城

 

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 小田原名物、梅の花。

 

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 広重さんの東海道五十三次

 

 まだまだあったけれど、道路の反対側だったので、写真はパス。

 

 日本橋から82㌔

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 日本橋から83㌔

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 小田原宿入口を示す道標。とうとう来たんだなと、感慨ひとしおです。

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 新宿の信号を左に曲がり旧道に入ります。

 

 これよりかまぼこ通りです。

 かまぼこやさんを始め、古くからのお店が軒を連ねます。

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 かまぼこやさんの一つ「いせかね」です。他にも「やまじょう」などがありました。

 中をのぞいてみようかとも思ったのですが、ちょっと敷居が高そうな気がして、やめてしまった・・・

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  こちらは、趣のある古い商家の建物ですが、蒲鉾やさんではありません。何のお店だと思いますか?

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 なんと、トリミングショップでした!

 

 信用金庫のキャッシュコーナーも、まちなみに合わせて、城郭風。

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 なりわい交流館です。出桁造りをとくとご覧ください。

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 こちら、横から見たところ。

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 中はこんな感じ。お、テレビがある⁉

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 お雛様が飾られていました。今の季節ならではのお部屋の様子に、得した気分。

 

 中の女性が、お茶を入れてくださいました。しばし休憩。疲れが取れました。ありがとうございました。

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 小田原駅に到着。二宮金次郎さんのおなじみの像がありました。やっぱり小田原は、二宮金次郎さんなんだなーと納得して、ウォークを終了しました・・・

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 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

 また訪ねて来てくださると嬉しいです。

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第11回 街道ウォーク 国府津→小田原②

 国府津→小田原 街道ウォーク後半です。

   酒匂川を渡ると・・・

 

二宮金次郎表彰の地碑

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 文政元年(1818)、小田原藩主大久保忠真が幕府の老中を任せられて江戸に向かう途中にこの地を通りかかり、領民の代表を集めて、13人を働き者や親孝行者として表彰しました。金次郎もその中の一人で、当時32歳でした。これを機に、金次郎は、小田原を始め全国の藩の、農村の復興や財政の再建に貢献するようになったということです。

 と、碑にかいてあったのでアップしますね。

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八幡神社

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 この辺りの村の鎮守様でしょうかね? 境内の立派な松の木に注目。


新田義貞墓

 

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 新田義貞の首塚は街道より2本(1本ではなく2本なのがミソ)、海側に入った道なりに行くと、このような案内があります。わかりにくいので、注意深く探してください。

 とりあえず、案内をご覧ください。↓

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 新田義貞は福井で討死にして、その首は足利尊氏により晒されていたのですが、家臣がこれを奪い返しました。故郷の群馬に持ち帰るつもりでしたが、家臣も病気になってしまったため断念し、やむなくこの地、網一色村で埋葬したそうです。

 

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 細道を入っていくと、小さな公園になっていて、首塚があります。(家臣のお墓もありました。)家臣さん、無念でしょうが、こうして主君と同じ場所に埋葬されたのはよかったですね。

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 こちら、首塚のある公園。藤沢の義経の首洗いの井戸もでしたけど、公園の中に首って・・・ 遊具もありますけど。怖くないのかな(・・?

 と私がつぶやいたら、くろやぎ(同行者・夫)が、「それが日常なら別に気にならないんじゃない?」と言いました。なるほど。

 そういえば私も、子どもの頃遊んでいた場所に乃木大将の碑があって、とても大きな碑だったんですけど、近所の子たちと「おうちごっこ」の家にしてましたね(-_-;) 碑に上ると岩のごつごつした穴がいっぱいあったんで、小枝を拾ってきて突っ込んで、「かまど」にしてた。もちろん、火はつけないですよ。ごっこ遊びね。親から「乃木大将の碑」って聞いてたけど、「ノギタイショーってなんだろね?」くらいにしか思ってなかったなあ。ゴメンナサイ。

 ちなみに、あの碑があったところ、今はちゃんと立ち入り禁止になってます。


常顕寺

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 常顕寺です・・・ なぜ、チェックポイントなのか、またまた謎です。臨済宗のお寺です。



呑海寺

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 「どんかいじ」と読みます。臨済宗大徳寺派のお寺だそうです。

 

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 本堂はこちら。

 

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 境内の掲示板のぼけない五か条に目が行ってしまいました。

一、仲間がいて気持ちの若い人

二、世話好きで感謝のできる人

三、本をよく読みよく書く人

四、よく笑い感動を忘れない人

五、趣味をもち旅の好きな人

 

だそうです! 肝に銘じておきます。

 

上杉竜若丸墓

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 新田義貞の首塚の後に、またお墓。街道ウォークは、ちょっと怖いチェックポイントが結構ありますね😢

 ちょっとわかりにくいですが、看板が出ていました。

 

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 この小さな建物の中に祀られているようです。ところで上杉竜若丸って?

 説明板をアップしますね↓

 

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 上杉竜若丸は、上杉憲政の嫡男で、降伏の使いとして小田原に出向いてきました。まだ11歳か13歳の子どもでしたが、北条氏康は大敵の嫡男なので危険視して、竜若丸の首をはねました。

 これを知って不憫に思った小田原の人が、供養塔を建てたという説明です。

 納得。竜若丸って、子どもだったんですね。降参だって言ってるのに、氏家、冷酷だな。


心光寺

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 浄土宗のお寺です。何故チェックポイントなのか、やっぱり謎でしたが、鐘楼の脇の松の木が立派なのが印象に残りました。


山王神社

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 星月夜の井、林羅山の詩碑があるということですが・・・

 詳しくは説明板をご覧ください↓

 

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 ざっくり言うと、古くから星月夜の井戸というのがあったことから、山王神社は星月夜ノ社とも言われていて、林羅山も歌に詠んだ・・・と。ざっくりしすぎ?

 

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 こちらが星月夜の井戸です。

 

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 林羅山の詩碑ですが・・・読めません(-_-;)


宗福寺

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 宗福寺は、徳川家康が小田原城征討の折に、戦勝祈願をしたことで知られています。

 

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 境内になぜか神社がありまして・・・

 神社前の説明板、アップします↓

 

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 この神社に、家康が戦勝祈願をしたのですね。

 

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 神社脇の欅の御神木。神社にお参りして「無念・無想・無我」となって御神木に触れるとお願いが叶うのだそうです。

 御神木に触れさせていただきましたが、「無念・無想・無我」だったか、自信がありません。


江戸口見附跡

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 ついに、小田原宿の入り口まで来ました!

 見附跡が歩道橋の袂にあります。

 説明板もアップします。

 ここに土塁が築かれていたという説明が興味深かったです。

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 見付跡の説明板付近。なんとなく雰囲気ありますね。


一里塚跡

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 歩道橋を渡ると一里塚跡があります。

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  秀吉との小田原合戦の時には、城下町ごと土塁で囲ったのですが、家康は東海道を通すにあたり、この構造を壊したという説明に、またまたびっくり。そーだったんだ。

 

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  街道をはさんで右手が江戸口見付跡、左手が一里塚跡。両者を歩道橋がつないでいます。


北条稲荷・蛙石

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 小田原城落城前夜に盛んに泣いたという「かえるいし」。興味津々だったけど、そんなかわいい感じのものじゃなかった😨 「かえる」じゃなくて「かわずいし」だし。とりあえず、説明板をアップします↓

 

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 この柵に中に石があります。ものものしい感じ。結界かな?

 近づいて石を写真に撮ってはみたけど、なんか、ここにアップするのはやめておきます・・・(私、割と怖がりなんです)

 
善照寺

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  またまた、何故チェックポイントか、わからなかったけど。本堂です。


寶安寺

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 安寺です。「寶」は「宝」の旧字体です。

 ガイドブックは安寺になっていますが、たぶん誤植だと思います。「寶」と「賢」、パッと見、似てるから。

 幼稚園が隣接されていました。何故チェックポイントかは、?です。

 旧道からはずれるし、正直言って、街道ウォーク的には寄らなくてもいいんじゃないかなーと思ってしまいました。

 

万町標識

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 箱根の城下町には、万町のだけでなく、旧町名を記した石標があちらこちらにあります。これはその一つ。

 

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 裏説明もありました。

 「よろづちょう」ではなく、「よろっちょう」だそうです。「七里役所」という紀州藩の飛脚継立所(ひきゃくつぎたてしょ)がありました。江戸時代末期には、旅籠や小田原提灯作りの家がありました。

 
小清水脇本陣

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 「旅籠・小清水」は「古清水旅館」に名前を変えて営業中

 と以前、ブログの記事(「弥次さん・喜多さんを追いかけて 国府津→小田原」)で書いてしまったのですが・・・すみません。

 古清水旅館は、高齢者向デイサービスの施設に変わっていました。

 

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 デイサービスの2階に、資料館があるとのことです。

 日曜日で閉館してたみたいで、時間もなかったので立ち寄りませんでしたが、説明部分、近づいてパチリしたのでアップします↓

 

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 小田原の空襲で罹災したときの写真が展示してあるようですね。


清水金左衛門本陣跡

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 説明板によりますと、清水金左衛門本陣は、江戸時代は大名の宿泊所として役目を果たし、明治になっても明治天皇が5回も泊まられたとうことです。

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なりわい交流館

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 なりわい交流館まできました! やれやれです。

 小田原の典型的な商家の造り「出桁造り」の建物です。

 関東大震災で被害を受けましたが、昭和7年に再建したとのことです。

 

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松原神社

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 最後のチェックポイント・松原神社です。

 日本武尊を祀る小田原宿の総鎮守というだけあって、なかなか立派な鳥居と参道です。

 

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 「吉兆の大亀」というのがありました。

 撫でると、さまざまなご利益があるらしい。

 亀は長寿を象徴する生き物なので、お賽銭を十円納めると10日、百円納めると100日、千円納めると1000日、寿命が延びるんですって。

 ちょっと悩んで、百円を・・・

 

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 16時22分、小田原駅に到着しました。今回も無事、終了。

 6時間47分、26426歩でした。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 また、ご訪問くださると嬉しいです。

 


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